■ 登別郷土文化研究会創立40周年記念誌「ぷやら」完成
【2012年5月18日(金)朝刊】
登別郷土文化研究会(日野安信会長、40人)の創立40周年記念誌「ぷやら」が、17日までに完成した。30周年誌に肉付けする形でここ10年の活動を網羅し、登別に縁がある俳人・高浜虚子の句碑案内記など、9人が11編を寄稿。会員の郷土愛が誌面からにじみ出ている。
「ぷやら」は同会が発行する機関誌の名称で、アイヌ語で「窓」を意味する。登別の郷土、文化、歴史の窓という意味が込められている。B5判150ページで160部印刷。会員や行政、観光協会などに配った。
会は故山内一郎さん、故日野謙一さん、現名誉会長の宮武紳一さんら市内各界の有志により、市制施行された昭和45年に発足、活動をスタートさせた。
日野会長は「当時の登別は近隣の室蘭や伊達に比べて、文化が不毛と言われていた。しかし、登別は仙台藩の片倉家中。他に負けない文化や歴史があった。待望の市制施行を受け、これを掘り下げ広めたい―というのが背景だった」と語る。
記念誌では、日野会長が「高浜虚子先生 句碑備忘録」、今田友一さんが「登別の植物とその食べ方」、宮武現名誉会長が「『幌別場所一件』から」をテーマに寄稿するなど、会員の研究の一端や思い出を前半に並べた。
後半では活動記録「たどーる」でここ10年を振り返った。図書館をベースにした毎月の例会の様子などが記されている。発足当初は歴史の勉強会が中心だったが、近年は各自の研究や新発見などの情報交換がメーンに様変わりした。
一方で春と秋には現地を回って調べる巡見も継続。既に道内の歴史ある地域の訪問活動はし尽くした感があり、最近は道外にも遠征し、宮城や山形、東京など全国を巡り研究活動の幅を広げている。
日野会長は先人の尽力に感謝しながら「功績や歴史を汚さないよう、活動を続けていきたい。会員の高齢化が進んでいるが、多くの人に加わってもらい、歴史や文化を一緒に研究できればうれしいですね」と話している。
(鞠子理人)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2012/05/18/20120518m_05.html
【2012年5月18日(金)朝刊】
登別郷土文化研究会(日野安信会長、40人)の創立40周年記念誌「ぷやら」が、17日までに完成した。30周年誌に肉付けする形でここ10年の活動を網羅し、登別に縁がある俳人・高浜虚子の句碑案内記など、9人が11編を寄稿。会員の郷土愛が誌面からにじみ出ている。
「ぷやら」は同会が発行する機関誌の名称で、アイヌ語で「窓」を意味する。登別の郷土、文化、歴史の窓という意味が込められている。B5判150ページで160部印刷。会員や行政、観光協会などに配った。
会は故山内一郎さん、故日野謙一さん、現名誉会長の宮武紳一さんら市内各界の有志により、市制施行された昭和45年に発足、活動をスタートさせた。
日野会長は「当時の登別は近隣の室蘭や伊達に比べて、文化が不毛と言われていた。しかし、登別は仙台藩の片倉家中。他に負けない文化や歴史があった。待望の市制施行を受け、これを掘り下げ広めたい―というのが背景だった」と語る。
記念誌では、日野会長が「高浜虚子先生 句碑備忘録」、今田友一さんが「登別の植物とその食べ方」、宮武現名誉会長が「『幌別場所一件』から」をテーマに寄稿するなど、会員の研究の一端や思い出を前半に並べた。
後半では活動記録「たどーる」でここ10年を振り返った。図書館をベースにした毎月の例会の様子などが記されている。発足当初は歴史の勉強会が中心だったが、近年は各自の研究や新発見などの情報交換がメーンに様変わりした。
一方で春と秋には現地を回って調べる巡見も継続。既に道内の歴史ある地域の訪問活動はし尽くした感があり、最近は道外にも遠征し、宮城や山形、東京など全国を巡り研究活動の幅を広げている。
日野会長は先人の尽力に感謝しながら「功績や歴史を汚さないよう、活動を続けていきたい。会員の高齢化が進んでいるが、多くの人に加わってもらい、歴史や文化を一緒に研究できればうれしいですね」と話している。
(鞠子理人)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2012/05/18/20120518m_05.html