
問 梅 閣 高 啓 作
春に 問う 何れの 処よりか 来たる
春 来たって 何れの 許にか 在ると
月 墜ちて 花 言わず
幽禽 自ずから 相 語る
春は来て 今何処にいるのだろうか。
月は西の空に隠れ 梅の花は何も語らない。
ただ小鳥だけが静かに囀っているだけだ。
問 梅 閣 高 啓 作
春に 問う 何れの 処よりか 来たる
春 来たって 何れの 許にか 在ると
月 墜ちて 花 言わず
幽禽 自ずから 相 語る
春は来て 今何処にいるのだろうか。
月は西の空に隠れ 梅の花は何も語らない。
ただ小鳥だけが静かに囀っているだけだ。
今朝は 地震で驚かされた。
はじめは・・ん?なんだろう?と思った。次の瞬間 怖い
家のきしむ音にガラスが震える音 わずかな幅の揺れ。
お湯を沸かそうと点けたガスを消し・・念の為ストーブも消した。
しかし、幸いたいした揺れではなかったので・・・TVニュースを待ち震度3かと思ったころに また揺れた。今度の方が強い揺れだよ ~揺れた。震度4。
震源地は富士五湖?。
ちょうど見ていたチャンネル TVで富士五湖の中継をやっていた・・かなり酷く揺れた。微かな揺れが続いてると言っていたが こちらは揺れは2度だけで感じなかった。
余りに多い地震に怯えているばあちゃんです。
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東日本大震災後の4月下旬に福島県相馬市沖で発見された子どもの遺体が、宮城県警の調べで約9カ月ぶりに福島県双葉郡の男児=当時(5)=と確認され、24日、遺骨が祖父母に引き渡された。関係者によると、男児は母親と共に津波の犠牲になったとみられ、母親は既に火葬されたという。男児の遺骨を供養してきた寺の関係者は「やっとお母さんのところに行けるね」と、男児の冥福を祈っている。
男児の遺体は昨年4月25日、海上保安庁の巡視船が発見。遺体安置所となった宮城県角田市の旧角田女子高に運ばれ、宮城県警が検視した。身長などから5~10歳と推定されたが着衣や所持品はなく、身元の特定は難航した。
遺体は身元不明のまま6月9日に宮城県山元町に引き渡され、火葬後、同町の明光院に安置された。副住職の宮部龍真さん(29)は「寂しくないように」と祭壇の真ん中を定位置にし、他の震災犠牲者に囲まれる形でまつった。
「一日も早く家族の元へ飛んで帰れるように」。そんな祈りを込めて、ヘリコプターのおもちゃも供えたという。
遺骨は24日午前、男児の祖母が明光院を訪ね、引き取った。不在だった副住職に代わって対応した副住職の母しん子さん(59)に、祖母は涙を流して「ありがとうございました」と繰り返し、頭を下げた。
男児の遺骨は今後、母の遺骨と共に弔われる。明光院は祖母から、生前の男児の写真を譲ってもらった。三輪車の上のあどけない笑顔とピースサイン。寺では今後も写真を大切に保管し、供養を続けるという。
宮城県警によると、男児は県警が検視した子どもの遺体の中で、ただ1人、身元が判明していなかった。県警は岩手、福島両県警と情報を共有。家族も同時に亡くなった可能性があるとみて、犠牲者のDNAとの照合を重ね、身元特定につなげた。
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/01/20120125t73020.htm?style=print
朝早くから雪かきしたら肩と腰が疲れを覚えたらしい
思い出したと言うべきかも知れない。
火曜日は「目眩」で耳鼻科に掛かる日だが雪で 足元の状態も悪いし行くの如何しようか
予定道理出掛けた。
雪かきしてないところが多い。滑らないように注意しながら歩く。転んだら・・入院なんて困るから。
バス停で待つ事・・全然来ない。
時間を過ぎても遥かかなたにも見えないよ。
時刻表の横に或るTel番号にかけてみても呼び出し音してる・・すぐキレる。
20分も過ぎて来ないなんて 次のバスの時間だよ。 「もう帰るか電車に・・」と思ってバスの来る方をもう一度見たら小さく見える
「この程度の雪で運航中止はないだろう」と考えたけど こんなに遅れるとも思わなかった。
帰りのバスで知人に逢う 彼女も30分遅れの目に逢っていた。
バスが遅れてイツモより遅い時間についた~病院はイツモより空いていた。何が幸いするか判らないもんだね。
無理して?行ったかい有って先生に「薬は止めてもイイでしょう」と言われたよ。よかったです。