三四郎(息子)のことばに、ときどきはっとさせられる。
「神様のいる家をこわして、新しい家をたててしまうのは悲しいよね」
はじめ、よく言っていることが分からなくて、
「神様って?」と聞いてみる。
「どの家にも、神様がすんでるでしょ?」
「木にも草にも、神様がいるんでしょ?」
お~、この子は日本の子だ。どこでそういう宗教観念を身につけたのか。
この家に、あの木に、神様がすんでいるという感覚を
あの子は当たり前に持っているらしい。
そうか・・・この家の神様と仲良くしようと思わされた。
それにしても、なんでいきなり、新しい家などといい始めたのか、
そこは分からない。
いつも、あの子の発言はいきなりだから。
(こっちがいきなりと感じるだけで、あの子にはさっきの何かと
つながりがあるのかな。)
あの子が神様の世界とつながっている子ども時代も
あとわずかかな?
書きとめようと思っているのに、いつもその言葉を忘れてしまって
もったいなかった。
「神様のいる家をこわして、新しい家をたててしまうのは悲しいよね」
はじめ、よく言っていることが分からなくて、
「神様って?」と聞いてみる。
「どの家にも、神様がすんでるでしょ?」
「木にも草にも、神様がいるんでしょ?」
お~、この子は日本の子だ。どこでそういう宗教観念を身につけたのか。
この家に、あの木に、神様がすんでいるという感覚を
あの子は当たり前に持っているらしい。
そうか・・・この家の神様と仲良くしようと思わされた。
それにしても、なんでいきなり、新しい家などといい始めたのか、
そこは分からない。
いつも、あの子の発言はいきなりだから。
(こっちがいきなりと感じるだけで、あの子にはさっきの何かと
つながりがあるのかな。)
あの子が神様の世界とつながっている子ども時代も
あとわずかかな?
書きとめようと思っているのに、いつもその言葉を忘れてしまって
もったいなかった。
多分、「後わずかではない」と思います。
私は、神が何であるというより、私たちが神という言葉で何を言い表わそうとしているかを、その深い部分から本気で知りたいのです。もしかしたら、子供たちの心の成長過程をよく観察することからも、ヒントがえられるかも知れませんね。子供の心といっても、周りの大人たちの無意識が決して無関係ではないのですが。
私は感じたいです。
それは、おとなよりも純粋で、真実に近いような
気がするからです。
本当に、神様という言葉で人間は何をあらわそうとしているのか、私も知りたいです。