aiaiのきまぐれ日記

子どもたちとの日々、いなかの暮らしで感じたことを、きままにおしゃべり。

三四郎の今日のひとこと

2008-04-08 23:27:14 | ナチュラルファミリー
「理解できない現実ってあるんだよねえ」三四郎

土筆を摘みながらの一言でした。
「土筆って、こんなに摘んだって思っても、
全然減ったように見えないんだよねえ。」
しばらくしてから、
「理解できない現実ってあるんだよねえ。」

うううう~~~む。
土筆から、それを学ぶか。。。


一方。
わたしは、ある考えごとをしながら、三四郎と黙々と土筆摘みをしていて、
その頭の中で考えていることと、三四郎の言葉があまりにも
ピッタリ~!!
だったので、びっくりしたのです。
まさに、理解できない現実だ、と。

起こった出来事とは、
お友達のおばあちゃまから、あるお家のお母様がお願いをされたということ。
そのお願いの内容とは、
「そちらのお宅に、ウチの孫が遊びに行かないようにウチの孫に言ってほしい。
そちらの息子さんにも、勉強しないといけないからといって孫に来ないように言ってやってほしい。」
ということ。
その理由は、
「車が通る道を歩いて行くのは、危ない」から。
「お婆さんが言っても聞かないので、そちらから言ってほしい」と。

そのお母様は、「自分から言うのはおかしいし、息子に言わせるのもおかしい」と。「ウチは一緒に遊んでくれたほうがいいのに」「息子も遊びたいのに」。

その話に出てくる子どもは、低学年。
確かに、車は危ない。だけど、いつまでも、子どもに付いて歩くわけにはいかない。車に気をつけて行くようにしつけるしかない。車に子どもが通ることを知らせる看板をつけることも大人の策のひとつかもしれない。だけど、家に帰って、安全のために閉じ込めておくのは策ではない。

もちろん、ウチでも息子が一人で遊びに行くのはまだまだ心配もある。田舎の道は、都会の道よりも危ない。たまにしか人が歩いていないから、車が狭いクネリ道を飛ばしている。歩道ももちろんない。だけど、子どもも車の音を聞き分ける耳を持っているし、危険の予知も少しずつ頼りないけど出来るようになってきている。もしものことがあったら私は気が狂うかもしれないと思うくらい、事故は怖い。でも、子ども同士遊ぶのを禁止することはできない!

理解できない現実ってある。
こういう時、理解できなくても、現実は進んでいく。

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6 コメント

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理解できない現実÷÷÷ (TAMU)
2008-04-08 23:50:08
どこで、三年生になったばかりの三四郎君は
そんな言葉を覚えたのかな?
あ、もしかして、アニメかな?
本かな?

「理解できない現実ってあるんだよねえ。」
日々の暮らしの中で、その言葉がピッタリのことが多過ぎてね~。。。
でも、これからは、そう思うとき、少しは笑えるかもね。
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理解できない現実 (aiai)
2008-04-09 14:06:29
子どもは面白いです!
どこで覚えたのかしらないけれど、
この言葉が彼のどこかにひっかかって、
出番を待っていたということが面白い。

彼には
理解できない現実を発見して
面白がれる大人に育ってほしいです!

その理解できない部分に流されるのではなく、
また、悲嘆したり憤慨したりするのではなく、
科学する心をもって、楽しく、
自分なりの理解に導こうとする人間に
育ってほしいですねえ。

たしかに、
理解できない現実には、
笑いの要素がたっぷりあります!
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うむうむ。 (花さき山)
2008-04-09 23:05:12
息子が小学校に入ってから特に似たようなことが多々ありその度、もどかしい気持ちになります。
危ないけど、自由や冒険や遊びや、いたずらやを、取り除いて大人の監視下で安全に暮らしても・・・・・
本当にこどもにとってどうなんだろう・・・
親が見ていない間の子どもの時間って貴重なんじゃないかな~
って。そこから学んだり失敗したり。
そっと、遠くから見守って心で見守ってやったりすることで防げることもあるんじゃないかな~って。

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花さき山さん (aiai)
2008-04-12 11:08:48
花さき山さんも、いろいろ思うことがあるようですね!

きっとだれも、子どもを大切に思う気持ちは一緒なんだけどなあと、私もなんだかもどかしい気持ちになります。

ときどき、私の子育てって、時代に合っていないのかな?と思ったり、どこで折り合いをつけるかと思ったりしながら、山や自然遊びを思いっきりできる「山のがっこう」を主催者として誇りに思っているし、参加者と一緒に楽しみしています!

行ったりきたりです。

花さき山さんをはじめ、子どもたちを『子どもの時間』ですごさせようよ!という人たちがもっと多くなればいいなあと願う今日この頃です。
(『こどもの時間』の映画、よかったなあ~)

大人の世界が子どもの時間に入り込むことが多い時代だけに、
子どもたちを子どもとして過ごせるように守らなくてはいけないなあと思います。



昨日も戸惑いの時間がありました。


テレビについて。
放課後児童クラブ立ち上げをすることになって。
テレビはなるべく見せたくないんですよね~ということを話すことがあって。

ウチではテレビを見ないんだというと、「かわいそうよ、お友達と会話が合わなくなるよ」とアドバイスしてくださった地域の方がありました。そういうところもあるなあと私自身も思っているので、どうしたらいいのかな?と悩んではいます。
一方、私自身は、時代はテレビがないと時間がもたない子どもたちを育てていないだろうかなどと、不安になっています。ほかのことができる時間も奪うし。

アドバイスをしてくださることを私はありがたいなあと思うし、いろんな意見を聞きたいし、いろんな方と付き合いたい。意見を感謝して受けて、考えるきっかけにしたいです。

自分の考えが固まっていないか、何かを変えるきっかけを求められていないか、など、いつも自分を揺さぶることは大切です。

ウチでは、一日30分だけ、子どものテレビの時間があります。だから大好きな「ドラゴンボール」を見ています。見終わったら消す。消すと、音が消えてすっきりします。

ゲーム?も同じ。わが子に「ゲームを買ってあげないとかわいそうよ。みんなと遊べないし」という言葉に少し揺らぎました。

これも、ゲーム禁止のウチに遊びに来た子たちは、おままごとを男女関係なくしたり、外をただ走り回ったり、山に行ってみたり、いくらでも遊びは沸いてきます。


とはいっても、ウチにも、ゲームがあります~。サンタさんが持ってきたのです。テレビゲーム。これは、お父さんと一緒に遊ぶキマリを作っています。一ヶ月か二ヶ月に一度くらい思い出したように二人で遊んでます~。子ども同士で遊ぶことと、一人で遊ぶことは、ナシ!です。

ゲームがあるから、テレビがあるから、子どもたちの自由な発想の泉は汲まれる機会を失うのだということや、
遊ぶ力を持っているということが、子どもたちの学力や生きる力にどうつながっているかということの理解を、ひろげたい!
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Unknown (花さき山)
2008-04-12 22:58:27
意見はさまざまだけど、こどもを思う気持ちは同じなの、よく分かります。
自分とは違う考えの人から自分を見つめなおすきっかけをもらうことってありますよね。
この、コメだけでは、1つの例をとっては書ききれないくらい色々な場面に出くわすので、時々ブログで話せたらいいなあと、思いました。
時代にあっていないのかも・・・・という点でも同じく私もそう思います。
私自身の小学校時代はもうとにかく遊んで道草しておもちゃも公園もなくても、道端の石で、草で、土で一人だろうと、友達と一緒ならばなお遊びは広がり・・・の経験をしてきたので、自分のこどもがそうできない時代にいることがもったいなくて、かわいそうで。何か芽を摘んでしまってる気がするんです・・・。
テレビは基本的にはあまり見せたくありませんが、我が家もこどもがどうしても見たいものは見せています。
そして、私もテレビに子守をお願いしないとやっていられない時はそれは、もう割り切っています。借家の一室で母子のみの時間が、しんどいと、感じるときもあるから・・・・。自分自身、育児に家事に行き詰ってしまうときがあるから・・・。折り合いをつけながらですよね。
私も愛さんと同じく、悪いものだからいっさい、除外した生活にするんじゃなく私も、子供たちも、コントロールしながら生活できたらな。と思うんです。だって、きれいなものばかりの世の中じゃないし。この先、どうやったって、そういう世界で生きていかんといけんし。


少し前のことですが、私も自身のブログに残した一件です。
このURLの記事と、その次の記事を良かったら読んでみてください。

いつもは、ただただ、親ばか日記ばかり書いてますのでお恥ずかしいですが。。。。。
http://ameblo.jp/hanasakiyamatuusin/entry-10057754304.html

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親ばか同士 (aiai)
2008-04-12 23:42:10
花さき山さん、親ばか同士、また語り合っていきましょう~。
ブログ、行きましたよ~。いろいろと共感します!
ちょくちょく寄らせてもらいますね。

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