言語分析未来予測

上石高生
言葉の分析からの予測です。分析の正しさは未来に答えが出ます。分析予測は検証可能でなければなりません。

メディア論11

2008年06月27日 07時12分26秒 | 話題
「ネットは能無しを大量生産している」 市民メディア、ブログが台頭するジャーナリズムの行く末は? | 専門家や海外ジャーナリストのブログネットワーク【MediaSabor メディアサボール 】
 上の記事、TECHライターのドヴォラック氏が批判している「インターネットジャーナリズムの普及が推進しているのは多様化なんかじゃない。一般的な常識や社会観点の欠落したアホの量産だ」は、まさに下の記事、市民メディアが認めたインターネットジャーナリズムの多様化と争っていると認められるのである。
新聞屋は、なにがしたいんだろうか。 - Attribute=51
 newsing(ニューシング)への投稿で、「新聞屋は、なにがしたいんだろうか」という記事がインターネットジャーナリズムとして認められた、ということであろう。
新聞屋は、なにがしたいんだろうか。 - Attribute=51 - newsing(ニューシング)
 下の記事は、「情報が選別された時点で恣意的だと言わざるを得なくなります」とニュース記事を書く記者の主観を意識しすぎて、その報道の客観性を疑っている。
 記者が自分の担当である殺人事件などを「他の取材をしたい」と思えば、配置換えか、転職をしなければならず、そんなに簡単にニュースを選別できるとは思えない。
 つまり、記者は客観報道に責任を持っているプロなのである。
 ブログを書いている私などは、重いニュース記事を取り上げるのが苦痛になれば、いつでもそこから逃避し、何の関係のない哲学書などを読んでそこから記事を拾ってきたりすることができる、というアマチュアなのである。

 TECHライター、ドヴォラック氏の多様化したインターネットジャーナリズムへの批判も、知性や能力に関してのものだかこそ、その趣旨が変形してしまっているのであり、要は基準としてのプロとアマチュアの差が歴然とありながらも、正しい議論がなされてない、という情況こそ問題なのである。

 プロの記者はアマチュアの知性や能力を批判し、多様化したインターネットジャーナリズムとしてのアマチュアはプロのニュース記事の客観性を疑う。明らかにこの2つの対立構造は間違っている。

 「インターネットの内容の中には新聞の内容があり、テレビの内容の中にも新聞の内容がある」――だからこそ新聞は両者に信頼されていると言える。それはそうだが、「しかし新聞の内容の中には警察発表の内容がある」のも事実だ。
 「どんなメディアでもその内容は常に別のメディアである」
 この記事を書いている米国在住ジャーナリスト、岩下慶一氏でさえ、インターネットメディアにおいての新しい基準が示せないでいるのだ。

 このような誤解や間違いだらけの対立において、正しい答えは求められそうにない。

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