中尊寺からそう離れていないところに、奥州藤原氏ゆかりの史跡が数多くあります。
毛越寺(もうつうじ)
高館義経堂(たかだちぎけいどう)
無量光院(むりょうこういん)跡 …等々。
高館義経堂とは、名前の通り、源義経に関係のある場所です。
兄の頼朝が天下を取った後、その功労者であるはずの義経は失脚させられました。
そこで彼は、青年期を過ごした平泉に身を寄せたのです。
当時のこの地の覇者、奥州藤原氏に与えてもらった土地が、この高館。
ここは、義経が最終的に自害したとされる場所でもあります。
奥州藤原氏にとって、この義経を匿ったことこそが、滅亡の原因となりました。
頼朝は、それを口実に平泉へ攻め入ったわけですからね。
この地は、日本史上の大事件に関わっているのです。
江戸時代になって、松尾芭蕉はこの高館で句を詠みます。
「夏草や 兵共(つわものども)が 夢の跡」
おそらく、このような風景を見て感じるものがあったのでしょう。
…季節が正反対ですけどね。
ここに写っているのは北上川。
岩手県から宮城県まで流れる、東北一の流域面積を誇る河川です。
この周辺が「蝦夷」と呼ばれていた時代には、朝廷との境界線の役目も担っていたようです。
高橋克彦の小説『炎立つ』などには、戦略上の要所として、この川がよく登場します。
この風景を見ながら、僕はしばらく、ボーっとしていました。
こういった何もない場所でも、歴史を感じることが出来るものなんですね。
芭蕉に感化されたわけではありませんが、そんなことを考えておりました。
僕はそれまで、城でも寺社でも記念館でも、何かがないと目が向かなかったのです。
今回の旅行は、アタリもハズレも含めて、そういった「箱もの」ばかり巡っていたように思います。
最後の最後に、それが間違いであったことに気付いたのは、大きな収穫でした。
毛越寺(もうつうじ)
高館義経堂(たかだちぎけいどう)
無量光院(むりょうこういん)跡 …等々。
高館義経堂とは、名前の通り、源義経に関係のある場所です。
兄の頼朝が天下を取った後、その功労者であるはずの義経は失脚させられました。
そこで彼は、青年期を過ごした平泉に身を寄せたのです。
当時のこの地の覇者、奥州藤原氏に与えてもらった土地が、この高館。
ここは、義経が最終的に自害したとされる場所でもあります。
奥州藤原氏にとって、この義経を匿ったことこそが、滅亡の原因となりました。
頼朝は、それを口実に平泉へ攻め入ったわけですからね。
この地は、日本史上の大事件に関わっているのです。
江戸時代になって、松尾芭蕉はこの高館で句を詠みます。
「夏草や 兵共(つわものども)が 夢の跡」
おそらく、このような風景を見て感じるものがあったのでしょう。
…季節が正反対ですけどね。
ここに写っているのは北上川。
岩手県から宮城県まで流れる、東北一の流域面積を誇る河川です。
この周辺が「蝦夷」と呼ばれていた時代には、朝廷との境界線の役目も担っていたようです。
高橋克彦の小説『炎立つ』などには、戦略上の要所として、この川がよく登場します。
この風景を見ながら、僕はしばらく、ボーっとしていました。
こういった何もない場所でも、歴史を感じることが出来るものなんですね。
芭蕉に感化されたわけではありませんが、そんなことを考えておりました。
僕はそれまで、城でも寺社でも記念館でも、何かがないと目が向かなかったのです。
今回の旅行は、アタリもハズレも含めて、そういった「箱もの」ばかり巡っていたように思います。
最後の最後に、それが間違いであったことに気付いたのは、大きな収穫でした。