Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

賢治から戻って、再び、ではなく…

2012年03月10日 | 朗読・声の周辺


■日付が若干戻りますが3月9日(金)は昭和区の「リチル」さんでの @litir_books さんでの「猫の集会」を開催しました。宮澤賢治の「猫の事務所」を可能な限り事前にお読み頂いた上でお集まり頂き、感想を言って頂いたり、主人公的存在の「かま猫」を想像で描いて頂いたりしつつ、最後は私の朗読を聴いていただくという流れでお送りしました。寒い中お集まり頂きました皆様、本当にありがとうございました。次回もある詩人を取り上げてやろうという話を早速してきました。詳細が決まりましたらまたお知らせします。
■そして昨日は1月末に通信状況の悪さから配信を断念した「Advance Theater PJ」の仕切り直しを名鉄岐阜駅の近くで(こっそり)行ってきました。いわゆる路上、街中でのフリー・インプロです。しかしほんと自分も含めて悪い人たちですねえ。いや、関係各位には大変ご迷惑をおかけしました。もうたぶん同じ場所ではやりませんので許して下さい。たぶんですけれど…。
■そういう楽しげな時間を過ごして、ひとりで帰途につく駅のホームに立ってみると、ふっと心がどこかへ飛んで行ってしまうような感覚に、今夜もとらわれたのでした。特にここ1週間、しだいに声が大きくなっている周りに対し、次第に感覚が鈍磨し、何も感じなくなってしまうのが嫌で、意識的に情報を遮断した環境に自分を置いていました。震災直後の1週間がそうであったように、テレビを点けていた時間は通算で30分もなかったのではないかと思います。それよりも自分の眼で実際に見てみよう。誰かの言葉を通じて今後を考えるのではなく、まずは能動的に感じてみようと考えたのが、先週の東北行きの理由でありました。
■特に、一大漁業基地である気仙沼、大船渡とは異なり、陸前高田の街に強烈に感じた「完膚無きまで」な感じ。もともと主要な産業が高田松原を中核とする観光であったからでしょうし、その規模もあまり規模の大きなものではなかったのかとも思えてしまうくらいに、公共施設も骨組みしか残っていませんでした。街を旧市街から「昭和のバイパス」「平成のバイパス」の走る海側へと導いたはずの鉄道の線路も大部分が流されて、かつてここに人口27,000人の市の中心があったことが想像し難い状況は、とても辛い、辛すぎてたまらないことではあるのですが、観ることができてよかったと思います。
■「絆」は嘘くさいという言説があります。がんばろう日本と言うくせに瓦礫を受け入れないじゃないか、とか吹き上がっている方もたくさんいらっしゃいます。対して、放射能が怖いんだ!子どもを守れ…!-ほとんどの言い分に一面の正しさがあること、よくわかります。しかし、自分が帰り着いて思い当たるのは、直接被災に遭わなかった私たちは、せめて落ち着け!ということなのです。原発が弾けふるさとを捨てざるを得ない状況に追い込まれた皆さんを支えるために、自らが抱える何かの不足や欠乏や不満をエンジンにせず、それぞれの日常を生きるということこそ、見直されるべきなのではと思います。
■しかし、これは言いたいことは黙れ、意思表示をするなということでは全くないことを、蛇足ながら付け加えます。震災以前の日常は、1年後の日常とはまるで違うものであり、さかのぼればこれらは「おくのほそ道」が生まれた土地で起こりました。「ゆくかわのながれはたえずしていきかうときもまだたびびとなり」という冒頭の一節の捉え直せば、よこしまな主張や行き過ぎた憐れみも形を変えてゆく気がしてならないのです。甘いかもしれませんが、そう信じているのです。


■私は私のできること、と同時に、私のしたいことも。(財)日本文芸家協会を通じて著者の方の許諾が取れ次第、現地での朗読の模様をチャリティページへのリンクと共に掲載するという形で、今回の旅の総括としたいと考えています。悲しみを共有する1年から、それぞれの日常を並べる再びの1年へ。そういう意味合いであれば、3月11日を区切りとする意味はあるように思います。最後に、東日本大震災並びに東京電力福島第一原子力発電所の事故により被災されたすべての皆さんに深い哀悼の意を捧げるとともに、震災前より充足した生活基盤を1日でも速やかに手に入れられることを心よりお祈りしております。

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