Notes3~ヨミガタリストダイアリー

名古屋市在住の俳優/朗読者・ニシムラタツヤの演(や)ったり読んだりの覚え書き

劇団放電家族第5回「檸檬」

2010年10月13日 | ヨミモノ・キキモノ・ミモノ
■最近、台所に買ってきた麻薬が目についてしょうがなくて困っています。いや、持ったり使ったりするとお縄になる種類のものではなくて、瓶の外側には「ぶっかけラー油」と書いてあります。あ、かけて食べる白いご飯がある意味ヤクみたいなもんか…。と、いうわけでまったくつながっていませんが10月11日(日曜日)3ステージ公演の3回目、公演全体としても千秋楽を拝見しました。
■この春のオレンジスタでもご一緒させて頂いた天野順一朗(演出)さんが、開演前に出演者を全員紹介してからスタートするというあまり見ない形で始まったのですが、ああ、出演者それぞれも改めて自分で名乗るのね、と思った時点ですこしクドさを感じては入り込めなくなってしまいました。タイトル通り、梶井基次郎の小説が下敷きになっていて、おそらくそれを浮き立たさせるためもあるのでしょう。出演者全員は抽象的な黒一色の上下、足袋で動きやすくして場面の変化とともに次々に役を変わる。こういう演出の場合、出演者と配役を固定しない代わりに必要な軸をどこに求めるかというのが大切になってくるような気がします。
■観客からすると、どこかある一点に意識を置いて、舞台上の変化について行く姿勢をとります。少なくともこの時の自分もそうでした。テキストに梶井色を出すのか?あまり出ないなあ。丸善デパートも出てこないなあ。9.11とどういう風に絡んでくるのかなあ、檸檬の爆発=航空機の突入とつなげるには余りに説明不足だったように思います。出演者の身体だったりその他演技の各パーツだったりかな?マイムで描く喫茶店のテーブルとか各個人によって高さが違うしなあ、さっきと今はどこかで切れているのか、そのままつながっているのか、臓器移植を待っていた少女のおじいちゃんと、病院を乗っ取ろうとした子どもの父親は同一の俳優が演じていたが、本当に違う役だっただろうか。実は血縁のつながりとかあるんじゃなかろうか、とか…。
■出演者にとっても、抽象を舞台上で扱うのは非常に注意を要するし、怖いものだ。そういうことを観客の立場から教えて頂くことになった作品でありました。最後に、あまり関係ありませんが、えいっ。

檸檬 (集英社文庫)
梶井 基次郎
集英社


梶井基次郎 (ちくま日本文学 28)
梶井 基次郎
筑摩書房


檸檬
梶井 基次郎
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佐藤 秀明
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