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偶然ネットで見つけました。
開拓農民の傍ら、画家としてベニヤ板に絵を描いていたそうです。
こんな画家が北海道にいたとは…絵もインパクトがありますが、以下に引用しますように、文章の力強さと、時代を見極める鋭さに感動しました。
一芸術家の感性に触れたような気がします。
詳しくはこちらのページで↓
http://kandanissho.com/
生命の痕跡 ――― 神田日勝
≪1969(昭和44年)6月18日≫ 北海タイムス掲載
利潤の追求と合理主義の徹底という現代社会の流れのなかで人間が真に主体性のある生き方をすることは、きわめてむずかしい時代になってきた。
今や人間の存在理由は、個々の内部にはなく巨大な社会のメカニズムを構成する一兵卒として、好むと好まざるとにかかわらず、 不安やあせりを内包したまま、無表情に一定のイズムに向かって押し流されてゆく。
そこには、主体的な個性とか抵抗は、全く許されない。現代コマーシャリズムの尺度に合わされた無個性な思考と、 生活を営む画一的な人々の悲しい行進なのだ。
そして自分がまぎれもなく、その悲しい群衆のなかのひとりであることを認識するとき、たまらない無力感に陥る。 われわれの創造活動は真の人間復活を目指した、現状況へのささやかな抵抗かもしれない。 いや抵抗というよりは、むなしいヒステリックなあがきとでもいうべきか。あの白いキャンパスは己の心の内側をのぞきこむ場所であり、 己の卑小さを気づき絶望にうちひしがれる場所でもあるのだ。 だから私にとってキャンパスは、絶望的に広く、不気味なまでに深い不思議な空間に思えてならない。
私はこの不思議な空間を通して、社会の実態を見つめ、人間の本質を考え、己の俗悪さを分析してゆきたい。
己の卑小さをトコトン知るところから、我々の創造活動は出発するのだ。あの真っ白なキャンパスの上にたしかな生命の痕跡を残したい。