memo

移転準備中

キスより甘く激しくパイロット版

2009年03月19日 19時52分28秒 | おおふり雑記
「遠慮しとく」
 と花井は言った。

 ああまた悪い癖じゃん、と思う。
「向こうから来いって言ってくれたんだから、
遠慮なんかしなくていいんだぜ?」
 ぐっと身を乗り出すダイニングテーブルの反対側に、花井。
手元には広げたノートパソコン。
花井の会社はペーパーレスが進んでるとかで、書類はみんなその中だ。
一年目だということもあるし、多分性格的なものもあって、
花井はこうして仕事を持ち帰ることが多かった。
 田島が付き合いの飲み会に出てやっと帰宅しても、
こうして画面に向かっている。
パソコン越しでない花井の顔は思い出せないくらいだ。

 お互いが社会人になったのを機に一緒に暮らし始めて数ヶ月。
 これで一緒の時間が増えると喜んだのもつかの間、
なんだかんだですれ違いが多かった。まだ一度もふたりで遊びに出たことがない。
 それどころか、キスさえしばらくしていない。
そんな折、飲み会の途中で「ちょっと遅くなる」といつものメールを
打っていたのを目に留めた先輩が
「おまえの世話役なんてそりゃまた……。おごってやるから今度連れて来いよ」
と言ってくれたのだ。
「最近花井全然遊んでないし、たまには息抜きもしたらいんじゃね?」
 そう言葉を重ねると、花井はパタンとパソコンを閉じた。
「田島」
 やったその気になった!――と思ったのに、名を呼ぶ表情は険しい。

「遠慮しとくってのは、社会人用語で〈行きたくねぇ〉って意味だ」


「――なーんて言いやがったんですよ!あいつ!!」
翌日、二軍の練習が終わって再びの飲み会で、田島は叫んでいた。
 がん!とグラスをカウンターに叩きつける。
「せっかく誘ってやったのに!」
「まあまあ。俺も野球好きなら来りゃいいかなんて
気軽に言っちまったけど、考えてみりゃ知らない奴だらけで気ィ遣う
だけかもしんねえしな」
「じゃーそー言やいいんスよ!なにもあんな言い方!」
 田島は大方の予想通り野球で大学に進学し
(「多分それ以外はムリだった」本人談)、その後プロに進んだ。
開幕一軍入りを許されるほどさすがに甘くはなかったけれど、
「小さな四番」のイメージは人気回復を狙う経営陣的にも
なにかとオイシイらしい。
 二軍グラウンドでの練習中にテレビ局が入ったり、
他球団の同期と一緒に雑誌のインタビューに応じたりと、
なかなか忙しい日々だ。
 付き合いの飲み会も、こうして頻繁にある。

 とは言え、自分は帰宅すれば気持ちの切り替えが出来る。
むしろ携帯やパソコンでどこにいても縛られる
最近のサラリーマンは大変だなといつも思ってる。

 花井の笑った顔を、もう長いこと見ていない。

 だから誘ったのに。
 あんな言い方されたら勘繰るじゃんか。
 花井、ほんとは俺と一緒に住みたくなかった?とか――

 バーテンが新しい酒をカウンターに載せた。
田島は早くも朦朧とし始めた視界の中でそれと気づくと、
先輩の方を手で指し示す。
 心得たバーテンは先に先輩選手の方へグラスを渡すと、すぐ
二杯目を用意して田島の前に置いた。
 先輩は口許でかすかに笑い、グラスを手にとる。
「――ま、会社員もいろいろ大変だからな」
「いろいろってなんスか!」
 つっぷしていたカウンターからがばっと起きあがって詰め寄る。
先輩は言葉に詰まった。
「いや……そりゃ俺も会社勤めしたことないからよくはわかんねーけど」
「わかんないのにテキトーなこと言ったのかよー!」
「ああ、悪かったって。つかおまえすっかりタメ語だな。
なんだよもー、結構だめな酒のタイプか?」
「ダメって、俺が? 俺がダメ!?」
「誰もそんなこと言ってねえだろ!ほら、しゃんとしろって。
球界の紳士たれってのがうちのモットーだろ。二軍と言えども――」
「おかわり!」
「もうやめとけって――」
 再びカウンターにつっぷしてぐずる。そのとき、
地上に続く店の出入り口を、誰かが駆け降りてくる気配があった。 

「――田島!!」

 聞き覚えのある声だ。というか。
「花井みたいな声だー」
 照明をしぼった店内は、ただでさえ薄暗い。
そのうえ酔いでぼんやりした視界の中、
声の主はまっすぐに店内をつっきって来た。
一瞬立ち止まったのは、隣にいた先輩に頭を下げたかららしかった。
「すみません。だいぶ酔ってるみたいなんで、
今日のところは連れて帰ってもいいですか」
「あ、ああ。むしろそうして?」
 気圧されたように先輩が応じて、ぐっと腕を掴まれる。
「帰るぞ」
「――ヤダ」
 低く絞り出して振り払う。
花井だか、花井のそっくりさんだかしらないけど、
俺は怒ってるんだもんね、と思う。
「――田島」
 帰ってくる声も低い。
「来ないっつったのに、なに来てんだ、よ!」
 伸びてくる腕を、めちゃめちゃに抵抗して逃れる。
子供のような所作に店中の視線が集まり始めていた。
 ため息交じりの声。
「……田島、」
 ――「しょうがないな」と言われたようで悔しくて、
まだそこにいた先輩にすがりついた。
「先輩こいつ追い返してくださいよー」


 次の瞬間、視界がひっくり返る。
 なにがなんだかわからないうちに、花井の肩に担ぎ上げられていた。


「……」
 差し出された冷たいタオルを無言で受け取り、額に乗せる。
ひんやりした感触にため息が漏れた。

 あのあと花井は、田島をかつぎあげたまま先輩に一礼した。
「ちょ……ッ! おーろーせーよー!」
 じたばた抗うのを顔色ひとつ変えずに無視して、
そのまま階段を上る。店外に出ると、捕まえたタクシーに
問答無用で押し込んだ。

 花井が、ベッドサイドにペットボトルの水を置く。
「酒の量は自分でコントロールしろ。プロなんだから」
「花井に関係ないだろ」
 子供のように軽々と扱われたことのいらだちが、
語気に現れてしまう。まぶたに載せたタオルごし、
花井が一瞬息を呑んだように思えた。
 自分で言葉をぶつけておきながら心もとなくなって、
タオルを除ける。花井はふっと微かに苦笑した。
「そうだな。子供じゃあるまいし。悪かった」
 キレるかと思ったのに――戸惑っているうちに花井は背を向ける。
 来客もあるから、寝室は別々にしてある。
と言っても普段はほとんど花井のベッドにもぐりこんでいた。
今日は流石にこのまま自分のベッドに寝ることになるんだろう。
 冷たいベッドに。
 ドアノブに手をかけたところで花井が足を止めた。
振り返りはせずに告げる。
「遅くなるときはメールくらいしろ。……一応、同居人なんだし」
 そんな言葉に、田島はベッドから飛び降り、花井の背に抱き着いていた。

 ワイシャツの背中は汗で湿っている。

 昨日の今日でムカついてたし、
連れて行かれた店がたまたま地下だったこともあって、
今日はメールをしなかったことを、田島はやっと思い出した。

 もしかして花井、かたっぱしから店を当たった――?
 
 広い背中に額を押し当てる。
「……ごめん。たまには楽しめとか言ったけど、
ほんとは俺、自分が楽しくやりたかっただけかもしんない。
花井が楽しくないかもなんて考えてなかったかもしんない」
 花井は黙っている。
「俺、しばらく飲み会なんか行かねーから」
 一緒にいたいなら、自分の都合に合わさせたらだめだ。
 素直にそう反省して告げた言葉だったのに、
花井の返事は意外なものだった。腰に回した田島の腕の中で振り返る。
「いやそれはだめだろ」
「だって、どーせあんなのギリの付き合いじゃん。
ほんとは俺、早く帰っておまえと――」
「上から面倒見ろって言われてんだろ。
期待のルーキーと酒飲むのもあの人たちには仕事のうちってこと。
もちろんおまえにとってもな。頼んでねぇとか駄々こねんなよ?」
「う」
言いたいことを先に言われてしまい、ぐうの音も出ない。
花井はいつも正しい。だけど。
「……花井はもっと一緒にいたいとか、思うときねえの?」
声が掠れてしまうのは、飲み過ぎた酒のせいなんだろうか。
震えるような気持ちで返答を待つ。
 元をただせば、むかついたり不安だったりするのはそのせいだ。
一緒に暮らしはじめたのに、帰って来ると花井はいつも
難しい顔でパソコンに向かっている。
見上げる花井はドアに背を預け、逃げるように顔を背けていた。
やがて苦しげに絞り出される言葉。

「……ねえよ」

「――」
 気が遠くなる。花井のワイシャツの胸を掴む指が震える。
力無く俯く首筋に、花井の少し怒ったような声が降り注いだ。
 
「おまえがさっさと帰って来て、ずっと俺のそばにいりゃあいいのにって思わない日なんか、ねえよ」

「……ッ!」
田島は花井の首根っこにしがみつき、唇を重ねた。
歯列を割り、舌をねじ込む。
花井の舌は始めかたちだけ逃げた。
必死で追い縋り絡み合わせると、逞しい腕が背中に回される。
「は……ッ」
 さっきまで逃げていたのは誰だと思うほど、
力強く抱きしめられた。体中が幸福な苦しさで満たされる。
 花井の、熱を持った舌を吸う。花井も吸い返してくる。
ぬらぬらした舌先が、舌先をくすぐる。
呑み下し切れない唾液がお互いの口腔にあふれ、ぐちゅっと音を立てる。
「ん、んん!」
 競うように舌を絡ませ合う。もつれるように後退すると、
ベッドに突き当たった。
 そのまま倒れ込み、やっと唇が離れる。
自然と組み敷かれる格好になって見上げると、
花井は眉根を寄せるところだった。
「……酒くせぇ。こっちまで酔う」
 田島は手を伸ばし、花井の頬に触れる。
そんな憎まれ口も、「一応同居人」なんて言ってみるのも全部、
不安だからだ。
 花井も不安なんだ。 

 田島は花井をまっすぐ見据えたまま、自分でシャツの釦を外した。 

「酔えよ。……もっと俺に」





   (続きは4月5日西浦祭3で発行の「キスでだまして」で!)

最新の画像もっと見る