>面白いことにそうやって自分で自分を認めてあげて、自分自身を生きると、だんだん外側からも認められていくもんですよね。
本当だね。
僕は若いころ、「みんなから好かれたい病」にかかっていて、いつも相手に合わせて自分を作っていたから、どれが本当の自分かわからなくなってしまっていた。
自分を小分けにして、それを小包にして、みんなに配ってたみたいな感じ。
そこまでしていたのは、よほど自分に自信が持てなかったからだろうな。
あの頃は何をするにも、人からどう思われるかが一番のテーマだった。
自分がどうしたいかじゃなくて、人がどう思うかが自分の人生を作っていた。
人に認めてもらうための人生だった
それがいまはどうだろう。
人に認めてもらうために何かをするんじゃなくて、自分が何かをした結果、もし認めてくれたらそれもよし、そうでなければよれもよしという生き方に変わった。
そしたらね、黒斎クンが言うように、まわりからの評価が上がったみたいな気がする。
人生は皮肉だね。
結局は自信のなさが、的外れな生き方をしていた原因だった。
でね、この自信なんだけど、いまは自信があるかって聞かれても、これといってどこにあるのかわからない。
おそらく自信なんてものは存在していない気がする。
特技に対する自信はともかく、自分という人間に対する自信なんて、ただの迷信だと思う。
でも「自分に自信がない」っていう状態は確かにある。
昔の僕がそうだったようにね。
したがって、この世にいるのは、「自信がない人」と「自信がある人」の2種類じゃなくて、「自信がない人」と「自信のなさが無くなった人」の2種類だと思う。
たとえば、我が家には猫が6匹いるんだけど、彼らは全員、自分が猫であることに自信なんか持っていない。
でも、自信のなさもない。
だからいつもあるがままに猫やっているよ。
ということは、我々が目指すべきは、自信を持つことではなく、自信のなさを無くすことだと思うんだ。
それって微妙に違うよね。
でもここんとこをしっかり見極めないと、的外れなものを追い求めることになっちゃう。
これって大切くない?(若者風に)
これって微妙~(若者風に)
↓
5万円札ありがとう(^o^)/
ダウンロードして来年の子供のお年玉にします。
本当だね。
僕は若いころ、「みんなから好かれたい病」にかかっていて、いつも相手に合わせて自分を作っていたから、どれが本当の自分かわからなくなってしまっていた。
自分を小分けにして、それを小包にして、みんなに配ってたみたいな感じ。
そこまでしていたのは、よほど自分に自信が持てなかったからだろうな。
あの頃は何をするにも、人からどう思われるかが一番のテーマだった。
自分がどうしたいかじゃなくて、人がどう思うかが自分の人生を作っていた。
人に認めてもらうための人生だった
それがいまはどうだろう。
人に認めてもらうために何かをするんじゃなくて、自分が何かをした結果、もし認めてくれたらそれもよし、そうでなければよれもよしという生き方に変わった。
そしたらね、黒斎クンが言うように、まわりからの評価が上がったみたいな気がする。
人生は皮肉だね。
結局は自信のなさが、的外れな生き方をしていた原因だった。
でね、この自信なんだけど、いまは自信があるかって聞かれても、これといってどこにあるのかわからない。
おそらく自信なんてものは存在していない気がする。
特技に対する自信はともかく、自分という人間に対する自信なんて、ただの迷信だと思う。
でも「自分に自信がない」っていう状態は確かにある。
昔の僕がそうだったようにね。
したがって、この世にいるのは、「自信がない人」と「自信がある人」の2種類じゃなくて、「自信がない人」と「自信のなさが無くなった人」の2種類だと思う。
たとえば、我が家には猫が6匹いるんだけど、彼らは全員、自分が猫であることに自信なんか持っていない。
でも、自信のなさもない。
だからいつもあるがままに猫やっているよ。
ということは、我々が目指すべきは、自信を持つことではなく、自信のなさを無くすことだと思うんだ。
それって微妙に違うよね。
でもここんとこをしっかり見極めないと、的外れなものを追い求めることになっちゃう。
これって大切くない?(若者風に)
これって微妙~(若者風に)
↓
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