最近,国際法曹協会会長を務める川村明弁護士(アンダーソン・毛利・友常法律事務所)へのインタビュー記事が日経に掲載され,法曹界で波紋を呼んでいます(以下のリンク参照)。
http://news.goo.ne.jp/article/diamond/nation/2012032803-diamond.html
この記事で述べられている川村弁護士の主張を箇条書きにしてまとめると,要するに
・現在の統一修習制度は,裁判実務家の養成に特化したものであり,現代的なニーズにマッチしていない。
・弁護士は法廷に立つだけが仕事ではない。
・諸外国ではどんどん弁護士の数を増やしており,日本で弁護士の増加が過剰だという議論は海外では通用しない。
といったものになります。川村弁護士に限らず,渉外系の弁護士には相変わらずこういった主張をする人が多く,それが法曹人口問題に関する議論を混乱させる原因になっているのですが,ここで注目したいのは,川村弁護士の挙げている数値的な根拠です。
「アメリカには約120万人の弁護士がいて、アメリカを訴訟社会にしていると言われる。しかし、これは違う。アメリカには「マーティンデール・ハベル」という弁護士名艦があるが、この120万人のなかで、自分を訴訟弁護士だと登録している人はわずか16万人しかいない。他は、ローファームで企業法務を扱ったり、企業や政府などのインハウスをしている「法廷に立たない弁護士」だ。
イギリスでも同じだ。約14万人の弁護士がいるが、バリスタ(法廷弁護士)は1万人以下だ。多くの国で、法廷に立つ弁護士はむしろ少数派であることがほとんだ。訴訟というのは、弁護士の業務の中でも更に専門性の求められる特別な分野なのだ。それなのに、日本では司法制度改革後も、弁護士を全員、裁判の専門家にしようとしており、異質感を拭えない。」
川村氏の指摘するとおり,日本の「弁護士」は,明らかに法廷に立つことを前提に教育された「法廷弁護士」であり,アメリカで言えば訴訟弁護士,イギリスで言えば「バリスタ」に近い専門職であると言えます。日本の弁護士は平成24年3月1日現在で32,107名に達しているそうですが,イギリスの「バリスタ」が1万人にも達しないというのであれば,イギリスの人口が6千万人ちょっとで日本の半分以下だということを考慮しても,既に日本の「法廷弁護士」はイギリスの水準を超えてしまっているということになります。
語学の世界では,英語の「lawyer」=日本語の「弁護士」である,と理解されてきた時代が長く続きましたが,最近は法曹制度に関する相互理解が深まってきた結果,アメリカの「lawyer」と日本の弁護士はあまりにも社会的実態が違うということが明らかとなり,英語では日本の弁護士を「lawyer」と表現せず,「bengoshi」と訳すことが多くなっています。その意味するところは,日本の「弁護士」は法廷業務の専門家であり,法廷に立たない法律専門家も含めた広い概念である「lawyer」を訳語に当てはめるのは不適切だということに他なりません。これと同様に,日本でも「lawyer」は本来「法律家」と訳すべき言葉であり,「弁護士」と訳すべきではないのです。
日本の「弁護士」=アメリカの「lawyer」という誤った認識を捨てることができれば,日本の法曹制度に関する問題点も,いままでとは違った認識で的確に把握することができます。
日本には,弁護士以外の法律専門家,川村弁護士のいう「法廷に立たない弁護士」がたくさんいます。弁護士と同様に法曹資格を持っている裁判官や検察官だけでなく,司法書士や行政書士,弁理士,税理士,社会保険労務士といった専門職は,イギリスの「ソリスタ」やアメリカの「lawyer」がこなしている業務の相当部分を引き受けていますし,法律学者や企業内で養成された法律専門家,そして法律事務所で勤務している事務職員なども「法律家」といえます。
日本の法曹養成制度は,従来法廷に立つことを前提に養成されてきた「弁護士」を「lawyer」と誤訳した上で諸外国の制度と比較し,日本の弁護士が少ないと繰り返しては無闇な増員を繰り返す一方,弁護士以外の「法律家」の養成という視点は全く欠けていました。その結果,日本の「弁護士」の数はたしかに増えましたが,安易な増員は確実に質の低下を招き,新人弁護士の就職難が弁護士人気の低下,法科大学院志願者の減少→さらなる質の低下という負のスパイラルを招いていることはこのブログでも飽きるほど繰り返して来た問題ですが,弁護士以外の「法律家」については問題がさらに深刻となっています。
まず,法科大学院の人気低下に伴い,大学法学部の人気も大幅に低下し入学志望者が減少傾向になっているので,やがては大学卒業者の多くも法律を勉強しなくなり,企業の法務担当者も質の低下は免れないでしょう。司法書士や行政書士など他の法律資格も,法学部の出身者がその主要な供給源であったところ,法学部が衰退すればこれらの質も低下するでしょう。
そして大学の研究者については,法科大学院の創設に伴い研究者を志望する人も法科大学院の卒業を義務づけた大学が結構あるようですが,その結果優秀な法科大学院修了者のほとんどは司法試験を受けて法曹実務家になる道を選ぶようになり,法律学の研究者を志望する人も激減するという事態を招きました。将来的には,法律学の教授も質が大幅に低下することは免れないでしょう(もっとも,法律学の教授に関しては,現状でも社会の役に立つような研究はほとんどしていないので,別にいなくなっても誰も困らないという議論はできるかもしれませんが)。
諸外国の制度と比較して誤解の原因になっているのは,日本には法廷外の法律事務を行う「法律家」(アメリカのlawyerやイギリスのソリスタに該当するもの)の制度がなく,法曹養成の政策は専ら「弁護士」をどうするかという議論に集中してしまっていることです。訴訟に関する高度の法的知識や能力が要求される法廷業務の専門家と,法廷以外の法律事務を行う専門家とは要求される教育水準や内容が全く違いますし,また日本の「弁護士」という制度は,既に前者の専門家として社会的にも定着しており,これを無理矢理後者の制度に改めることは現実的ではありません。
後者の専門家としては,現状では統一した資格制度も教育制度も整っていないので,まずは法律資格制度の大胆な再編が必要になるでしょう。例えば,以下のような改革を行うことが考えられます。
1 大学の法学部卒業者に統一試験を課して,その合格者に「法律士(仮称)」といった資格を付与する。法律士には現行法でいう行政書士並みの権限を認め,法学部出身者以外も一定の試験に合格すれば法律士の資格を付与する。
2 弁護士等になるための司法試験受験資格は,法律士の資格者に認めるものとする。なお,現行法下の弁護士,検察官,裁判官は当然に法律士を兼ねるものとする。
3 司法書士の資格は,法律士の中から一定の試験に合格した者に付与するものとし,名称も「上級法律士(仮称)」に変更する。上級法律士には簡易裁判所の訴訟代理権を認めるものとし,上級法律士として一定年数の職務経験を積んだ者には,司法試験を経ずに弁護士となる道も認めるものとする。他の法律専門職についても,法律士であることを受験資格とするなど,できる限り法律士の上級資格とする方向で検討する。
4 日本法律士協会(仮称)を設立し,法律士の資格者(裁判官,検察官などの公務員も含む)は協会に任意加入できるものとする。国は,法律士の資格者を法律職国家公務員の採用要件とするなど法律士制度の普及に努め,対外的には弁護士ではなく法律士を日本の法曹であると説明するよう努めるものとする。
このような制度設計が現実的に可能か否かはともかく,実際にはこのような「法律士」の制度が普及し,法律研究者も司法書士も行政書士も法律事務所の職員も企業の法務担当者もみんな「法律士」の資格は持っているという状態になって,はじめて日本の「法律士」とアメリカの「lawyer」を対等に比較できるというのが社会的実態なのです。川村弁護士のように,「弁護士」がアメリカの「lawyer」に相当することを前提に議論すると,すべてがおかしくなってしまうということは以上の説明でご理解頂けるものと思います。
渉外事務所に勤務し,法曹に関する国際機関の場にも出席しているような人であれば,日本の弁護士を「lawyer」であると説明することの弊害は黒猫などよりはるかに深く理解できるでしょうに,そのような問題を無視した強弁で従来の司法改革路線を擁護しようとする人が未だにいるのは残念でなりません。
http://news.goo.ne.jp/article/diamond/nation/2012032803-diamond.html
この記事で述べられている川村弁護士の主張を箇条書きにしてまとめると,要するに
・現在の統一修習制度は,裁判実務家の養成に特化したものであり,現代的なニーズにマッチしていない。
・弁護士は法廷に立つだけが仕事ではない。
・諸外国ではどんどん弁護士の数を増やしており,日本で弁護士の増加が過剰だという議論は海外では通用しない。
といったものになります。川村弁護士に限らず,渉外系の弁護士には相変わらずこういった主張をする人が多く,それが法曹人口問題に関する議論を混乱させる原因になっているのですが,ここで注目したいのは,川村弁護士の挙げている数値的な根拠です。
「アメリカには約120万人の弁護士がいて、アメリカを訴訟社会にしていると言われる。しかし、これは違う。アメリカには「マーティンデール・ハベル」という弁護士名艦があるが、この120万人のなかで、自分を訴訟弁護士だと登録している人はわずか16万人しかいない。他は、ローファームで企業法務を扱ったり、企業や政府などのインハウスをしている「法廷に立たない弁護士」だ。
イギリスでも同じだ。約14万人の弁護士がいるが、バリスタ(法廷弁護士)は1万人以下だ。多くの国で、法廷に立つ弁護士はむしろ少数派であることがほとんだ。訴訟というのは、弁護士の業務の中でも更に専門性の求められる特別な分野なのだ。それなのに、日本では司法制度改革後も、弁護士を全員、裁判の専門家にしようとしており、異質感を拭えない。」
川村氏の指摘するとおり,日本の「弁護士」は,明らかに法廷に立つことを前提に教育された「法廷弁護士」であり,アメリカで言えば訴訟弁護士,イギリスで言えば「バリスタ」に近い専門職であると言えます。日本の弁護士は平成24年3月1日現在で32,107名に達しているそうですが,イギリスの「バリスタ」が1万人にも達しないというのであれば,イギリスの人口が6千万人ちょっとで日本の半分以下だということを考慮しても,既に日本の「法廷弁護士」はイギリスの水準を超えてしまっているということになります。
語学の世界では,英語の「lawyer」=日本語の「弁護士」である,と理解されてきた時代が長く続きましたが,最近は法曹制度に関する相互理解が深まってきた結果,アメリカの「lawyer」と日本の弁護士はあまりにも社会的実態が違うということが明らかとなり,英語では日本の弁護士を「lawyer」と表現せず,「bengoshi」と訳すことが多くなっています。その意味するところは,日本の「弁護士」は法廷業務の専門家であり,法廷に立たない法律専門家も含めた広い概念である「lawyer」を訳語に当てはめるのは不適切だということに他なりません。これと同様に,日本でも「lawyer」は本来「法律家」と訳すべき言葉であり,「弁護士」と訳すべきではないのです。
日本の「弁護士」=アメリカの「lawyer」という誤った認識を捨てることができれば,日本の法曹制度に関する問題点も,いままでとは違った認識で的確に把握することができます。
日本には,弁護士以外の法律専門家,川村弁護士のいう「法廷に立たない弁護士」がたくさんいます。弁護士と同様に法曹資格を持っている裁判官や検察官だけでなく,司法書士や行政書士,弁理士,税理士,社会保険労務士といった専門職は,イギリスの「ソリスタ」やアメリカの「lawyer」がこなしている業務の相当部分を引き受けていますし,法律学者や企業内で養成された法律専門家,そして法律事務所で勤務している事務職員なども「法律家」といえます。
日本の法曹養成制度は,従来法廷に立つことを前提に養成されてきた「弁護士」を「lawyer」と誤訳した上で諸外国の制度と比較し,日本の弁護士が少ないと繰り返しては無闇な増員を繰り返す一方,弁護士以外の「法律家」の養成という視点は全く欠けていました。その結果,日本の「弁護士」の数はたしかに増えましたが,安易な増員は確実に質の低下を招き,新人弁護士の就職難が弁護士人気の低下,法科大学院志願者の減少→さらなる質の低下という負のスパイラルを招いていることはこのブログでも飽きるほど繰り返して来た問題ですが,弁護士以外の「法律家」については問題がさらに深刻となっています。
まず,法科大学院の人気低下に伴い,大学法学部の人気も大幅に低下し入学志望者が減少傾向になっているので,やがては大学卒業者の多くも法律を勉強しなくなり,企業の法務担当者も質の低下は免れないでしょう。司法書士や行政書士など他の法律資格も,法学部の出身者がその主要な供給源であったところ,法学部が衰退すればこれらの質も低下するでしょう。
そして大学の研究者については,法科大学院の創設に伴い研究者を志望する人も法科大学院の卒業を義務づけた大学が結構あるようですが,その結果優秀な法科大学院修了者のほとんどは司法試験を受けて法曹実務家になる道を選ぶようになり,法律学の研究者を志望する人も激減するという事態を招きました。将来的には,法律学の教授も質が大幅に低下することは免れないでしょう(もっとも,法律学の教授に関しては,現状でも社会の役に立つような研究はほとんどしていないので,別にいなくなっても誰も困らないという議論はできるかもしれませんが)。
諸外国の制度と比較して誤解の原因になっているのは,日本には法廷外の法律事務を行う「法律家」(アメリカのlawyerやイギリスのソリスタに該当するもの)の制度がなく,法曹養成の政策は専ら「弁護士」をどうするかという議論に集中してしまっていることです。訴訟に関する高度の法的知識や能力が要求される法廷業務の専門家と,法廷以外の法律事務を行う専門家とは要求される教育水準や内容が全く違いますし,また日本の「弁護士」という制度は,既に前者の専門家として社会的にも定着しており,これを無理矢理後者の制度に改めることは現実的ではありません。
後者の専門家としては,現状では統一した資格制度も教育制度も整っていないので,まずは法律資格制度の大胆な再編が必要になるでしょう。例えば,以下のような改革を行うことが考えられます。
1 大学の法学部卒業者に統一試験を課して,その合格者に「法律士(仮称)」といった資格を付与する。法律士には現行法でいう行政書士並みの権限を認め,法学部出身者以外も一定の試験に合格すれば法律士の資格を付与する。
2 弁護士等になるための司法試験受験資格は,法律士の資格者に認めるものとする。なお,現行法下の弁護士,検察官,裁判官は当然に法律士を兼ねるものとする。
3 司法書士の資格は,法律士の中から一定の試験に合格した者に付与するものとし,名称も「上級法律士(仮称)」に変更する。上級法律士には簡易裁判所の訴訟代理権を認めるものとし,上級法律士として一定年数の職務経験を積んだ者には,司法試験を経ずに弁護士となる道も認めるものとする。他の法律専門職についても,法律士であることを受験資格とするなど,できる限り法律士の上級資格とする方向で検討する。
4 日本法律士協会(仮称)を設立し,法律士の資格者(裁判官,検察官などの公務員も含む)は協会に任意加入できるものとする。国は,法律士の資格者を法律職国家公務員の採用要件とするなど法律士制度の普及に努め,対外的には弁護士ではなく法律士を日本の法曹であると説明するよう努めるものとする。
このような制度設計が現実的に可能か否かはともかく,実際にはこのような「法律士」の制度が普及し,法律研究者も司法書士も行政書士も法律事務所の職員も企業の法務担当者もみんな「法律士」の資格は持っているという状態になって,はじめて日本の「法律士」とアメリカの「lawyer」を対等に比較できるというのが社会的実態なのです。川村弁護士のように,「弁護士」がアメリカの「lawyer」に相当することを前提に議論すると,すべてがおかしくなってしまうということは以上の説明でご理解頂けるものと思います。
渉外事務所に勤務し,法曹に関する国際機関の場にも出席しているような人であれば,日本の弁護士を「lawyer」であると説明することの弊害は黒猫などよりはるかに深く理解できるでしょうに,そのような問題を無視した強弁で従来の司法改革路線を擁護しようとする人が未だにいるのは残念でなりません。
不謹慎さを指摘されても、なかなか受け入れようとせず、処置なしでした。