goo blog サービス終了のお知らせ 

空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

青木繁展

2011-06-28 21:49:13 | アート・文化

 京都国立近代美術館で開催中の「青木繁展」を見た。

 没後100年を記念して、関西では初めて開かれる回顧展だそうである。

 「わだつみのいろこの宮」や「海の幸」などは美術の教科書に載っていたりして有名なので知っていたが、画業全体を見渡す展覧会で、これだけの作品を見るのは初めて。

 28歳で逝った画家だから、作品数は多くはなかったけれども、青木繁という人が天才的な画家だったということがよくわかった。

 「海の幸」はさすがにすばらしい。後で描き直したといわれる群像の中の福田たねの表情が、思った以上に見る者に迫ってくる。

 海を描いた他の作品や、人物画(恋人・福田たね、たねとの間に生まれた長男・幸彦=のちの福田蘭堂の肖像画はとくによかった)、神話や聖書、歴史にインスピレーションを得て描かれた作品群にも心をひかれた。絶筆となった「朝日」はモネの「印象 日の出」よりよほどいい。

 技術もさることながら、絵に対する情熱、人間のとらえ方、文学的センス、神話・歴史に対する関心と想像力の豊かさが伝わってきて、28歳という若さで失意のうちに亡くなったということが残念でならない。

 明治という時代に、これほどの画家がいたということに改めて驚かされた。

 生前は世に知られず、亡くなった翌年、友人の坂本繁二郎、梅野満雄らによって遺作展が開かれ、さらに翌年、画集が刊行されたことで、人々の絶賛を浴びたことも、初めて知った。

 もし、彼らの行動がなかったなら、青木繁の作品は世に知られることなく散逸していたかもしれないのだ。

 友人たちが苦労して遺作展を開かずにはおられなかったほど、青木繁という画家はすごい存在だったのだろう。

 


佐渡裕×ベルリンフィル

2011-06-12 23:40:08 | アート・文化

 土曜夜には、NHKBSで、佐渡裕さんが指揮したベルリン・フィル定期演奏会を聞いた。それに先立って放送された密着ドキュメンタリーも見た。

 佐渡裕さんは、阪神大震災前に私が住んでいた西宮市に創設された兵庫県立芸術文化センターの芸術監督で、佐渡さんが指揮する定期演奏会やオペラはいつもチケットが売り切れる。いつか聞きたいと思いながら、生で聞いたことがない。

 ベルリン・フィルは、歴代指揮者がそうそうたる顔ぶれで、カール・ベームのあと常任指揮者に着任したカラヤンでさえ手を焼いたという伝説がある。

 佐渡さんも、ファースト・コンタクトと言われる練習で、ショスタコービチの5番を、自分の解釈で演奏してもらうのに苦労したようだ。はじめは、いちいち演奏を止めて説明が入ることに、団員は戸惑っていたが、だんだん佐渡さんの意図が分かってくると、指示通りに演奏するようになる。

 演奏曲目は、武満徹の「フロム・ミー・フローズ・ホワット・ユー・コール・タイム」、ショスタコービチの交響曲第5番。どちらもベルリンフィル側からの希望だそうだ。

 「フロム・ミー……」がすばらしかった。カーネギーホール100周年を記念して、ボストン交響楽団と小沢征爾のために委嘱された曲だそうだが、武満らしい、自然と交流しているような音楽だ。とくにパーカッションは、東北地方大震災で破壊された大地を吹き渡り、もろもろの命や人々の心の傷をやさしく癒して天に戻っていく風のようだと思った。

 ショスタコービチの5番は、学生時代から聞き慣れたバーンスタイン、NYフィルの、ロシアの大地のような重厚な演奏が刷り込まれているので、最初のうちは違和感があったが、第1楽章が進み、第2楽章、第3楽章と聞くうちに、佐渡さんの演奏に引き込まれていった。

 佐渡さんが、第3楽章はレクイエムだと言ったように、やはり、東北大震災とイメージが重なって、泣いてしまった。第4楽章の闘争的な音楽も、立ち上がる人々の姿が重なって、感動的だった。

 団員が舞台から去っても聴衆の拍手は止まず、佐渡さんが舞台袖に出てきて挨拶していたが、聴衆も、きっと、東北大震災と演奏曲目とを重ねて聞いて、心が揺り動かされたにちがいない。

 佐渡さんの心の中にも、東北大震災の被災地や人々への祈りがずっとあったと思う。

 この時期に、佐渡さんがベルリン・フィルを指揮したことに、何かの意思が働いているように感じる。


白川静×内田樹

2011-06-12 01:24:47 | アート・文化

 土曜日、雨の中を、立命館大学(衣笠キャンパス)に行ってきた。内田樹・神戸女学院大名誉教授の「私が白川静先生から学んだこと」という講演会を聴講するためである。

 新聞に「先着500人、直接会場へ」と出ていたので、午後2時開演の2時間前に行ったら大丈夫だろうと出かけたが、ひょっとしたら事前申し込みが必要なのではと心配になり、万が一、講演を聴けなかったときのために、大学近くの龍安寺や仁和寺でも拝観してまわろうと、駅の売店で京都の地図を買った。

 立命館大は、今は北西端の衣笠山麓に引っ越して、交通の便が悪い。私鉄、京都地下鉄と電車を乗り継いで、二条駅バス停で待っていたら、運よくすぐにバスが来て、大学についたのは正午過ぎ。久しぶりに大学というところに足を踏み入れた。雨も上がり、広々とした構内には緑が多くて、気持ちがいい。

 会場の以学館に行ったら、まだ受け付けていなかったので、警備のおじさんに学食を教えてもらい、ご飯、鯖のみそ煮、ゴーヤチャンプルーでお昼を済ませて、再び会場に行くと、すでに数人が並んでいた。事前に申し込みをしていなくてもOKだったので、めでたく先着10人目ぐらいで会場に入れた。

 白川静先生は、もっとも尊敬する学者であり、人間的にも、男性としても魅力的で、私の理想の人である。晩年の文字講話を聞きに行って、ご高齢にもかかわらず、緻密かつ熱のこもったお話に感動した。

 内田樹さんからは、『私家版・ユダヤ文化論』『寝ながら学べる構造主義』を読んで目からうろこを落としてもらい、ブログを愛読しては、ものの考え方、現象のとらえ方を学ばせてもらっている。

 その内田樹さんが、敬愛する白川静さんについて、どんなことを話されるのか、興味深かった。私の中では、白川静先生と内田樹さんとが結びついていなかったから。

 白川静先生の『孔子伝』を軸にして話されたのがまず気に入った。『孔子伝』はご著書の中でも特に感銘を受けた本である。

 以下、講演要旨。

 白川静先生から学んだことは、その文体、祖述するという立ち位置、呪術的な世界構造という見方だという。

 まず、その文体を支えているものは、圧倒的な学問的素養という堅牢な外側と、その背景にあるやわらかな生活者の経験知である。これは、森鴎外、漱石、中島敦、石川淳など、漢文の素養のある人に特徴的な文体で、白川静先生はその最後の人だろう。

 2番目の祖述するということについて。祖述とは、先人の説を受け継ぎ、それを発展させて述べることと『明鏡国語辞典』にある。

 孔子は、周公の治績という理想的な過去の時代について述べることで、だから、われわれも努力することで、そのような素晴らしい世の中を作ることができるのだという可能性を示した。

 幕末から明治にかけての知識人の基本的な姿勢は、海外の最も良質なものを、自国の状況に合わせてパッケージにして、自国の読者に提示するというものだった。

 彼らには、だから、オリジナリティーがないという批判は当たらない。そもそも、オリジナリティーなるものは存在しないのだ。

 祖述するという立ち位置は、オリジナリティーという型にとらわれることから解き放たれ、主体性を回復するものである。

 師と仰ぐレヴィナスは「始原の遅れ」というふうに述べている。「私は他者に絶対的に遅れている」と覚知し、そこから出発するしかない。そういう覚知こそが人間性の核にあるものではないか。 

 白川静先生も、2000年前の古代中国について述べながら、一般論ではなく、同時代の日本人に向かって強いメッセージを放っている。

 3番目の呪術的世界構造という見方について。古代中国は呪詛と祝福に満ちていた世界である。この状況は、現代においても、基本的は変わっていない。

 米原子力空母エンタープライズ号に抗議する新左翼学生のいでたちは、ヘルメット、ゲバ棒、赤旗だった。これは戦国時代の兜、竹槍、旗指物と同じ、きわめて呪術的な光景で、自分の古層が揺り動かされたようなショックを受けた。

 いまの政治家を見ても、イデオロギーや政策論争よりも、プリミティブな身体感覚のやり取りで政党政治が行われている。

 天神地祇を祀るということを、どういう形で現代に回復するかが課題だ。

 大いに同感すると同時に、私が今、考えているいくつかの問題について、考えるヒントをもらった講演会だった。

 講演会場はほぼ満員で、集まった質問用紙はこれまでにない枚数だったと、司会の加地伸行・立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所長が驚いておられた。白川静ファン、内田樹ファン、両方のファンが集まったということだろう。

 来週、再来週も、白川静の『孔子伝』、白川静の漢字教育というテーマで講座が開かれる。できれば、また出席したい。


ルーシー・リー

2011-02-07 22:19:18 | アート・文化

 両親の介護契約が3月で切れるので、あらためて申請しなければならない。主治医の診察が必要なので、時間がかかる覚悟で両親を医院へ連れて行ったが、思ったより早く終わった。

 これ幸いと思い立って、友人を誘い、大阪市立東洋陶磁美術館で開かれている「ルーシー・リー展」に行った。

 彼女の作品は、テレビや雑誌で見たことはあるけれど、本物を見るのは初めて。東洋陶磁美術館では、1989年に三宅一生企画構成の展覧会が開かれているそうだが、その頃は仕事に追われていた時代で、ルーシーの存在さえ知らなかった。

  ウィーンから、ナチスの手を逃れてイギリスへ亡命、バーナード・リーチとの出会いを経て、ルーシー独自の陶芸の世界を確立し、88歳で脳卒中に倒れるまで、創作の情熱を失わなかった、そんなルーシーの芸術の軌跡をほぼ余すところなく伝えている展覧会だった。

 陶芸作品は壊れやすいので、これだけの作品を揃えるのは大変だったろうと思う。

 最初の展示ケースから、美しさに見入ってしまった。

 ルーシー・リーという人について、多くを知っているわけではないが、テレビ番組や写真を見たり、簡単な評伝などを読んだりして、私なりのルーシー像があった。

 彼女の作品から受ける感じは、そのルーシー像そのままだったのに驚いてしまった。ルーシーの魂が、そのまま作品になっているという感じなのだ。

 美しく、繊細だけれど、はっきりと自己を主張している、けれど押しつけがましさはない。まるで、森の中の花や木のように存在している。あるいは、風に乗って聞こえてくる音楽のようでもある。

 彼女のように歳をとりたいね、と友人は言った。

 陶芸作品が、人生まで教えてくれる、そんな展覧会だった。

 


アンリ・マティスの「ブルーヌード」

2011-01-17 21:51:32 | アート・文化

 実家では、家事や介護でテレビを見る時間がない。見たい番組はもっぱら自宅に帰った時に見ている。大体、地上波より遅れて、BSで再放送されたものを見ることが多い。

 先日、自宅に帰った日に、BSジャパンの「美の巨人たち」を見て、アンリ・マティスの「ブルーヌード」(アンリ・マティス美術館蔵のもの)が創られた経緯を初めて知った。

 晩年、マティスは癌の手術による体力消耗で油絵が描けなくなった。さらに、妻と娘がレジスタンス活動でナチスにつかまったりしたことで、精神的にも苦しかった時期、絵筆を持つ代わりに、色紙を切って作品を描く、切り紙絵で創作を続けた。

 青一色で描かれた「ブルーヌード」もそんな時期の1枚だ。

 私の好きな「ジャズシリーズ」も切り紙絵だが、そんな苦しい時期に作られたとは知らず、きれいな色彩と、弾けるような形が、落ち込んだ気分を明るくしてくれるので、絵葉書をずっと部屋に飾っていた。

 「ブルーヌード」が制作された背景を知って、あらためて作品を見ると、部分で微妙に違う青の色、はさみで切り取られたさまざまな形、下地に残された試行錯誤の鉛筆のあと、など、どんなことを思い、心身の痛みにどんなふうに耐えながらこの作品を創作したのか、いろいろ想像されて、涙が出た。

 一見、とてもシンプルな「ブルーヌード」が、実は、この世界のありとあらゆる物語を語っているのだ。

 雑然として真実が見えなくなった世界を、シンプルな形に切り取ることで、人々に真実を見せてくれる。

 「ブルーヌード」は、そのような芸術の真髄を、如実に示した作品だと言える。


上村松園展

2010-11-22 21:53:07 | アート・文化

 友人に誘われて、京都近代美術館で開かれている「上村松園展」に行ってきた。

 まとまった形で松園の作品を見るのは初めて。

 入ってすぐに、代表作の「序の舞」が掲げられている。

 気品と、静けさに加えて、内面的な強さが感じられる。思っていた以上に、名作だ。目の前の能舞台で、本当に舞を見ているような存在感だ。 

 父親を早くに亡くして、母親一人に育てられた松園。シングルマザーで、今よりははるかに男社会であったろう日本画壇において、自分の理想とする日本画を生涯、追求し続けた松園。

 年代によって、女性の内面の描き方が進化しているのが分かるような展示の仕方がしてあって、とても興味深かった。

 若いときには、六条の御息所を描いた「焔」や、恋に狂った女を描いた「花がたみ」のような、女の情念をストレートに出したような作品が好きだった。

 今回は、「序の舞」に見られるように、女性の喜怒哀楽はすべて中に秘められているような、松園60代以降の作品に心ひかれた。

 中に秘められているというより、喜怒哀楽が昇華されて、むしろ解放感さえ感じられる。

 松園は、自分の絵を見たときに、見た人の邪念が払われるような絵が描きたい、と言っていたそうだ。

 今日、松園の作品に接して、体も心も軽く、すがすがしい気持ちになった。

 本当に美しいものに触れると、人は、邪念が無くなる。