8月27日 8:40
京都の災害ボランティアセンタ―の方々も大島へ。
現地での写真撮影は禁止になっています。
帰りのフェリ―の中から撮った一枚。
この瓦礫の山が幾つもあります。
港近くに来ると 異臭がしました。伺ったお宅、小山由紀子さんの証言。
「 気仙沼 大島絆 新聞第1号 2011年6月15日発行より 」
◆ 地震の後、明治の大津波は家の門まで来たというので、
家には来ないと思い、裏の昔の馬頭観音前に避難した。
20分位たって第1波が家の田から入り、白幡さん宅、
はまなす荘と本宅を襲い、第2波はより高く強かった。
我が家の前の建物は3棟流され、母屋は3.5メ―トル
の波に抜かれ、座敷に田植え機、台所に息子のバイクがあり、
中の物全て外に流れ農機はつぶされ、醤油蔵、土蔵まで
海水につかりました。
商港からの火が島まで来て、光明寺、大島神社が焼ける
のではないかと心配しましたが、
神風のごとき風向きが変わり役所関係、自衛隊、消防団
の皆様、島民のお力で民家を焼かずにすみました。
私は、土葬にも立ち会い、毛布に包まれた遺体を皆で
持ち上げ入れ、釘を打つ人。
お棺を掘り起し火葬する時のためにビニ―ルに包む人。
ガムテ―プを張る人。
夢の中で流れ作業をしているみたいでした。
また火葬のためにお棺を掘り起しに行った時、
後ろの山の方から「 お~、お~ 」という人の声が聞こえ、
振り返っても人影はなく、まだ火葬していなかった所の土が
突然崩れ落ち、死者の最後の悲痛な嘆きや叫びでは
なかろうかと思い、涙が流れて止まりませんでした。
津波により奇跡や不思議な体験をし、改めて生かされて
いる事と周りの皆様に深く感謝いたしております。
皆さんと共に島の復興に貢献したいと願っております。◆
小山さんは農業を営み、柚子農家だそうです。
小学校の給食に柚子を無償て提供し、
体験学習の場としても解放していらっしゃったそうです。
NHKの取材も来たそうです。
「 おばさんわさっ、みんなみたいにボランティアなんて
出来ないけど、こうやって、みんなに助けてもらえるっ
てことは、昨日の夜、ふっと思ったんだあ―。
柚子の一つひとつがみんな一人ひとりに代わって
助けに来てくれてるんだって思ってるのお。
おばさんの勝手な解釈なんだけどお―。
ありがたいよな 」
柚子は3分の2が海水に浸かってしまったけど、
必ず再生させるともおっしゃっていました。
小山さん、これからも困難が沢山あるのに、
こうして私達を受け入れてくださって、
作業をさせてくださって、
お話をしてくださって、
本当に本当にありがとうございます。
気丈な小山さん。
どうぞ、こころ穏やかな日が
一日も早く訪れますことをこころより
いつもいつも祈っています。
「 昨日まではずっとくもりい―。
こんなに天気がいいの久し振りなんだよお―。
不思議だあ―よ 」
そして「 今度はいつ来るの 」
そのお言葉、こころのお土産・・一生忘れません。
また、来させていただきたい。