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キング・クリムゾンの来日公演:1984年

2018-09-25 10:14:58 | 日記
前回、キング・クリムゾンの1981年の初来日公演を取り上げたが、今回はその3年後に行われた1984年の来日公演である。来日したメンバーはロバート・フリップ、ビル・ブラフォード、トニー・レヴィン、エイドリアン・ブリューという初来日時と同じ4人。元来、キング・クリムゾンは1974年に解散するまでにリリースされたスタジオアルバム全てのメンバー編成が違っている。ところが1981年に再結成して復活してから以降の流れは、不動の同じ4人のメンバーで音楽活動を続けており、これには奇異な印象を受けたファンも多かったはずだ。しかし、実際に来日公演を体験すると、メンバーは同じでもその中身がかなり変化していた。まず、1984年の段階でスタジオアルバムを「ディシプリン」、「ビート」、「スリー・オブ・ア・パーフェクト・ペア」という3作品リリースしており、演奏曲目が増えた。

ただ、来日前に今回は前回よりも1970年代の過去の曲を多く演奏するのではないかという情報も流れており、これを期待したファンはさぞがっかりしたことだろう。ところが、実際にライブ体験すると、かなり用意周到に準備された構成で楽しめる内容になっていたのだ。まずコンサートの冒頭では、ビル・ブラフォードがステージに1人で登場し、様々な打楽器を即興で打ち鳴らしドラム・ソロを聴かせた。これはコンサートの序章を告げるような印象の演奏で、彼が過去に参加したアルバムの曲でいうと「太陽と戦慄PARTⅠ」を想起させる。その後に順番に残りの3人が登場し、即興演奏がダイナミックになってくると、「太陽と戦慄PARTⅢ」がはじまった。当時の私は個人的にこの流れに遭遇できただけでも相当な満足感を得れたのだが、その後の展開も凄かった。まず、エイドリアン・ブリューがギター以外に打楽器も演奏することになり、ビル・ブラフォードに合わせて爽快なリズムを刻んでいた。ビル・ブラフォードは日本の音楽誌のインタビューで、和太鼓を例にあげて打楽器は複数の人間で演奏するのが正道だと語っており、今にして思えばそんな彼のポリシーも感じられたような気がする。

そして初来日時に、我々日本人と共通する島国のイギリス人ロバート・フリップとビル・ブラフォードは、日本では初めて演奏したという経緯もあり、質の高い演奏を披露しながらも整然としてやや畏まっていた観があったのだが、この時は水を得た魚のように自由自在に演奏していた。その辺りはトニー・レヴィンがゲーリー・バートンのサポートで、エイドリアン・ブリューがデヴィッド・ボウイやトーキング・ヘッズのサポートで、それぞれキング・クリムゾンに加入する以前から日本での演奏を既に経験済みであった為、初来日時も日本慣れしたように伸び伸びと演奏していたのとは実に対照的だったのだが、この時はメンバー4人の一体感も強くまた相乗効果も抜群だった。

なお、この1984年の来日公演で演奏された1970年代の曲はアンコールでの「太陽と戦慄RARTⅡ」のみである。そしてこの1984年来日公演は当時、VHSヴィデオ映像で商品化もされていた。私が観た公演日とは違う為、コンサート冒頭のソロ演奏は、ロバート・フリップが担当している。ユーチューブで探せばフルタイムでこのコンサートの模様を視聴することができるはずだ。ロバート・フリップはソロ名義でリリースしたアルバムには、サウンドスケープというコンセプトの環境音楽のような作品が多いが、そのテイストを感じさせる静かな美しい音色からコンサートがはじまる。この後、キング・クリムゾンはライブツアーを終えてからバンド名義の音楽活動を休止し、80年代はほぼ解散状態になってしまう。再び彼らがキング・クリムゾンとして日本の土を踏むのは、90年代にそれ迄の4人から6人編成の新体制になってからである。





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