小さなナチュラルローズガーデン

木々の緑の中に、バラたちと草花をミックスさせた小さなイングリッシュガーデン風の庭。訪れた庭園や史跡巡りの記事もあります!

おめでとう!世界遺産「田島弥平旧宅」 ~島村の養蚕家たち

2014年06月24日 | アート・文化

今日は、ついに世界文化遺産に正式登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産のひとつ、伊勢崎市島村地区にある「田島弥平旧宅(たじまやへい きゅうたく)」に行ってきました。
「目指せ!世界遺産の伊勢崎市」を旗印に世界遺産登録を目指し、今まで島村地区で中心となって御活躍されてきた世界遺産伝道師の祥(さち)さんは、何年か前に御主人と我が家の庭にバラを見にいらしてくださいました。祥さんはじめ島村の皆さん、世界遺産登録!誠におめでとうございます!!

利根川河畔にある「島村蚕のふるさと公園」の駐車場に車を停めると、そこから「田島弥平旧宅」まで、親切な誘導員さんやガイドさんたちが明るい笑顔で出迎えてくださり、とてもいい時間を過ごせました。
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「田島弥平旧宅」の世界遺産としての価値や、「清涼育(せいりょういく)」という養蚕(ようさん)技術等についてはネット上に多くの情報が公開されてますので、ここでは割愛させて頂きます。
当ブログでは、田島弥平氏とはどういった人物だったのか?そして、弥平氏とともに活躍した島村の人々についてちょっと書いてみたいと思います。
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1822年(文政5年)、何度も繰り返される利根川の大洪水の最中、上野国島村の富裕な養蚕農家に田島弥平は誕生します。
若き日の弥平氏は父とともに東北地方で養蚕法を学び、試行錯誤を繰り返し、1863年(文久3年)には現存する主屋(おもや)「田島弥平旧宅」が築造されて、「清涼育」という独自の養蚕技術を確立したとされてます。
幕府が蚕種(さんしゅ・カイコの卵)の輸出を解禁すると、翌年の1865年(慶応元年)、それは「今でしょ!」とばかりに弥平氏が、幕末の早い段階から蚕種を横浜に持ち込んでいることから、その時代の変化への素ばやい対応がひときわ注目されます!
最先端の人力車をチャーターして横浜に向かい、行動派の弥平氏はハイカラなものを見たなら、そく自分で乗って体験してみるというチャレンジ精神旺盛な人物だったそうです。
この時、弥平氏が、幕末時代の横浜を行き交う馬車や、優雅に散歩する西欧婦人、風変わりな中国人といた異人ワールドと近代的光景を目の当たりにして、カルチャーショックを受けたことが、後の島村の同胞たちとのヨーロッパ進出につながってゆきます!
そして、幕末の「SHIMAMURA」ブランドは世界にその名をとどろかせ、島村の蚕種業は黄金時代を迎えるのでした。

時代は明治となって、1879年(明治12年)、田島弥平、田島善平(ぜんぺい)、田島弥三郎(やさぶろう)、同郷の三人を乗せた船はイタリアに向かい、外国人の仲介なく自分たちの手で直接、蚕種をヨーロッパに売り込むという第1回直輸出(じきゆしゅつ)へ旅立ちます。
それは群馬県人にとっても、最初の世界一周旅行になりました。
旅先から島村に送られた弥平氏の手紙には、家族への愛情、可愛い孫への教育、産業が発展して村が豊かになるようにといった熱い思いが綴られてました。

そうした中に彼等は異国人との交流を通して、キリスト教とも出会うことになりました。田島弥平氏自身も、キリスト教徒であったと言われています。
或いは明治初期に、島村の蚕種家たちが横浜の商館に出入りしているうちにキリスト教に接したのが、島村のキリスト教の始まりであったそうです。彼らは、その教えと宣教師の人格に感銘を受けて、信仰に導かれてゆきました。蚕種が信仰の礎を築き、そのように島村の蚕種業とキリスト教は密接な関係がありました。
特に弥平氏とともにイタリアから帰国した田島善平氏は信仰心厚く、1886年(明治19年)には宣教師を自宅を招いてのキリスト教演説会を開き、その年に善平氏、田島弥三郎氏の息子の啓太郎氏はじめ多くの人たちが洗礼を受けました。そして翌年は待望の「島村教会」が創立されることになります。
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島村に現在も存続する日本基督教団「島村教会」。1897年(明治30年)に建てられたこの教会堂は、「ぐんま絹遺産」としても登録されたたいへん貴重な建物です。今も毎週日曜日には、敬虔なクリスチャンの皆さんにより礼拝がささげられています。

弥平たちのイタリアへの蚕種直輸出はその後も継続され、第3回目からは弥三郎氏の息子の田島啓太郎氏に白羽の矢が立ちました。
啓太郎氏は帰国の際に7台の顕微鏡を持ち帰り、蚕種業の大敵であったカイコの微粒子病(びりゅうしびょう)の除去に成功する大きな功績を残しています。
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ヨーロッパから持ち帰った顕微鏡と、イタリア滞在中の啓太郎氏(右から2番目の背の高い男性)
しかし、やがて啓太郎氏にも挫折が待っていました。第4回目の蚕種直輸出は業績不振で失敗に終わり、それがいつまでも心の重荷となって罪責感にまで達するようになりました。
そんな啓太郎氏にもキリスト教との出会いが訪れ、イエス・キリストを自分の救い主(すくいぬし)として信じて受け入れた時から、抱いていた罪責感は取り除かれ彼の心に平安が戻りました!
聖書の中に次のようなイエス・キリストの言葉があります。「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)

明治23年、田島啓太郎と家族は開拓のために栃木県の西那須野村に旅立ちました。翌年は、利根川の洪水で住まいを失った島村教会の数家族の信徒たちもそこに移住して、明治26年にはその地に西那須野教会が誕生します。
教会堂建築に必要な木材は、島村出身の官僚、金井之恭氏(ゆきやす)が塩原の山林から提供し、島村教会から資金の援助もあり島村との絆は強かったそうです。啓太郎氏は西那須野村の村長となり、その後の彼等は村の発展に大きく貢献してゆくことになります。
明治の島村と西那須野の信徒たち・・・ 現在もその末裔である皆さんのあたたかい交流は、そのまま継続しているそうです。
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田島弥平旧宅の近くに、こんな可愛いお花を飾ってガーデニングされている養蚕農家さんを発見しました?
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今日、田島弥平旧宅に向かう途中の桑園に残された小さな桑の木。この桑の葉を食べて、カイコはぐんぐん成長します。

Once Upon a Time in Shimamura・・・
かつての島村の養蚕家たちの残した華々しい歴史を思う時、そこに、神様により導かれた壮大なるドラマを思わされました。
世界遺産に輝いた「田島弥平旧宅」をシンボルとして、今、島村の地では新たなるスタートラインに立って、21世紀の新しいドラマが始まろうとしています!!


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6 コメント

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ハポス田島さん、 (鳩ぽっぽ)
2014-06-26 23:58:39
ハポス田島さん、
素敵なお返事をありがとうございます!
とくに、Once Upon a Time in Shimamura・・・に注目してくださって嬉しいです!!
昔、映画館で見たロバート・デ・ニーロ主演の「Once Upon a Time inAmerica」が今でも印象深く、かつての島村の 蚕種家たちのストーリーとオーバーラップしてました。
もしも島村の物語を映画化したら、エンリコ・モリコーネの哀愁帯びた音楽♪も、そのまま合ってしまいそうです。
またまた、映画化の原作なら、「上州島村シルクロード」だったら素晴らしいと思います!
勝手に映画の話に飛んでしまいすみません。m(__)m 
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島村さん、 (鳩ぽっぽ)
2014-06-26 23:40:17
島村さん、
すみません。西那須野は栃木県でした!! 
さっそく訂正させて頂きました。。(汗)
ご指摘頂いて助かりました。どうも、ありがとうございました。m(__)m
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西那須野は福島県でしたっけ? (島村)
2014-06-26 23:01:43
西那須野は福島県でしたっけ?
栃木県かと思っていましたが。
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鳩ぽっぽさんのブログ、拝見させていただきましたm... (ハポス田島です(*^^*))
2014-06-26 08:12:46
鳩ぽっぽさんのブログ、拝見させていただきましたm(__)m
素晴らしい島村の記事を書かれているのですね!
鳩ぽっぽさんの記事を読んで、当時の島村のストーリーを甦らせては、感激しています(ToT)
まさに、once aponn a time in SIMAMURAであります♪
僕のブログ『ハポスのブログ』にも丁寧なコメントをありがとうございますm(__)m
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Kogure先生、変換ミスを発見してくださって... (鳩ぽっぽ)
2014-06-25 23:36:26
Kogure先生、変換ミスを発見してくださって非常に助かりました!
直すのは「今でしょ!」の声も聴こえ、さっそく訂正させて頂きました。
きょうはブログのアクセス数も50を超えてウナギのぼりです。さすが、世界遺産ですね!!
特に皆さんから注目されているキリスト教!に関する箇所は、もう一度、島村教会さんの資料を拝見しての念入りな手直しもやっておきました。
これで少しは、S先生にご覧いただいても・・・セーフでしょうか。。(汗)
参考資料はこちらです。 http://www16.plala.or.jp/simamura2/ko26.pdf#search='%E7%94%B0%E5%B3%B6%E5%96%84%E5%B9%B3'
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とても楽しい島村のご紹介ありがとうございます。 (Kogure)
2014-06-25 16:39:10
とても楽しい島村のご紹介ありがとうございます。
”それは「今でしょ!」とばかりに”・・・はおもしろいです!

PS.「独自の養蚕技術を確率・・・」は確立の変換ミスですね。
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