小さなナチュラルローズガーデン

木々の緑の中に、バラたちと草花をミックスさせた小さなイングリッシュガーデン風の庭。訪れた庭園や史跡巡りの記事もあります!

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の旅・太田編

2015年12月10日 | 旅行記

岡登景能公の碑を見た後は、太田編のメインとなる太田金山(かなやま)を目ざしました。
呑龍様でよく知られた大光院の横の道を通って金山に向かうと、麓に紅葉の名所・金龍寺があります。モミジが紅く染まると人で賑わい、まるで京都に来たかのような名刹です。


金龍寺は、群馬の上毛かるたにある「歴史に名高い新田義貞」ゆかりの寺で、「金龍寺」は義貞公の法名にちなんだ寺名になってます。新田義貞公は上野国新田荘(こうずけのくに にったのしょう・現在の群馬県太田市)で挙兵し腐敗した鎌倉幕府を滅亡に追い込み、後醍醐天皇を中心とした「建武の新政」を行ったというのは日本史の教科書あった通りです。


金龍寺本堂裏にある新田義貞公の供養塔(最上段、奥の塔)並びに、義貞公の末裔にあたる横瀬氏~由良氏・歴代金山城主の五輪塔。


金龍寺から車で数分で、金山ドライブウェイ終点の駐車場に到着します。ここから山頂まで、園路を徒歩で約20分歩きます。金山(標高239m)には戦国時代に造られた難攻不落の山城・金山城跡が発掘復元され、「日本100名城」にも選定されています。


金山城跡・大手虎口(おおてこぐち)・・・金山城の中心部・実城(みじょう、本丸)への出入口で、堂々たる石積み、土塁石垣で敵を威嚇する一大防御拠点です。
昭和40年代に小学生の遠足ではじめて金山に来た時は、ここは土砂に埋没した普通の山でした。ところが平成7年(1995年)から始まった発掘調査復元事業の後に訪れ、この大手虎口の光景を前にした時は、まるで黒澤明監督の「乱」か「影武者」の世界のようでとても驚きました!
またこの発掘調査で、戦国時代に築城された関東の山城では石垣はなかったという、城郭史の定説を覆すことになったそうです。


大手虎口上部の曲輪(くるわ)、井戸跡。 ここまで来れば、もう金山の山頂も近いです。


山頂付近になると急に視界が南に開け、展望台からは眼下に太田市の街並み、利根川、そして遠くに東京スカイツリー、新宿高層ビル群、秩父連山、富士山が望め、ここは国土交通省の「関東の富士見100景」にも選定されてます。
この日も非常に天候に恵まれ、秩父連山の向こうに富士山が見えました! 画像上部中央にうっすらと白い富士山の山頂部が見えてます。


金山山頂にある新田神社
金山の山頂=金山城の本丸跡には、明治時代になると新田義貞公を祭神とした新田神社が建立されました。
群馬県令時代、楫取素彦氏は群馬の歴史や文化を見直すことで、人々の郷土愛を育む取り組みを行いました。そしてこの神社の保護にもつとめたといいます。新田神社は、「花燃ゆ」番組終わりの「花燃ゆ紀行」でも紹介されました!


新田神社拝殿の横には、かつて参拝に訪れた昭和天皇、大正天皇はじめ皇族方の「御腰掛石」なる石が並んでいます。
昭和天皇が訪れたのは明治42年11月ということで、僅か8歳の少年時代の出来事になります。3年後には明治天皇が崩御し、皇太子時代が始まります。


新田神社境内から望む、南東方面の風景。 画像右手前にある石の囲いのようなものには「宮城遥拝所」と彫られてます。
戦中、戦前はここから遥かかなた皇居の方向を向いて、天皇を拝んだ風習があったのでしょう。


金山城跡・物見台から北方向を望むと、日本百名山「赤城山」や「日光男体山」の景色がとても綺麗です!
金山の麓から藪塚方面にかけての山々の紅葉、その間を北関東自動車道が横切っています。
赤城山ビューポイントの情報にも詳しいGo!伊勢崎の丸男さんに提案したいのですが、ここを「関東の赤城見100景」の一つとしてはどうでしょうか!

報告が遅くなりましたが今年の11月19日よりGo!伊勢崎の管理人である丸男さんがGo!伊勢崎の「日本のまち歩き」コーナーにリンクを張っていただき、鳩ぽっぽのブログ記事を紹介してくれることになりました。

このアイコンのある記事が、鳩ぽっぽのレポート記事です。西友のプライベートブランド「みなさまのお墨付き」ではありませんが、ブログを開設して苦節2年、遂にあのGo!伊勢崎さんからお墨付きをいただくことができました。(涙)
Go!伊勢崎さんの日本のまち歩きコーナーは、こちらをご覧ください。→http://www.walk-town.com/index_area.htm
(上記の紹介文は「日本のまち歩き」の模範ブログ「ほぼにちパート2」さんの貴重な記事を参考にさせて頂きました。)