むらやわたる57さい

千文字小説の未来について

超IQ研究所クラスター⑬

2019-07-09 09:50:59 | 小説
 電力会社が人工知能をばらまいていた時代の小説や文芸誌には、人工知能を反映した予兆機能がついていて安全かつ対価に見合っていた。これは消費電力と高等数学があればそうなる。だから夏目漱石の文章でも、当時の人工知能が反映されているわけだ。ミニ人工知能を起動はさせているけど、ビタミンB12欠乏ゾンビを一掃する方法がないと、いまひとつ未来が見えない。タイトルは焼き肉屋。

 昭和一〇年一〇月未明。北京で焼き肉屋の店主が、鉄板の上で焼かれて、死んでいる事件が起きる。死体は閉店から三〇分後に奥さんが厨房で発見した。奥さんは居間で先に食事をしていて、厨房から煙が出ているのを見て確認すると、店主が団体席の、大きい鉄板の上で、パンツ一枚の姿であおむけに焼かれていたらしい。死体の目と口が大きく開いて、恐らく脳みそがさざえの壺焼きみたいになって、なにかの幻を見ながら、死んだのだろう。どんな幻だろうか。幻がなければすぐ気づくはずだ。公安(中国の警察)が理想的な幻を、個人的に聞きとりをした結果は「永遠の若さ」だった。さらに若さの質を追求していくと、「小学生ぐらいがいい」という結論になる。理由のひとつに「祖父がまだ元気だ」があって、これが重要だ。祖父は生きた歴史書として使える。うそだらけで難解な暗号が書かれた歴史書を解読するよりも祖父に聞けばすぐわかるはずだ。それに祖父は、父母が健在なうちにいずれ死ぬから、祖父が間違っていても気にならない。歴史の重さを、はね返す祖父シールドが使えるのは小学生ぐらいだ。小学生をすぎると文章に秘められた性への興味が芽生えてくる。これがない毒々しい若者は若くない。自ぶんを仙人だと錯覚しているのだろう。若者でありながら、老人と同じで自ぶんが老人になると、若者になれると、思っているに違いない。歴史書のかわりに、老人の嫉妬を読み解いた若くない若者が、毒素を放出しながら闊歩している姿は、美しいと言えないだろう。死んだ店主が見た幻はこっちの若さだった。この焼き肉屋は、商店街の入り口にあって、売り上げが少ない商店の、店主が店を早じまいにして、食べにくることが多いみたいだ。しかし襲撃されたような痕跡は、なかった。さっきの若者も毒素を放出するだけで、犯罪に手を染めることは、ない。公安が小学生の息子(被害者幽霊を小学生に変換して対話する特殊能力がある)に聞くと、「母さんが出かけてる間に殺されたよ」と言う。公安が奥さんに事情を聞くと、「実は主人が『おれが[熱い熱い]と、言うと明日も客が集まるから火をつけてくれ』と言ったんです。それで、主人が鉄板で、寝てる状態でガスに火をつけました。そのうち起き上がるだろうと思って、私は売り上げを商店街の金庫へ預けに行ったんです。その間に主人は死んでました」と説明する。公安は「店主が若者になりきって自ぶんの、焼き肉屋に訪れる幻を見ながら死んだのだろう」思いながら事故死で処理した。