うゆうわけか大工さんとの接触が多かった時期があります。唐津に住んで居たころです。大工さんと多少仕事の関係もありました。かれこれ二昔の以前の話です。
朝大工さんが仲間と仕事場に来ます。寒いころですと、まず木片などを掻き集め、焚き火を始めます。焚き火に当たりながら、鉋を研ぎ、昨夜の遊興の自慢話を笑いながら語ります。多少嘘が混じっているのですが、仲間は笑っても頓着はしません。鉋がすむと、鋸の目立てにかかります。仕事如何と施主がやって来ますが、さほど頓着しません。かれらは雇われた職人では有りませんから、旦那も旦那振りを下げることはしません。鉋の金具の尻をちょんちょんと叩いて仕事にかかります。
こんな話を急に思い出したのは、平安朝の「延喜式」による当時の仕事の分別(ノルマ)をきめた規則のうちの木工分を読んだからです。
楯(長さ三尺六寸、巾八寸 厚さ四分)
長功 一人一日四十枚 四・五・六・七の月
中工 一人一日三十五枚二・三・八・九の月
短工 一人一日三十枚 十・十一・十二・正月
当時は不定期時制であるが、面白い規則とも思えます。そこで職人に仕事を請け合わせるときには、季節が選ばれたのだ、と思えるのですが、如何でしょうか。