「鬼怒川の精霊?」で
>鬼怒川は前も書いたように昔から洪水が多かった川です。
>その理由について様子を見に行きたいと思ったからです
と書きました
著作権に触れないように地図を手書きしなければいけないと思い、遅くなりました
YAHOOの地図で茨城県常総市を航空写真バージョンで見たら、鬼怒川が利根川に合流するあたりで、岡を突っ切っているように見えます
常総市,内守谷町(うちもりやまち)あたりです。この航空写真はなにか不自然な感じがしました(各自アクセスしてください)
車で現地に行くと、写真1のように川の両岸はちょうど掘削したみたいに切り立っています
写真1

岸の公園で石碑がありました
写真2

やはり江戸時代にわざわざ川の流れを変えたようです
今の川は図1のような流れ
図1

元々は図2のようだったらしいです
図2

茶色は丘陵というか高台になっているところです
つまり常総市近辺は関西で言えば京都盆地とか奈良盆地のような盆地地形なのです
自然な流れが小貝川との合流。確かに合流地点で洪水が多いでしょう
でも無理に曲げたところで結局水は滞留し、今回のような洪水になったわけです
小貝川と利根川の合流地点が、この前書いたドアが開かなくなったところです
私の手書きは丘陵を突っ切っているような書き方ですが、もう少し広いところです(写真は撮っていない)
でもその東西は高さ5m以上はありそうな丘です。高校の地理の時間に習った自然堤防というよりはプレートのズレによるシワと考えたほうがよい地形でした
この小貝川最下流地域は今でも川がものすごく蛇行しています。これでも一部まっすぐに付け直しています
利根川も、自然な流れでは東京湾に流れます。それを千葉の丘陵地をかすめる形に流れを変えられました
江戸時代、石碑の碑文によれば1621年ころは土木バブルみたいな時代だったようです
江戸の町づくりに使った人足の新たな働き口を作らなければいけなかったのかもしれません
ニュースによれば国は早急に600億円かけて鬼怒川堤防整備するとのこと
遅きに失した感はありますが「いいね!」しかし
ダムを作るより先に、堤防作れ!
目次はこちら
>鬼怒川は前も書いたように昔から洪水が多かった川です。
>その理由について様子を見に行きたいと思ったからです
と書きました
著作権に触れないように地図を手書きしなければいけないと思い、遅くなりました
YAHOOの地図で茨城県常総市を航空写真バージョンで見たら、鬼怒川が利根川に合流するあたりで、岡を突っ切っているように見えます
常総市,内守谷町(うちもりやまち)あたりです。この航空写真はなにか不自然な感じがしました(各自アクセスしてください)
車で現地に行くと、写真1のように川の両岸はちょうど掘削したみたいに切り立っています
写真1

岸の公園で石碑がありました
写真2

やはり江戸時代にわざわざ川の流れを変えたようです
今の川は図1のような流れ
図1

元々は図2のようだったらしいです
図2

茶色は丘陵というか高台になっているところです
つまり常総市近辺は関西で言えば京都盆地とか奈良盆地のような盆地地形なのです
自然な流れが小貝川との合流。確かに合流地点で洪水が多いでしょう
でも無理に曲げたところで結局水は滞留し、今回のような洪水になったわけです
小貝川と利根川の合流地点が、この前書いたドアが開かなくなったところです
私の手書きは丘陵を突っ切っているような書き方ですが、もう少し広いところです(写真は撮っていない)
でもその東西は高さ5m以上はありそうな丘です。高校の地理の時間に習った自然堤防というよりはプレートのズレによるシワと考えたほうがよい地形でした
この小貝川最下流地域は今でも川がものすごく蛇行しています。これでも一部まっすぐに付け直しています
利根川も、自然な流れでは東京湾に流れます。それを千葉の丘陵地をかすめる形に流れを変えられました
江戸時代、石碑の碑文によれば1621年ころは土木バブルみたいな時代だったようです
江戸の町づくりに使った人足の新たな働き口を作らなければいけなかったのかもしれません
ニュースによれば国は早急に600億円かけて鬼怒川堤防整備するとのこと
遅きに失した感はありますが「いいね!」しかし
ダムを作るより先に、堤防作れ!
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