先日桶狭間に行きました
この場所について、見たこと、感じたことを書くのにあたり、現地が起伏の入り乱れた丘陵地であることから、等高線地図のような図なしに記述するのは困難をおぼえます
(書籍ないし地理院のweb図に上書きするには著作権上の制約があります)
司馬遼太郎著 街道をゆく「濃尾参州記」でも図なしに理解することはほとんど不可能です
ご覧の方にはわかりにくいとは思いますが、私の能力の範囲で書 . . . 本文を読む
今回のマラ歩ンで気が付いたことがあります
異常に(?)土蔵が多いのです
蔵が立つという事は、その地域がリッチであったということ
20km歩いて10軒以上、おそらくは20軒近くあったでしょう。取り壊されたものもあるでしょうから、もっとたくさんこの街道筋にあったという事
なんで??
このあたり大きな大名の城下町でもなく、むしろ辺鄙な田舎。
特産物の産地でもない
西国街道は前に書いた . . . 本文を読む
ただし、1月末に長い風邪を引いて以来、ほとんど普段のスロージョギングをしていませんので、ハーフの21.1kmでした(あと若干の距離)
コースは大阪島本町の水無瀬から茨木市の中川原まで。国道171号線に沿って走る西国街道です。
所用時間は5時間5分5秒(休憩食事時間を含む)
西国街道は京都からの山陽道と言ってよく、大阪の町ができる前の古代からの街道です。したがって大阪に寄らずに近道して箕面の山 . . . 本文を読む
2017年7月13日13:30ごろ、東京に出かけるためにJovan線 荒川沖駅に近づくと、ウルシ色の車両が入線してきました
「あっ、前に見たことのある不思議列車だ!」急いて改札に入ったら、まだ停車していました。ラッキー!
色は阪急電車のマルーンカラーより濃いウルシ色。ピッカピカに磨き上げられていて3本の金色のライン。
ブラインドはすべて下ろされていて、中の様子はわかりません。荒川沖駅は3レー . . . 本文を読む
関ヶ原古戦場を訪れて最初に思ったのは
「なんでこんな山間に決戦場を移したのか?」
ということでした。(Yahoo Map とか Google Mapをご覧ください)
関ヶ原については全くの不勉強なので勘違いがあるかもしれません
写真は石田三成陣地から、南に広がる戦跡を眺めたものです
石田三成は大垣城に陣取っていました。籠城戦は良くないのはわかりますが、濃尾平野の平原で戦わずになんでこ . . . 本文を読む
関ヶ原歴史民俗資料館でグッズを買ってレジの前に行ったら、ミニ合戦屏風絵プラス絵葉書のセット、¥500が並んでいました
その前に¥2000の前で迷っていたので、つい手が出て買い足しました
これが面白いのです
何がというと小早川秀秋の扱いが、、です
(1)小早川の旗印・旗指物がほかの大名のものと違って、「半分またはそれ以上、山に隠れている」
(2)小早川の旗印・旗指物がほかの大名のものよりも、「小 . . . 本文を読む
大垣城内の旗印 関ヶ原決戦場
関ヶ原を訪れてみると、三成ファン度があがりました
何となく関ヶ原の町も、大垣の町も三成ひいきであるように感じます
駅前でも戦場でも石田三成の旗印と家康の旗印が「対等に」はためいています(当たり前か)
大垣城では石田三成がいたのはわずかな期間であったにも関わらず、城内に旗印があります。徳川家康のは??? あっ . . . 本文を読む
先日、所用のついでに関ヶ原に行ってきました
いつも新幹線の車窓から気になっていたところですが、あまりこれまで訪れる気になりませんでした
関ヶ原観光協会パンフレット
資料館でレンタサイクルを借りることができます。東軍ファンコース、西軍ファンコースと準備されています
私は決戦場/石田三成陣地/開戦場/大谷吉継陣地・墓地など西軍の主要遺跡を回って3時間
東軍ファンにとってはしんどいだけの戦場か . . . 本文を読む
インドに行ったことのある方は仏塔の形に不思議な気持ちになったことはありませんか?
はっきり言って日本のものとは似ても似つかない形です
インド-ガンダーラ-中央アジア-中国と仏教が伝わるにつれて、何でこんなに変わってしまったのか?
よくよく考えたら、仏塔はお釈迦さんのお墓ですから、土饅頭にするのが自然です
墓石は普通は頭の後ろになりますが、目立つように土盛を大きくしたら土盛の真ん中に立てても不 . . . 本文を読む
先週の金曜日、大阪に帰省しました。
いつもながらの富士山撮影。何回も撮って、工夫を加えてきました。今回は望遠を使っています。雪の部分のコントラストが良く出ているかと思います
2月にしては例年より雪は少ないようですが、それはそれで雪の稜線が良く出ます
わたしの方法をご紹介しましょう
(1)まず家を出るときに、ライブカメラサイトで見え具合を確認しておきます。これによって準備が違ってきます . . . 本文を読む
テヘランをバスが出てしばらく、地元のガイドがイラン西部は水が豊富で緑豊かです、と言いました
ツアーの経路はテヘランからトルコ東部までは褶曲山脈というんでしょうか、たくさんの山脈が平行しています。バスはおおよそ標高1500m前後、幅の広い渓谷、といっても琵琶湖の東西の山の間くらいはありそうなところを行きます(もちろん国境あたりはずっと狭くなります)
見てるとたしかにそうです。しかも西に行くほど緑 . . . 本文を読む
イスマイリ派=西アジアの新撰組?
1200年代イスラム教の一派にイスマイリ派というのがあって教義を狭く解釈し、他宗派の要人を暗殺した集団がありました
(注:イスマイリ派は今もパミール高原のフンザに平和に暮らしています)
モンゴル支配の時代にあって、彼らはこのアラムート城砦を根拠地としていましたが、みるからに難攻不落。
しかもそこへ行きつくまでが大変でした。テヘランから50kmのところ、4時間 . . . 本文を読む
今回の楽しみの一つはトルコ東部のメソポタミア源流地域に行けるということでした
ここは小麦栽培の発祥の地
約1万年前から小麦栽培しているチャヨヌ(チャユヌ:Chayonu)遺跡があります。なんと延々3000年にわたって人が住み続けたとのこと
麦を作っていたという証拠の遺跡でこれほどの大規模なものはないそうです
参考にした本によると下流で栽培するようになるのはずっと後であるとのこと
この遺跡は多分 . . . 本文を読む
今回の旅の最大の目玉となったチャルドラン(またはチャルディラン,Chaldiran)の地名は前から知っていました
砲兵と鉄砲隊を擁したオスマン・トルコが騎馬が主力のサファビー朝ペルシャを一蹴した戦い(1514)の土地です
同様の戦いは世界各地で行われていました。
ムガールの火砲がインド在来の王国を圧倒したパーニーパットの戦い(1526)、満州族の清がジュンガル帝国のガルダンハーンを打破したゾーン . . . 本文を読む