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映画ケン・ラッセルの「マーラー」を再び観る

2023年04月11日 | 映画

映画「マーラー」(1974、英、監督ケン・ラッセル)を観た。3度目だ。先日テレビの録画で読響のマーラー交響曲6番の公演を観たから、再びマーラーのことを少し知りたくなって見直すことにした。

監督のケン・ラッセルは英国人で2011年に84才で亡くたっているが、ウィキペディアによれば、過激な作風とエキセントリックな言動で知られ、そのセクシャルな演出で教会をはじめ多方面から批判を受けた、マーラー、リスト、チャイコフスキー、エルガーなど伝記映画を得意としているそうだ。

今回はある程度事前に、或いは映画を観ている途中でウィキペディアとかこの映画について書いているブログなどを適宜参照にしながら観たが、結論としては、理解できた部分もあるが、よくわからないところが多い映画だということだ。

理解できたところの例としては、映画のはじめの方で駅の列車の中からホームを見ると白い背広を着た紳士と白い服を着た少年がいる場面があり、これはマーラーをモデルにしてヴィスコンティーが作った映画「ベニスに死す」をイメージしていると言うのはわかった、音楽も映画と同様交響曲5番のアダージェットが流れていた。また、マーラーの妻のアルマが草原の中の牛たちから首にかけられているカウベルを取り外している場面がある、これは先日聴いた交響曲6番で使われているカウベルと何か関係がありそうだとは思ったが単なる偶然か。しかし、こんなことは普通の人は予備知識なしで観たら何の意味だか全くわからないであろう。

よくわからなかった例としては、皇帝に謁見してウィーン歌劇場の監督への就任を依頼する場面のあと、その場所の建物の地下道を歩きながらある部屋に行き着き、中にいるフーゴー(ヒューゴーと発音されているように聞こえるが)という人物に会う、彼は牢屋に入れられているような感じで素っ裸で楽譜を書いており、その楽譜を尻で拭いてマーラーに渡す、このフーゴーとは誰かわからない、映画ではマーラーと同学年の友人の作曲家のような言い方をしているが、1860年生まれのドイツの作曲家・音楽評論家のフーゴー・ヴォイスのことか。ネットでマーラーとの関係を調べてもあまり出てこない。

もう一つ挙げれば、冒頭の場面、湖に突き出た小屋が映され、それが突然燃える衝撃的な映像、これが何を意味しているのか、マーラーの破滅を意味しているのか、みている人がそれぞれ解釈すれば良いと言うことなどだろうけど、これだけセンセーショナルに演出して勝手に解釈しろはないだろうと思うが。この小屋はマイアーニックにあった作曲小屋だとは思うが。

監督のこのような制作姿勢というのは如何なものかと思う。良くマーラーのことを勉強している人にしか理解できない、それで良い、と考えているとしか思えない。比喩とか茶化しとかもちりばめられているが、その意味を全部わかる人は相当なマーラーの愛好家だろう。ただ、マーラーを演じたロバート・パウエルが写真で見るマーラーそっくりなのは見事だ、映画の中の言動もさもありなん、という感じだ。

マーラーの交響曲のCDを全部持っているわけではない、それは先日の宇野功芳さんの解説を読んだからだけど、今後も機会を見つけてマーラーの音楽を聞き続けて行きたいとは思っている。

主な出演

ロバート・パウエル:グスタフ・マーラー
ジョージナ・ヘイル:アルマ・マーラー
アントニア・エリス:謎のコジマ・ワーグナー
ピーター・アーン:マーラーの弟オットー・マーラー



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