木・うんちく

木材と人間の関わりを考えて思うままに・・・

195. 最強木材で格子を作る

2018-11-07 10:50:29 | ウッドデッキ
住宅の構造材として木材の中で最強のものはと聞かれると、必要な要素は強度となります。
しかしエクステリアの工事を木製で作る場合の「最強」と言うのは、
強度よりも耐久性であったり、狂いの少なさつまり寸法安定性が必要な要素となります。

この写真の例は、このエクステリアに使う場合の最強木材を使った例です。
使われている木材はE-WOODと言うニュージーランド製の木材です。
ささくれひび割れがエクステリア用木材の中では最も少なく、
ニュージーランドでは30年の保証がされていると言う木材です。
このような用途に使ったのは、これだけ耐久性があって寸法安定性のある木材は他にはないからですが、
防腐材の銅の化学反応の色で薄いオリーブ色になっていますので、塗料のように色あせることがなく
メンテナンスが不要だと言うこともその理由です。

詳しくはこちらのサイトまでお問い合わせ下さい。
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194. 保育園の遊具を作る

2018-11-07 10:18:15 | ウッドデッキ

これはボルダリングと言う手掛かりを元にクライミングを楽しもうと言う遊具です。
保育園ですので角度はゆるやかですが、
「こんなところに人工木材は使いたくない。」
と言うお客様のご要望にお応えして
・・・でも木材であればささくれやひび割れがあるといけない
・・と言うことで屋外用木材の中では最もひび割れやささくれの少ない、
ニュージーランド製のE-WOODと言う名前の現地では30年保証されている高耐久の木材で作ることになりました。
(実際にはこのような複雑な構造になると、人工木材は構造上対応ができないのが事実ではありますが)

加工・施工上の最大の問題は下のコンクリートが3次元に傾いていることです。
頂上部分は水平にして、それに向かって台形の構築物を作る・・・これ角度を出すのが大変難しい作業です。
特にコンクリートの接する部分は、現場で角度を計測し、それに合わせて3次元カットするのは、職人の中でも最高難度の技を要求されます。
詳しくは担当者ブログをご覧下さい。


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193. 父から子供達に伝える日本の近代史その6:戦後の問題点

2018-11-07 10:16:47 | 父から子供達に伝える日本の歴史
日本は戦争に負けたと言うショックが大きく、その反動で、民主主義と言うよりも共産主義へのあこがれから、マスコミや教育界のような知識層が極端に左翼化してしまった。だから、多くの日本のマスコミは「北朝鮮は理想の国だ。」とか「中国の文化大革命は正しい。」とか、今から考えれば、全く事実と異なる報道をするようになってしまった。戦後ずっと、東大も京大も経済学部で教えていたのはマルクス経済学と言う、時代錯誤の実務では通用しない共産主義の経済学だったが、それを誰も指摘することすらできない雰囲気があった。
今はようやくまともなことが言える状態になったが、それでも左翼の人たちとの議論は、とてもまっとうな話としてかみ合わないところに、戦後の影響があることが分かる。
一般的には先の戦争の原因を軍部の横暴と言うことにしてしまっているが、本質的な問題は、軍と言う官僚組織、事実を伝えず、国民を戦争へと煽ったマスコミ、これらの「説明責任を果たさなくて良い組織」の体質が根本原因と言える。
これらの組織は自分達で起こした失敗に責任を負わなくて良いと言う体質の上に、さらに「無知な国民を我々が指導する。我々が間違えるはずがない。」と言う間違えたエリート意識を持ってしまっていて、組織のために良いことが全体では害になってしまっていることに気づかないし,自己改革もできなかった。我々が注意しなければならないのは、あの戦争を引き起こした同じ体質が、今の日本の官僚組織や、いくつかの左翼的なマスコミに残っていることだが、幸いなことに、今は多くの人がそれに気づきつつある。
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192. 父から子供達に伝える日本の近代史その5:戦後の努力

2018-11-07 10:16:07 | ウッドデッキ
戦争が終わった時。幸運だったことがある。それは日本が分断されずに、さらに、日本を占領したのはアメリカと言うキリスト教文明国だったことだ。これがロシアや中国のような共産主義国に占領されていたら、日本と言う国のアイデンティティはなくなっていただろう。ただ、問題はこれまでの歴史で日本人が戦争に負けると言う経験をしていなかったがために、アメリカ進駐軍が日本人を洗脳しようとした自虐史観をそのまま受け入れてしまったことだ。このため、戦前のことは何もかも悪く、平和を維持するには、軍隊を持たないことだと言うような極端な考えを持つ人たちが幅を利かすようになってしまった。
そんな問題は残ったにせよ、あの全くのゼロの状態から、日本人は官民ともに、よく耐えて、努力した結果、世界の中でも尊敬される先進国になることができた。
さらに特筆すべきことは、日本は戦後、戦地になった国に多くの賠償をした。中国と国交を回復した時に中国は賠償は不要だと言ったから、そのかわりに多額の経済援助や技術援助をした。それがなければ今の中国の発展はない。韓国に至っては、戦場になったわけでもなく、戦前に日本が多額の投資をした財産すべてを譲渡した上に、当時の韓国の国家予算の2倍以上の経済援助をして、韓国の朝鮮戦争からの復興を助けた。
よく「同じ敗戦国なのにドイツは反省しているのに日本は反省していない。」と言う人がいるが、ドイツが反省しているのはユダヤ人に対するホロコーストと言う国家犯罪についてであって、戦争そのものについては、ドイツは日本のように周りの国に補償はしていない。この前、ギリシャの経済危機の時に、ギリシャの大統領が、ドイツが経済支援してくれないなら第二次大戦の時の補償をドイツはする義務があると言ったのはこのことだ。
だから、日本の戦後賠償や平和に対する真摯な態度は、もっと評価されて良いものだ。結局、中国や韓国が、戦後の日本の平和に対する努力や賠償を無視しているのは、自国の国民に真実を知らせると、都合が悪くなるその国の支配層の考えがそうさせていて、反日教育に熱を上げることにつながっているのが実情と言える。
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191. 父から子供達に伝える日本の近代史その4:戦争とその破綻

2018-11-07 10:15:28 | ウッドデッキ
■中国・アメリカとの戦争
第一次世界大戦後、世界大恐慌が起き、主要国はブロック経済体制をとり、植民地を持たない日本とドイツはより大きな不況に苦しむことになる。これを解決する方法として日本がとったのは満州進出で、清朝の最後の皇帝を迎えて傀儡政権を作った。そのおかげで満州は豊かな国になり、結果的には日本の統治は欧米先進国も認める善政であったが、問題は、これらが日本の軍部の独走で始まり、それを政府が止めることができないと言うことだった。これは単に陸軍の横暴と言うだけでなく、日本の政府や軍と言う官僚組織の弊害が強く出てしまい、この影響は、その後のアメリカとの太平洋戦争につながってしまうことになった。
日本と中国が戦争状態になったのは盧溝橋と言う場所で撃たれた一発の弾丸が引金だが
(国民党軍からのものか共産軍の挑発かは今となっては分からないが)、反撃した陸軍の動きを日本政府は統制することができず、ずるずると中国との戦争に入り込んでしまった。
さらに、日本はこの中国との戦争でいくつかの問題を有していた。
一つはプロパガンダでは全く中国に負けていたこと。そのために、外国の支持が中国に廻ったことだ。当時の日本は、日露戦争当時の危機感のあった時の外交とは問題にならないぐらい劣ってしまっていて、外国に対する宣伝や情報収集と言うことを重要視しなくなっていた。
もう一つは、日本の政府が場当たり的な対応をとったことだ。陸軍の横暴に引っ張られ、何もかも追認状態になり、さらに国際的な観点がなく、問題先送りに終始してしまったことだ。維新の元勲はすでにこの世を去り、当時の政府や軍部の中に真のリーダーがいなかったことだ。最後には終戦すら天皇の自分の身を挺したお言葉がなければ、これも実現できなかったぐらいだ

アメリカとの開戦については、石油の禁輸による締め付けの上に、中国からの撤退を条件に突き付けられてしまって、当時の陸軍は自分たちのメンツから中国から引き上げる判断ができなり、追い詰められて、結果的に戦争をせざるを得ない状況になってしまった。
ただ、第三者的に見ると、この日本の置かれた状況は、同情すべきところはある。だから戦後マッカーサーがアメリカ上院で、今回の戦争は「日本の自衛のために戦争だった。」と擁護した。
しかしそうなるような外交をしてしまったこと。メンツのために後戻りできない体質。負けたと言うこと認めることができない体質。これらについて日本の政府と指導的立場にあった日本の軍部の責任は非常に大きいと言える。
真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争は、日本のほとんどの都市の崩壊で幕を閉じた。
原爆投下も含めて、これは市民を対象とした虐殺に他ならないが、日本はこのことに対して、アメリカや連合国を非難するようなことはしなかった。これは戦争だった。戦後、広島や長崎の原爆資料館を訪れたアメリカ人は、彼らの行った非人間的行為についての非難展示があることを予想していたが、実際には事実をありのまま伝え、このような惨事を日本が最後になることを願う内容に驚き、ケネディ前駐日大使もオバマ前大統領に広島に行くように強く勧めたのはこの日本人の戦争に対する考え方に共感したからだ。ただ、この経験が日本人にとって、戦後の日本に良くも悪くも大きな影響を与えることになった。
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