木・うんちく

木材と人間の関わりを考えて思うままに・・・

103. 父から子供達に伝える日本の歴史その2:日本の歴史で偉い人は誰か

2015-12-25 16:40:09 | ウッドデッキ
歴史の局面ではそれぞれの人は皆重要な役割を果たしていて、人によって誰が偉いかと言うのはいろいろだね。だけど、お父さんの主観で日本の偉人3傑を選ぶとすると次の3人だね。

■聖徳太子:
歴史の教科書では遣隋使を送ったとか17条の憲法を作ったとか、冠位12階を作ったと言う記載があるが、何か分からないけど、お札の表に刷られていたりして偉い人らしいと言うことは分かるだろう。お父さんが聖徳太子を選ぶ理由は、この人が日本人の考え方・文化を決めたと言うことかな。当時の先進国の中国から何を学んで、何を学ばないかと言うことを決めたり、中央官庁のあるべき姿を憲法として皆に徹底し、家柄でなく、実力で冠位をきめたりと言う、自分の欲得ではなく、日本のために何が良いかを考えて制度を作ったところだろうな。お隣の韓国も同じように中国から各種の制度を学んだが、中国の制度をそのまま移入して纏足や科挙や宦官だけでなく、中国の考え方もそのまま入れてしまったからね、どうしても中国と同じように、上に立つものは下の民を搾取するような文化になってしまったが、韓国の不幸は、聖徳太子のような人がいなかったからかもしれないね。

■織田信長:
日本の経営者が選ぶ偉人は織田信長か徳川家康のどちらかと言われるが、お父さんは織田信長だろうな。この人は徹底的に合理主義を貫いたし、宗教に関しては全く政治とは分離して考える頭があったからね。比叡山の焼き討ちで当時から残酷無情と言う評価が多いけど、考えとしてはキリストと同じなんだ「宗教は心のもの」と言うところだね。キリストはそれを愛で説明しようとしたが、信長は力で説明しようとした違いだろうね。下手をするとばらばらで宗教国家がいくつかできてしまう可能性すらあった日本を一つにまとめ上げたからね。その後の封建体制につないで、江戸時代の武士道と言う日本人の考え方を醸造するお膳立てをした功績かな。織田信長がいなければ、日本の明治維新はスムーズにいかないで、もっとややこしいことになっていたかもしれないね。

■大久保利通:
西郷隆盛や木戸孝允と共に明治維新の3傑と呼ばれているね。江戸時代から明治になった一番の混乱期に、あらゆる困難を排して日本の制度を整えた人だよ。
私財を蓄えず、必要だが予算のつかなかった公共事業に、個人的な借金をしてまで後の世の日本のためになることをした。だから亡くなった時は、資産よりも借金の方がはるかに多かったから遺族は大変な苦労をしたと言う話しだ。この人がいなければ、明治の初めの日本はもっと混乱をしていただろうし、たぶん情実に流れされた決定をして明治の日本は今とはもっと違うことになっていたろうね。後に権力者になった伊藤博文が貴族の位を決める時は自分よりも大久保利通の遺族の方を上にしたぐらいだから、当時の人も大久保利通の功績を高く評価していたということだろう。西南戦争で亡くなった西郷隆盛が情に厚い人だったのと比較して、非情の人だと言われることもあるが、それはそうではない。困難な時に理性で判断すると言うのは非常に勇気のいることなんだ。

お父さんが選んだこれらの日本の歴史の3人の偉い人は、皆、日本が一番困難な時期に、自分の欲得ではなく、勇気をもって理性で判断し、合理主義を貫いて日本の将来を正しい方向に決めた人達だね。
合理主義と言うと、「こちらが合理的だ、と言って横着をし、楽な方策を採用する。」と言うとらえ方をする人もいるが、これは反対だ。合理主義を貫くことは非常に困難なことなんだ。松下幸之助が経営の極意は「雨が降ったら傘をさす。」と言ったそうだが、実際の経営でもこんな単純な合理的なことができないのが実状なんだ。情が絡んだり、自分の欲得がからむと合理的にできないのが人の世なんだよ。合理主義で考えることは勇気が必要なことなんだ。
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102. 父から子供達に伝える日本の歴史その1:日本の歴史を外国人にどう説明するか

2015-12-02 10:05:42 | ウッドデッキ
お前たちが外国に行った時に「日本の歴史を説明して。」とか「日本の歴史の特徴って何?」と外国人から聞かれたら、どう説明する?
学校ではこのような観点から教えることはなかったから、急に言われても分からないかもしれない。しかし、その国の歴史と言うのはある意味その国の文化でもある。お前たちも何か困難に遭遇した時に、その乗り越え方でお前たちの人生観や考え方が出てくるだろう。歴史もそれと同じで日本の歴史と言うのは日本人の考え方が表面に出てきているんだ。日本の歴史は諸外国と大きく異なるところが何点かあるが、お前たちはあたり前と思っているが、実は外国人にとってはとんでもない凄い歴史なんだ。これは日本人として誇りにしたらよい歴史だからもっと学校で教えても良いとお父さんは思っているんだけど、まとめると大きな特徴は次の三つだろうな。
■まず最も大きな日本の歴史の特徴は、王朝が2000年以上も続いていることなんだ。外国の歴史を見ると、何百年がせいぜいで、数年と言うこともあるぐらいだから、天皇と言う血筋が途絶えることなく2000年以上も続いていると言うことはとんでもないことなんだ。
こんなことができたのは天皇は権威は有していたが権力持たないようになったことが大きいね(もちろん、飛鳥時代以前の天皇家を確立した時代は、そんなことはなかったが)。天皇家の仕事は、国の繁栄と安泰を祈ることで、実際の権力は平安時代であれば藤原氏が握り、それ以降は武士が握り明治になってからは、政府が握っていたからね。そして天皇の元では全員が平等と言う意識があるから、奴隷制度ができなかった(古代の卑弥呼の時代は奴隷制度はあったようだが)。つまり役割による身分の上下はあっても、支配者が被支配者を搾取すると言う、他の国ではみられたことが日本では起こらなかった。これが今の日本人の国民性に大きく影響しているだろうな。
■次の特徴は武士道だろうな。外国であれば武力をもっている者は権力も持っていて、好き放題ができたが(初夜権と言って、中世のヨーロッパにおいては、権力者が統治する地域の新婚夫婦の初夜に、新郎よりも先に新婦とセックスできる権利があったぐらい)、日本の場合は江戸時代の250年間で、武士道として尚武の精神(武勇を尊ぶこと)はもちろんだが、富や権力よりも名誉を重んじると言う文化が日本に根付いたことが大きいね。
■三番目の特徴は明治維新だね。これは外国語に訳すと単に[革命]となるんだろうが、外国で言う革命とは違うな。確かに多少の戦いもあったが、大きくは幕府は大政奉還して政権を平和裏に返上したからね。何よりも、国民も支配者層も一丸となって、明治の難局を乗り切ったと言うことかな。諸外国の歴史を見ると、このようなことはあまりないな。こんなことができたのは日本人特有の文化。勤勉で、教育レベルが高く、誠実な性質が大きく影響したと思うよ。だから日本の歴史の三番目の特徴は明治維新と言うよりも日本文化かもしれないね。そう、こんな話があるな。幕末に長崎でグラバーと言うイギリスの商人が各藩との間で大きな取引をしたが、単に、船や武器を販売するだけでなく、鎖国の時代に内緒で各藩の若者を海外に留学の斡旋をしたりして、明治維新に大きな影響を与えた商人なんだが、この人が明治になって当時を回想した中に「自分は幕末のあの動乱期に各藩との間で巨額の取引をしたが、その各藩の誰一人として賄賂を要求した人間はいなかった。」
このような、自分の欲得のために自分の藩や国を売り渡すようなことをしない文化は、150年前の世界ではありえないことだろうね。
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