■帝国主義の世界と日本の置かれた立場。
日本が明治維新をなし遂げた19世紀の中頃は欧米各国は産業革命を経て、いかに自国の有利になるように貿易を展開するか、いかに未発展の国を植民地化して自国に有利なものにするかと言う弱肉強食の時代だった。その中で日本は、何とか独立を保つことができた。
しかし当時の日本の周りではロシアの南下の脅威があり、アジアはヨーロッパ各国の好き放題の状態だった。日本としてはなんとしても隣国の朝鮮に、まともな政治体制になってもらいたいと言う危機感があった。この感覚は今でも同じで、韓国が自由主義陣営で健全な国家運営がされていると日本の安全は保障はされたことになる。
その朝鮮が近代化されない大きな理由が、となりの中国(清)の属国支配を受け、中国自体が近代化しようと言う意識かなかったことだろう。19世紀後半には、朝鮮の近代化と東アジアの安全のためには、朝鮮が中国から独立することが必要であったが、それを最も意識していたのが朝鮮人ではなく、日本人だったと言うのが現実だ。
■朝鮮と台湾の併合(欧米の植民地との違い)
日本は中国(清)と戦争をし、それに勝ち、朝鮮の独立を中国に認めさせた。さらに当時は未開の島であった台湾を割譲した。その後10数年して朝鮮も併合することになるが、日本の併合はヨーロッパ列強の植民地化とは全く異なり、その国から産物を搾り取って、自国の利益にしようと言うのではなく、その地を改善して、日本と同様の豊かな国にしようと言う意図があった。
韓国は日本による統治を植民地化されたと言っているが、明確なことは日本の統治によって、食料が増産され、人口が増え、初等教育だけなく高等教育まで行い、朝鮮・台湾の教育レベルのアップに大きな貢献をしたことだ。アフリカや東南アジアに多くの植民地をもっていたヨーロッパの国で植民地に帝国大学を作るところなどどこもない。これらの事実に対して、韓国では「国を豊かにしてから搾り取る目的で作ったのだろう」と言う反論をしているが、国王やその臣下は、国民を搾取するのが当たり前と言う感覚の国と、「民のかまどは賑わいにけり。」と喜ぶ統治者のいる国との差はとても大きい。
■義和団事件とロシアとの戦争
「北京の55日」と言う映画が昔あったが、欧米各国と日本が義和団事件と言う中国の動乱で、北京の大使館で55日間の籠城戦をした時の話だ、この時に日本人兵士とそれを率いる日本人指揮官の評価が高く、解放後、欧米人から多くの賛辞が寄せられた。特に当時の籠城戦の全体的な指導者のイギリス公使は、この日本人の規律と優秀性について本国に報告したことから、後の日露戦争の時にイギリスが日英同盟を結ぶ土壌になったともいえる。
この義和団事件の後、ロシアの軍隊が満州に居座ってしまった。当時、横暴な振る舞いをするロシアに対して戦争を唱えていたのは国民とそれを煽るマスコミであったが、
日本としては大国ロシアとの戦争を何とか回避しようとした。しかし、最終的に自国の安全と権益のために戦かわざるを得なくなったと言うのが実情だ。
日露戦争がはじまり、最後に、ロシアのバルチック艦隊を撃滅したことで、日本が勝ったと言うことになっているが、実際のところは、もうこれ以上日本は戦争ができないぐらいに国がくたびれ果てていた。明治維新以来、ここまで努力して、かろうじて、この戦争に勝ったおかげで、ようやく日本は対外的な不平等条約を欧米に撤廃してもらうことができた。当たり前の普通の国だと認めてもらうことが、当時、いかに、大変だったかと言うことが分かるだろう。
日本が明治維新をなし遂げた19世紀の中頃は欧米各国は産業革命を経て、いかに自国の有利になるように貿易を展開するか、いかに未発展の国を植民地化して自国に有利なものにするかと言う弱肉強食の時代だった。その中で日本は、何とか独立を保つことができた。
しかし当時の日本の周りではロシアの南下の脅威があり、アジアはヨーロッパ各国の好き放題の状態だった。日本としてはなんとしても隣国の朝鮮に、まともな政治体制になってもらいたいと言う危機感があった。この感覚は今でも同じで、韓国が自由主義陣営で健全な国家運営がされていると日本の安全は保障はされたことになる。
その朝鮮が近代化されない大きな理由が、となりの中国(清)の属国支配を受け、中国自体が近代化しようと言う意識かなかったことだろう。19世紀後半には、朝鮮の近代化と東アジアの安全のためには、朝鮮が中国から独立することが必要であったが、それを最も意識していたのが朝鮮人ではなく、日本人だったと言うのが現実だ。
■朝鮮と台湾の併合(欧米の植民地との違い)
日本は中国(清)と戦争をし、それに勝ち、朝鮮の独立を中国に認めさせた。さらに当時は未開の島であった台湾を割譲した。その後10数年して朝鮮も併合することになるが、日本の併合はヨーロッパ列強の植民地化とは全く異なり、その国から産物を搾り取って、自国の利益にしようと言うのではなく、その地を改善して、日本と同様の豊かな国にしようと言う意図があった。
韓国は日本による統治を植民地化されたと言っているが、明確なことは日本の統治によって、食料が増産され、人口が増え、初等教育だけなく高等教育まで行い、朝鮮・台湾の教育レベルのアップに大きな貢献をしたことだ。アフリカや東南アジアに多くの植民地をもっていたヨーロッパの国で植民地に帝国大学を作るところなどどこもない。これらの事実に対して、韓国では「国を豊かにしてから搾り取る目的で作ったのだろう」と言う反論をしているが、国王やその臣下は、国民を搾取するのが当たり前と言う感覚の国と、「民のかまどは賑わいにけり。」と喜ぶ統治者のいる国との差はとても大きい。
■義和団事件とロシアとの戦争
「北京の55日」と言う映画が昔あったが、欧米各国と日本が義和団事件と言う中国の動乱で、北京の大使館で55日間の籠城戦をした時の話だ、この時に日本人兵士とそれを率いる日本人指揮官の評価が高く、解放後、欧米人から多くの賛辞が寄せられた。特に当時の籠城戦の全体的な指導者のイギリス公使は、この日本人の規律と優秀性について本国に報告したことから、後の日露戦争の時にイギリスが日英同盟を結ぶ土壌になったともいえる。
この義和団事件の後、ロシアの軍隊が満州に居座ってしまった。当時、横暴な振る舞いをするロシアに対して戦争を唱えていたのは国民とそれを煽るマスコミであったが、
日本としては大国ロシアとの戦争を何とか回避しようとした。しかし、最終的に自国の安全と権益のために戦かわざるを得なくなったと言うのが実情だ。
日露戦争がはじまり、最後に、ロシアのバルチック艦隊を撃滅したことで、日本が勝ったと言うことになっているが、実際のところは、もうこれ以上日本は戦争ができないぐらいに国がくたびれ果てていた。明治維新以来、ここまで努力して、かろうじて、この戦争に勝ったおかげで、ようやく日本は対外的な不平等条約を欧米に撤廃してもらうことができた。当たり前の普通の国だと認めてもらうことが、当時、いかに、大変だったかと言うことが分かるだろう。