美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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テーマ

2017年05月30日 15時41分30秒 | 日記
テーマ(構図:何を表現したいのか。)
 「テーマ(目的)とモチーフ(素材)を生かす・素材を使って目的を他者に伝える」

絵の構図をとるという行為は 料理に置き換えると「季節の素材を使って、その季節の素材を生かす調理をし、その季節にあった料理を完成させ視覚と嗅覚、味覚を楽しませる季節料理の盛り付け。」のようなこだわりと言える。 決められた場所と与えられた状況で、人を満足させる”おもてなし”の心構え。

動画を描いた絵師。 江戸時代に俵屋宗達が描いたとされている(作者の落款が押されていない) 『風神雷神図』からは映像的な躍動感が伝わってくる。 三十三間堂にある勇ましく躍動感が特徴の鎌倉時代につくられた木彫をモデルにして描かれている。

好きも嫌うことも同じくらいのエネルギーを使う。 老いも死も嫌いも辛いも必要なものとして受け止める。 尾形光琳『紅白梅図』もそんな文化を伝えている。 これからさらに日本文化とその源流の”潔さ”の魅力が 世界で見直され注目されていく。

絵は、読書と似ていて描く数を重ねるごとに発見がある。自分の成長によって同じ絵でも気づくことが違ってくる。同じテーマで繰り返し、綴ったり、歌ったり、描いたりすることで感覚を磨くことができる。

「周りに迷惑をかけないこと」 この言葉には「今、自分のやるべきことをやる」「周りのことを考える。」「自に与えられた仕事に意味を見出す」「お世話になったときも、いつもと変わらずに過ごせたときも感謝する」など根本的なことが含まれている。

自分の思いだけを押し付けるのではなく、 相手の思い描く物語を引き出そう、出しやすくしてあげる姿勢に信頼感を感じる。 仕事も教育も、意思疎通(相手の思いを理解できる能力)が必要。

伝えたいこと(テーマ)によって表現が変わる。 働きものの温かい手、たくましい手、優しく抱きかかえる手、祈りの手。 上手くみせるのではなく、何を伝えるかが問題。

西洋は「絵で埋める」 細部まで描きこまれていたり肖像画であっても背景が描かれたりしている。 「西洋人は余白があることを恐れる」 日本は「描かない」 描くべきものだけを描きあとは余白にする。 「日本人は満たされていることに恐れを抱く」

日本は、脳を休めて、情緒に感動して癒され心で理解する≪情緒思考文化≫ 西洋は、脳を刺激して、脳で感動して理解する≪ 論理思考文化 ≫

つくづく感じる。 相手をリスペクトして協働していると、 充実した時間、事、物、場所、成長が生まれる。 お互いにリスペクトできない関係からは何も生まれない。 フラットな人間関係でいられるといい。

何をしたかではなく何のためにやっているのかが、心に響く。 日曜画家だったアンリ・ルソー 世界的に知られる名画はすべて50過ぎに描いた作品。 生前、モンマルトの画家たちは「へたくそ」と馬鹿にしていた中 彼の才能を認めていたのがピカソ。

絵は、手紙や看板、標識、何かを承認してもらうための企画書と同じ。 なので、何を伝えたいのか、 その目的や想いによってずいぶん違うビジュアルになる。 上手いか下手かは問題ではない。 絵に正解はなく、作者が届けたい想い、テーマが 誰かに伝わる構図、明暗、かたち、色が 魅力として響く。
学校での評価も成績も低かったニュートンが、その後の世界に大きく影響する発見を立て続けにしていったのは、誰かが出した答えを追いかける人たちを評価する世界の中で、自分の疑問に対して、実際に目で確かめたことしか納得しワクワクできなかったから。 自分の直観を信じて素直に実証をしていった。
下半身が麻痺していたので草原に腰を下ろして寛いでいるのではなく 這って進むしか出来なかったクリスティーナ。 「大部分の人が絶望に陥るような境遇にあって、驚異的な克服を見せる彼女の姿を正しく伝えることが私の挑戦だった。」 クリスティーナから感じた世界を画家ワイエスは絵で伝えている。

絵に置き換えられているものは日常の中の一瞬のきらめき。 絵は、作者が気づいた日常の些細なことや発見を描き残せたり覗けたりできる魅力がある。その気づきに共感する人が多いほど、またそのテーマが普遍的なものであるほど長い時間愛され続ける。

いつでも黙って受け入れてくれて、一緒にいるだけで自身を見直せるような存在。 座右の銘となる言葉、お気に入りの本や絵との出会いは、運命的な人との出会いに匹敵するものがある。それに込められている意図の読み解きができるとさらに成長できる。

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