美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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クリエイター図鑑 【はじめに】

2019年11月20日 22時28分25秒 | 日記
はじめに

あなたは、勉強が好きですか。人は、なぜ研究をするのでしょう。あなたは、何のために働くのですか。あなたにとって「学問」とは何ですか、あなたにとっての「仕事」とは何でしょう。
遠い昔、王に雇われる騎士や職人でも領土を借りて働く農民でもなく、自らの意志で生きはじめた大きな都市の市民には、「家柄、職業、宗教、国籍が問題なのではない。問題なのは、“おまえはいかなる人間か”といった新しい価値観」が生まれました。
19世紀、印象派の画家が描く絵に憧れて、パリ証券取引所の株式仲買人から画家に転職したポール・ゴーギャンは、大都会から南の楽園タヒチに飛び出し、名画『われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか』を最後に描き残しました。あなたは何者でしょう。



古代、エーゲ海に浮かぶ島々に都市国家をつくった民族、自由を好んだ古代ギリシア人の絶対的な美の基本は”emotion[心身の動揺を伴うような強い感動]”をどれくらい与えられるかにありました。その頃はアートといった学術的な縛りはなく、教育や学問の目的が共通して人類に”emotion”を与えることだったといえるのです。



ワクワクを感じるために学び、ワクワク感を与えることが学問の目的でした。そんな気づきの喜びが「最も高貴な喜び」だと、芸術家でもあり多岐にわたる分野の研究者でもあるレオナルド・ダ・ヴィンチも話しています。
旧石器人からすれば、“学びと工夫“の面白さと同様に”仕事“も生きることが目的であり、スケジュールをいつも自分で決める毎日が新鮮でドキドキワクワクするものだったのかもしれません。家族や仲間と共に生きていければ嬉しい。労働の原動力は、儲けや出世のためではなく、家族の”喜び”だったのです。家族とは何でしょう。何のために学び、創造するのでしょう。そんな大切なことに気づき、“ヒトの種”が生きた時代から、ヒトが生きるために造りだしてきたことを見直すためにこの本を執筆することにしました。

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