最近ジョギングをしている時にユーミンの曲
を聴いているんですけど
その中に「瞳を閉じて」という歌があります。
もう有名な話かも知れませんが、素敵なエピソードがあるんです。
文 : 橋本栄二
写真 : 中岡愛彦
夕刊読売新聞 1996年(平成8年)2月14日(水曜日)より
● 旅にでたくて / ユーミンが作った県立高の愛唱歌 ~ 五島列島に残るメロディー ●
五島列島のほぼ中央、人口4600余りの奈留島。
入り江の岸壁につながれた巻き網漁船が十数隻、柔らかな日差しを浴びてゆったりと波間に揺れている。
そこから椿の花が咲く緩い坂道を20分ほど上がり詰めたところに、長崎県立奈留高がある。
校門を入ると、高さ2.5メートル、横2メートルの御影石製の碑が建っていて、こんな歌詞が刻まれている。
風がやんだら 沖まで船を出そう
手紙を入れたガラスびんを持って
遠いところへ行った友達に
潮騒の音がもう一度届くように
今 海に流そう
そう、あのユーミン、松任谷由実さんの「瞳を閉じて」だ。
デビュー間もない22年前、ひとりの女生徒の手紙をきっかけにプレゼント。
奈留高の愛唱歌として、今も歌い継がれている。
「ほんの気まぐれ、遊び心だったんです。なのに有名になってしまって、なんだか照れ臭い思いです」
1975年卒業で、今は東京・葛飾区に住む二児の母、Aさん(39)は、懐かしそうに振り返った。
当時の奈留高は、南側の福江島にある県立五島高の分校。
本校の校歌は奈留島とは縁遠かった。
2年生の冬、Aさんはラジオの深夜番組に投稿した。
思いがけず、願いはかなった。
曲は校内放送で何度か流れた。
だが、さして話題になることもなく、校歌にするのも「フォーク調なので」と職員会議で見送られた。
Aさんも、ユーミンから届いた楽譜とテープを自宅の机にしまい込んだまま、卒業と同時に上京した。
「こんなちっぽけな島から早く飛び出したい、自由に振る舞える都会で暮らしたい、とばかり考えていたんです」
レストランのウエートレスをしながら夜間の短大へ。就職、そして結婚。
里帰りするのは2、3年に一度ほどになり、国訛りもいつしか消えた。
あれほど大はしゃぎした「瞳を閉じて」だったのに、口ずさむことさえ少なくなった。
そんなある日、電話があった。
島に残って、郵便局の配達員をしている同級生のBさん(39)からだった。
「あの歌、全国の音楽の教科書に載ることになったで。歌碑ば造って、ユーミンも呼ぼうで」
Bさんの呼び掛けに、同級生ら600人から100万円を超すお金が寄せられた。
碑の除幕式は、88年8月14日に行われた。
Aさんら島を離れた卒業生も久しぶりに集まった。
ブラスバンドの演奏に迎えられたユーミンは、碑を見て、教室から海を眺めて、
「あ、私の字。えっ、詞と同じ風景じゃないの」とつぶやき大粒の涙をこぼした。
「あの時のユーミンの感激ぶり、B君らの輝いた顔、忘れません。
今も思い出すたび、ふるさとっていいなって気持ちになるんです」
Aさんは、時折、目をつむり、しみじみと話した。
その後、奈留高では卒業式や終業式、記念行事で、「瞳を閉じて」をみんなで合唱するのが恒例となった。
今年は3月1日、60人が学び舎を巣立つ。
島に残るのは、地元の銀行や病院に勤める3人だけ。
進学に就職に、57人は桜がほころびかけるころ、島を後にする。
親しんだメロディーを心の糧に-。
霧が晴れたら 小高い丘に立とう
名もない島が見えるかもしれない
小さな子供にたずねられたら
海の碧さをもう一度伝えるために
今 瞳を閉じて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
取材の終わりに会ったユーミンは、奈留島をしっかり覚えていた。
「手紙からイメージを膨らませ、遠くに行った友達へメッセージを送るつもりで作ったんです。
時々、奈留島の風景がフラッシュバックします。
あんなにきれいなふるさとがあるのは幸せ。
都会に出ても、『あの美しさを残したい』という思いを大切にしてほしいですね」
ちょうど卒業シーズンです。花束を持った学生を見るとふるさとの佐原と
高校時代を思い出します。