ようちゃん@ちばらき

ちばらきは千葉県と茨城県の県境地域。利根川と地平線の向こうに見える筑波山が郷愁を誘う今日この頃。

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2009年03月28日 | つぶやき
反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
湯浅 誠
岩波書店

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なぜ日本政府は貧困問題と向き合おうとしないのか。
日本社会における貧困の広がりを認めなければ、貧困が生み出される社会構造は
そのままに放置され、貧困はさらに拡大する。生活苦による犯罪、児童虐待、
家庭内暴力、自殺が減ることはなく、社会の活力はますます失われ、
少子高齢化にも拍車がかかっていくだろう。ただちに大規模な実態調査を行い、
その結果を踏まえて対策を立てるべきである。

しかし、まさしくそれゆえに、政府は貧困と向き合いたがらない。貧困の実態を
知ってしまえば、放置することは許されない。なぜなら、貧困とは「あっては
ならない」ものだからだ。最低生活費以下で暮らす人が膨大に存在すること、
それは一言でいえば憲法第25条違反の状態である。国には、当然にその違憲
状態を解消する義務が生じる。貧困に対処し、貧困問題を解消させるのが政治の
重要な目的の一つだというのは、世界の常識でもある。

少子高齢化が進み、財政が逼迫する中、政府は「弱者」と言われている人たちへの
大盤振る舞いなどできるはずもない。少なからず紛れ込んでいる偽の弱者
(不正受給など)を厳しく抉りだすとともに、「自立」できる人たちにはもっと
頑張ってもらう必要があるし、まだ余力のある高齢者などにはそれなりの負担を
してもらわなければならない。

しかしそれが憲法違反だとしたら、足りないのは、本人たちの自助努力ではなく、
政府の自助努力であることが明らかになってしまう。
自助努力が足りないからだと自分で自分を責めていてくれれば一銭もかからな
かったものが、財政出動を要求する事態になってしまう。だから見たくない、
隠したい--こうして、政府は依然として貧困を認めず、貧困は放置され
続けている。