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龍馬伝の後には、やっぱり空しさだけ、君はあまりにもまぶしかった

2010年11月01日 | お知らせ
11月が、いよいよ来ました。

昨日、大河ドラマ「龍馬伝」を見ました。

11月15日は龍馬が死ななければならない日なのですね。

なぜそんな定めに、誰がしたのでしょうか。

できるものなら死なせたくない私の思いです。

この定められた運命を、私は学生の時から呪っていました。


私の人生に、これほどまでも感動を与えた人

私の人生に、これほどまでも影響を受けた人

私は何歳になっても、あの青年の心で生きようと思います。


龍馬は、誰のために生きたと思いますか。

上下のない、誰もが笑って暮らせる平和な世の中をつくろうとしたのです。

だから、自分のために生きるなんて、これっぽっちも考えなかった人ですよ。


それなのになぜ・・・・・


龍馬は人の為に生きたのです。

そして誰れ人にも限りない愛情をそそぎました。

おしげもなく、そそぎました。

自分には、なにも残らなくても、それでもそうしたのです。


龍馬に会うことによって、誰れ人も何かが変わっていきました。

変わらなかった人は一人もおりませんでした。

龍馬は人を変えるすごいものがあったのですね。

どうしてでしょうか。

私はそんな龍馬のことを思ったとき、涙が出てしまいます。


龍馬の優しさが反って、逆怨みを招いたりして、

世間は龍馬を責めることしかできなかった。

空しい龍馬の心を解る人は一人もいなかったのは、どうしてでしょうか。


それでも彼は、人への優しさを貫きとうしたのです。

人を励まし、支え、夢と希望を与え続けました。

そして、どんな抵抗があろうとも、勇気を出し、弱者を守り、助け続けました。


しかし、龍馬はそれでありながらも、人に愛情を求るようなことはせず、

ただ、ただ、与え続けるのみでした。


普通の人間ならば、そんな事が果たしてできるのでしょうか。

どうして、あの男にだけは、できたのでしょうか。

自分がぼろぼろになろうとも。

けれど、あの男は輝いていました。

夢を追いつづけ、愛を分け与えつづけました。

そんな龍馬は、誰から見ても、うらやましい程に幸せに見えたのです。


だけど本当はどうだったのでしょうか。

人の幸せを思えば思うほど、愛情を与えれば与えるほど

敵が増えていったことに対し、どんな思いだったのでしょう。

どこを見ても敵だらけ、心の休まるところが果たしてあったのか。

龍馬は愛すべき家族を捨て、多くの友人を失いました。

自分の大切にしていた全てが奪われていきました。


私が思うに龍馬は、本当はものすごく淋しかったのではなかったでしょうか、

空しかったのではないでしょうか。

それゆえに、いつもそばには愛する人にいてもらいたかったのでは。

心ゆるす友のそばに、ずっといたかったのでは


龍馬は自分のくじけそうな心に鞭打ち、必死に戦い続けました。

人に愛情をそそぐために、幸をあげるために。


しかし、とうとう龍馬はこの11月15日、

愛情のみならず、命まで捧げてしまう結幕を迎えたのでした。

何もかも、人のため全てをささげたのです。


そんな龍馬を見つめていると、人間って本当におろかな動物だと思えてくるのです。

これほど偉大な男を、なぜ人は、自分の狭い視野からでしか見れないのでしょうか。

目先の度量でしか、物事を推し量れないのでしょうか。

なぜ人は、一部の特権階級や既得権に浴すると、公共とか革新を忘れるのでしょうか。


それに比べ龍馬は、

なぜ、あれ程迄の愛情を人のために注げれたのか、

惜しげもなく分け与えられたのか、

あれ程まで突出した人物になるには、それなりの理由があるでしょう。


彼はきっと言うでしょう。

自分にはあふれる愛情で育んでくれた家族がいた。

そして、愛情こそ平和の絆である。

憎しみの中から何も生まれない。

だから人には、愛を分けてあげたかった。と、

私はそう思います