尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

方法としての<自分化> 礫川全次編『在野学の冒険』(批評社 二〇一六)

2016-08-23 06:00:00 | 

 今回は三冊目、礫川全次編『在野学の冒険』(批評社 二〇一六)をとりあげます。前回独学と雑学を対照しそれぞれの特徴を列記しましたが再録すると、以下のようになります。

独学・・・概念的 本格的 最終的 全体的 本質的 明言的 専門的 客観的 普遍的

雑学・・・感覚的 初歩的 入門的 断片的 隙間的 示唆的 趣味的 主観的 個別的

 礫川氏は『雑学の冒険』の「はしがき」で、在野学という領域が独学とも雑学とも重なることを指摘しています。ならば、在野学を独学と雑学のあいだに置いてみる試みを恣意的とは言えないと思います。<独学──在野学──雑学>と並べてみることで、在野学の中間的性格が浮かび上がってくる気がするのです。たとえば、概念的と感覚的のあいだ、本格的と初歩的のあいだ、本質的と隙間的のあいだ、客観的と主観的のあいだ、・・・というふうに考えてみると、在野学の中間的性格がおぼろげに見えてくるようです。「中間的性格」とは両義的であることです。両端の雑学的性格と独学的性格を二つ兼ね備えているということです。在野学の中間的性格をもっとはっきりさせるには、この両義性を手がかりに、『在野学の冒険』のなかで「在野学とはどのような学問か」を内在的に論じている作品で確かめてみればいいはずです。ここでは、山本義隆「一六世紀文化革命」、芹沢俊介「思想としての在野学」、高岡健「柳田国男の<資質>についての断章」の三本を取り上げます。まず山本義隆氏の講演記録からと思ったのですが、これを紹介する編者・礫川氏の「はしがき」の記述のほうが断然分かりやすいので、急遽変更して引用します。

 

 編者が最初に、「在野学」という言葉を意識したのは、山本義隆さんの「一六世紀文化革命」という文章(『論座』二〇〇五年五月号所載)を読んだときでした。この文章は、本書に再録されていますが、オリジナル版に対し、徹底的に手を加えていただいたものです。ここで山本さんは、近代の科学というものは、十六世紀に、在野の職人が、みずからが獲得した「知」を、日頃使っている「俗語」で記録したことに始まるという指摘をされていました。たいへん重要な指摘だと思いました。/なぜ、「在野の職人」だったのでしょうか。山本さんによれば、それは、彼らこそが、自分の仕事で行き当たった諸問題を、自分の頭で、科学的に考察できたからです。たとえば、当時の医者は、手術をする、包帯を巻くといった手を汚す仕事は、理髪師あがりに外科職人にまかせていたそうです。そうした職人たちが、学術用語のラテン語ではなく、ドイツ語、フランス語、英語といった「俗語」で書き始めたのが十六世紀でした。まさにこのとき、近代の科学が誕生したわけです。/この十六世紀の職人たちの研究成果、これこそが「在野学」です。アカデミズムの世界の外に(在野に)位置する研究者による研究成果で、アカデミズムも、その価値を認めざるをえないような研究成果。ひとつには、これを在野学と呼んでよいと思います。/いま、「ひとつには」と申し上げたのは、別の意味での「在野学」というものも想定できると考えたからです。従来のアカデミズムが扱いきれない、あるいは扱おうとしてこなかった「在野」的な分野にこだわり、そうした分野で、何とか学問を成立させようと努力すること。──これもまた、「在野学」と呼んでよいのではないでしょうか。(前掲書 三~四頁)

 

 礫川氏は、山本義隆氏の講演記録「一六世紀文化革命」という文章から、「在野学」の定義を導いています。一つ目は、たとえば医学の世界では、文献知の段階からおりて来ようとしない「大先生」に代って、実際の治療に当たっていた「在野の職人」が、「自分の仕事で行き当たった諸問題を、自分の頭で、科学的に考察」した成果を当時学術用語だったラテン語ではなく自分たちの俗語で著したものを、「在野学」と呼んでいます。二つめは、≪従来のアカデミズムが扱いきれない、あるいは扱おうとしてこなかった「在野」的な分野にこだわり、そうした分野で、何とか学問を成立させようと努力すること≫をそう呼んでいます。在野的な研究成果とその歩み・努力をさして定義しているわけです。ですが、「在野の職人」への評価軸である「研究成果とその歩み・努力」という地平を超え、もう少し内在的に考えてみたいと思います。この職人たちが行っている仕事は、「本格的」段階にあるラテン語医学の実践的分担であり、また治療法の研究・改良だったはずです。そしてその成果を自分たちの言葉で著すことは、高次な段階から自分の領域に下りて受けとめることです。また「在野の職人」の仕事は医学的には「初歩的」段階から治療実践段階へのぼって受けとめることです。この両義性・二重性を<自分化>と呼んでみたいと思うのです。またもう少し広く捉え直して、「在野学」を「初歩的」段階と「本格的」段階のあいだをのぼりおりする方法と呼ぶことも可能です。すなわち、方法としての<自分化>です。


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