尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

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自分の研究蓄積を捨てなかったこと

2017-09-28 06:00:00 | 

 庄司和晃のコトワザ研究における始まりの仕方を特徴づける第二の指標は、「自分の研究蓄積を捨てなかったこと」です。どういうことかというと、三浦つとむの『弁証法はどういう科学か』の冒頭の記述から受けとった各種の「問題解決法」を、図式を描くことを通じて受けとめてから、そのまん中の「諺・金言」領域の重要性に気づくことになりました。ふつうならここで、まっすぐコトワザ研究に突入していいはずです。ところがそうではないのです。彼はこのとき十年以上にわたって蓄積していた、「小学生のコトバ」採集・分類・分析研究を思いおこすのです。

この研究は当時成城学園に住んでいた柳田國男に、小学一年生は家庭を背負ってくる」というアドバイスを受けて、入学以前・教育以前の言語生活に焦点をあて、まず遊びの中のコトバ、その中から自然交渉におけるコトバ(理科コトバ)の採集をはじめることになります。まとまった研究成果は、「小学生の言語生活とその考察」、「子どものコトバと行動についての諸考察」、「自然との交渉にみる子どものコトバ」として、『コトワザの論理と認識理論』(一九九〇、七)に収録されています。

 さて、「諺・金言」(コトワザ)の重要性に気づき、かつての「小学生のコトバ研究」を思いおこしたあと、果してどうなったのか。庄司はその研究成果を、コトワザを軸として再構成し、自前の言教育構想を構築してゆく途に出るのです。コトワザを中軸におくことによって、その内容がビシッとしてきたと書いてありますから、相当な手応えを感じていたのではないか。そのために彼が準備したのは、以下の五種類の資料でした。

資料①「科学の論理形成にさおさすもの──科学の有効性・実践的課題をめぐる問題を理論化するための一資料」(一九六五、八月十二日)

資料②「言語教育と科学教育の周辺──小学生における私的言語教育試論(1)」(一九六五、九・二二)

資料③「言語教育と科学教育についてのMemo──小学生における私的言語教育試論(2)」(一九六五、九・二九)

資料④「テキスト:試案」(一九六五、九)

資料⑤「言語教育の体系化への試み」(一九六五、九・二九)

 以上の資料のうち、資料③と④は未見です。単行本への収録がないからですが、資料③はその日のうちに改稿され資料⑤になります(その理由については不明)。資料④のテキストの全貌は未見ですが、資料⑤の第Ⅱ節「体系化への構想おぼえがき」の中に、そこに採用された資料名とテキストの目次立てが掲載されています。この第Ⅱ節は、言語教育構想の教育的な実験に際して自分の研究蓄積を如何に再構成・再編集しようとしていたかが見て取れる重要な資料です。また遠回りであっても、結局自前のコトワザ教育論を構築するうえでどのくらい役立ったのかも窺えるものです。さて、これらの資料の日付に注目していただくと、資料④のテキスト作成は、およそ九月いっぱいかかったとして、最初の「方言の授業」が開始されたのは十月に入ってからだと考えられます。目を通すことのできた資料①②⑤については、8/19~9/19のブログで四苦八苦しながら詳しく解読してあります。

 もう一つ重要なことがあります。これら資料①から④までの四つの資料は、九月三〇日以降の遅くない日に、自前の言語教育構想へ向けて直接の引き金になった本の著者三浦つとむの元へ届けられたことです。読んでもらい意見を聞いてみたかったのです。返事があったのは十月と十一月の境界頃だと考えられます。そこにはスゴイ助言がありました。それは庄司が描いた図式のまん中の「諺・金言」(コトワザ)に関するもので、その核心は、コトワザが、①前論理学段階にあること、②段階という考え方、③認識実践の「表象」段階にあたること、の三つでした。これらの教示は庄司の内にあった学問研究概念をまるごと変えてしまうほどの共感と感動をもたらしました。この影響は、「方言の授業」が途中で打ち切られ、すぐ「コトワザの授業」にチェンジされたという事実だけではなく、その頃の十一月一日に執筆された「表象としてのコトワザのもつ論理」にズッシリとその手応えが反映されているように思われます。

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