尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅

本を読むとそこに書いてある場所に旅したくなります。また旅をするとその場所についての本を読んでみたくなります。

中央と地方の文化交易

2013-03-28 19:17:45 | 

 第二節にあたる「中央と地方の文化交易───地方文化は乱世に培養される」について読んでみましょう。

  •  次に中央と地方の文化が旅行によって交流した著しい例を挙げて見よう。それは足利時代中期の京都の衰微と旅行の関係に見ることが出来る。当時の京都は応仁の乱によって戦火の巷となつたため、荒廃疲弊の極に達したのである。物資も金銀も地方にのみ偏在して全く京都にはなく、あるのは唯難民の彷徨と飢餓だけと云ふ状態であつた。物の欠乏と購買力の欠如によって、京都は多数の消費者を擁した都市としての機能を完全に失ってしまった。戦禍の齎(もた)らす悲惨な結果には時と処の相違なく、まことに今日の社会状況とよく似てゐる。その時の京都にあつたのは無形の文化だけであつた。これが地方に幸ひし、中央の文化を吸収する絶好の機会となつた。

 「旅」とは信仰性と交易性の二重性をもつ本質的・一般的なあり方を、また「旅行」とは時代的・特殊的なあり方を意味するというのが、私のこれまでの議論でした。この基準からみると、上の引用における「旅行」の使い方は適合しています。これを「徒歩によるものを旅の時代、鉄道などの交通機関によるものを旅行の時代」というような基準をもってしては柳田の文章は理解しがたいということになりましょう。続きを引用します。

  •  即ち文人墨客などは食へぬ京都を棄てゝ、続々地方行脚に出たのである。いはゞ地方疎開であるが、一番歩いた連歌師の宗祇をはじめ幾多の文化人が各地へ都落ちをしてゐる。彼等としては地方へ持つて行くものは、無形の文化より外にないから乞食商人と悪口をいはれても忍んだ。歌や物語を地方の大名や豪家に土産として書いてやり、或いは連歌を興行し、帰りに金銀を土産に貰って来る一種の文化交易である。

 京都の戦禍から逃れ地方疎開に出た文人墨客たちが、大名や豪家に無形の京文化(歌や物語)を提供するかわりに金銀を得ていたという時代的な現象は、「個人の旅(一人旅)」のもつ<交易性>に焦点を当てた展開、すなわち「一人の旅行」であることが読み取れるのではないでしょうか。最後の段落です。

  • かやうに中央の文化人が田舎へ田舎へと出かけた結果は、期せずして中央文物の地方普及となつたが、優位にあつた地方は決して中央文化に盲従したのではなく、よく之を摂取して一大飛躍を遂げるに至つた。地方文化は乱世のときに培養されるものである。

 結局、旅や旅行がもたらす文化交易は、相互の文化形成と相互理解の二つの問題を提起しているように思われます。ここでは対等性がピックアップされているようですが、旅や旅行の問題は考えてみると存外に大きなテーマを孕んでいることがわかります。


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