Wind Letter

移りゆく季節の花の姿を
私の思いを
言葉でつづりお届けします。
そっとあなたの心に添えてください。

~私の72候~  立夏 末候  竹笋生ず(たけのこしょうず)

2017-05-22 20:56:11 | ~詩でつづる私の七二候~









筍流しの風が吹くころは

雨の気配を含んだ南風が吹くという

風を伴った夜更けの雨は

竹林の筍を育てる音でした


夏の前触れを運ぶ

安堵感のある雨音は

私に懐かしさをさしかけてきます

ふと 筍の淡竹(はちく)が

好物であった義母が思い出されます


ぐんぐん育つ筍のように

ぐんぐん大人にはなれなかったけれど

義母の思い出の一つをすばやく食し

あの時の暦をゆっくり広げてみたいのです


足を止め義母に話したい憂いがあるけれど

筍流しの風に吹かれていると

宛先不明の優しい手紙を

私は書いてみたくなるのです


みやると

町を囲む半円のような低い山々には

常緑樹の葉が生まれ変わっています

その色彩のグラデーションは

何故か生きているうれしさで迫ってきます


月見草が咲き

次にショウマが咲き

何事も閉じ込められないまま時は流れています

竹林は今年の生命を抱えてしなやかに波打っています







 4月の終わりに東北地方の美術館を訪れた。

青森美術館、三内丸山遺跡、棟方志功記念館、岩手美術館

が主なルートであった。青森出身の作家太宰治が津軽の

旅行は5・6月に限る。梅、桃、桜、リンゴが一度に花が

咲くと書いていたが、まさしく東北は花ざかりであった。

水仙をはじめ、桜そして、こぶし、白蓮、梅、しだれ桜が

咲いていた。初めて知った名前だが山中には、匂いこぶし

が咲いていた。東北の春は一斉にやってくることを知らさ

れた。しかし、はるかに見える山、岩手山、八甲田山は雪

が白く頂きに残っていた。自然の風景からも東北の深さを

見る思いであった。

美術館のひとつで見た棟方志功の板画には驚かされ感動し

た。青森のねぶた祭りの影響で独自の世界を創りだした

作品群であった。ねじった和紙を鉢巻のように頭にまいて

青森の歌を歌いながら板画を楽しそうに彫っているビデオ

を記念館で見た時、東北の土や空や人々そして、生活が、

棟方志功の作品のエネルギーになっていると思われた。

やはり青森にあってこそと思える棟方志功の作品群で

あった。

東北は歴史の中でも中央から攻められたり、飢饉に見舞

われたり、また今回の東北地震の被害で多くの方が亡く

なられた。その悲しさを私が安い言葉で語ることはでき

ないが東北人の思いの一つの答えが棟方志功の作品だと

思えた。東北の歴史の重さを考えた時私は言葉を発する

ことはできなかった。車中から見える水仙の花はいたる

ところで東北の力のように咲いて、その鮮やかさは胸に

迫るものがあった。(2017.5.19)

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