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田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、カード収集、旅、日々のあれこれなど。

駿府城(№1):静岡市

2019年06月20日 | 日々のあれこれ

№1は、日本100名城「駿府城」(2018.5.14撮影)(平城)

1607年に将軍職を辞した家康が駿府に戻る。1610年に天守完成(六重七階?)→1635年に焼失

焼失した天守は再建されず。「巽櫓」(平成元年復元)と二の丸「東御門」(平成8年復元)

「巽櫓」と「中堀」

東御門

東御門

「徳川家康公」の像と本丸跡(令和2年まで発掘調査中)

内堀

内堀

二の丸の南西隅にある2層3階の「坤櫓(ひつじさるやぐら)」。

平成26年に復元し、内部はスケルトンになっていて、櫓の構造が見れる。

 

このところ、「気になる物(乗物、建造物、構造物など)のカテゴリーに「」をUPしています。

「日本100名城」や「続日本100名城」を見て回って、その城や時代背景などを探求したり、スタンプを集め、全ての城を巡り、制覇(登城)しようなどとは全く思っていません。

最近は若干ですが、「現存天守12城カード」「日本100名城スタンプ」なども収集してはいます。

私は建造物(構造物)としての「城」に魅力を感じ、興味深く見て周っています。

 ①優れた文化財であり、歴史や時代の舞台である。

 ②大変美しい建造物であり、建築物としての価値も高い。

 ③当時の職人(匠)の優れた技が素晴らしい。など

私がこれまでに見てきた「城」を「訪れた順(古い順)」に簡単に紹介しいきます。

№1は、なんといっても私の出身地:静岡市の駿府城です。今のように「巽櫓」などはありませんでした。

№2は「」です。高校の「修学旅行」(S47.11.8撮影)で訪れました。以降、修学旅行で訪れた「松江城(№3)」→「姫路城(№4)」の写真を順次UPします。

 

 

 


二本松城:二本松市

2019年06月19日 | 日々のあれこれ

日本100名城「二本松城(別名:霞ケ城)」(2018.12.01撮影)

山上に中世山城、山麓に近世城郭と二つの顔を持っています。

「箕輪門」・「二階櫓」。昭和57年に再建。

「二本松少年隊群像」

本丸跡の石垣

本丸の天守台石垣

天守台からの絶景

詳しくは「日本っていいなぁ。」「旅の思い出」「男旅②:二本松市:大七酒造・二本松城」をご覧下さい。


会津若松城:会津若松市

2019年06月19日 | 日々のあれこれ

日本100名城「会津若松城(別名:鶴ヶ城)」(2006.11.19撮影)(築城年:1384年)

幕末の「戊辰戦争」の激戦地としてあまりにも有名。

 

地元では「鶴ヶ城」と呼ぶが、同名の城が他(上総国など)にあるため、地元以外では「会津若松城」呼ばれることが多いそうです。

「日本110名城に行こう」でも「会津若松城」であり、国の「史跡」としては、「若松城跡」で指定されています。

地元ではありませんが、私も「鶴ヶ城」と呼んでいました。

明治年に取り壊されましたが、昭和40年に再建、平成13年には天守に続く建物「干飯櫓・南走長屋」が復元されました。

平成23年には「赤瓦」への葺き替えが完了し、幕末当時の姿を再現し、国内唯一の「赤瓦の天守」となっています。

 ※写真は「黒瓦」の時代です。


五稜郭:函館市

2019年06月18日 | 日々のあれこれ

日本100名城「五稜郭」。(2016.7.14撮影)

国内初の星形西洋式城塞。江戸時代末期、蘭学者武田斐三郎がオランダの築城書を参考に設計した洋風の平城。

箱館開港に伴い蝦夷地の管理と箱館防御のために、徳川幕府の命令で築かれた。(築城年:1864年)

手前の矢尻のように突き出たところが「半月堡(はんげつほ)」。防御と出撃の拠点となる三角形の馬出(うまだし)

外周の水堀

 

復原された「函館奉行所庁舎」

襖を開け放つと72畳の広さになる大広間や奉行の執務室であった表座敷。手前から四之間、参之間、弐之間、壹之間と4つの部屋がそれぞれ4枚の無地の襖で仕切られています。

 

五稜郭タワーから見た奉行所

五稜郭復元模型

五稜郭タワーから見た函館市街。奥の山が函館山


首里城:那覇市

2019年06月18日 | 日々のあれこれ

日本100名城「首里城」。(2008.12.27撮影)琉球王国の栄光を伝える城。築城年は1400年代。

正殿」。琉球国と王家の象徴。1階は国王が政治や儀式を行う場所。

守礼門」。「守礼(しゅれい)」とは「礼節を守る」という意味。門に掲げられている扁額(へんがく)には「守礼之邦(しゅれいのくに)」と書かれている。

首里城は1945年の沖縄戦でアメリカ軍の攻撃により全焼。その後、琉球大学のキャンパスとなりましたが、琉球大学の西原町への移転に伴い、復旧事業が推進され現在に至っています。2000年12月、「世界遺産」に登録されましたが、登録は「首里城跡」です。

 

瑞泉門(ずいせんもん)。内郭の櫓門。

外郭。右が「久慶門(きゅうけいもん)」城壁は琉球石灰岩の切石で築かれ、その総延長は約1,080m、城壁の高さは、6~15m。