仕事で外出中、街の中の公園で時間調整をしていたら、基地になっている新潟大学病院のヘリポートに着陸する直前のドクターヘリを見かけました。
今日は救急の日。ドクターヘリは本来出動する必要がない方がいいのでしょうが、中山間部の多い新潟県では、いざというときにとても頼りがいのある存在ですよね。
このドクターヘリはBK117という機種なのですが、メーカーは私が教員になる前に4年間勤めていた川崎重工業と . . . 本文を読む
小学校五年生の頃から、多分中学校2年生頃までだったと思う。
正月明けの冬休みに、高校の教員をしていた叔父に毎年のようにスキーに連れて行ってもらっていた。1月3日の夜行バスで豊橋を出発し、4日、5日、6日と滑ってまた夜行で7日に帰ってくる。当時は学校の新学期は1月8日からだったから、冬休み最後のビッグイベントであった。
目的地のスキー場はいつも決まっていて、志賀高原の丸池スキー場。バスに乗っていた . . . 本文を読む
小学生の頃、私は父母に連れられてよく豊橋の祖父母の家に遊びに行った。祖父母の家は豊橋の市街地から南に下る昔の街道沿いにあり、間口三間ほどの二階建ての家であった。
・・・と言ってもいわゆる普通の「家」ではなかった。祖父は畳職人だったので、その二階家の通りに面した土間には大きな製畳機械が1台置いてあり、その奥が住居になっていた。私が遊びに訪れると、藁の匂い一杯の土間で、いつも祖父がその機械を操りなが . . . 本文を読む
豊橋の市電のことは、すでに10月4日のブログに書いた。その市電を運営する豊橋鉄道という鉄道会社は、「渥美線」という豊橋市内から渥美半島方面に向かう鉄道の運行も行っている。
私が4歳になった翌年の春、それまで住んでいた豊橋市内の借家から、名古屋市内の平針団地に父母に連れられて引っ越した。豊橋の借家は、父方の祖父母(祖父は畳屋を生業としていた)の家の近くにあったが、私たち家族が名古屋に引っ越したこと . . . 本文を読む
平針団地のすべての地域が、現代の中で活気ある街となっているわけではなかった。
平針団地を探索する中で、最初から一つ気づいていたことがあった。それは、団地の中に大きなショッピング街ができていないことである。
これだけの人口と活気を持った街ならば、その中心地には各種の店舗を擁したショッピングセンターがあってもいいはずである。しかし、一つもなかった。私なりに理由を考えてみた。
・車で容易に行ける近 . . . 本文を読む
今でも夢に出てくることがある。幼少期の思い出というのは、人の心に相当な影響を持つものだとつくづく感じる。写真の場所は、いつも私の夢に出てくる眺めである。
左の方に延びているのが1街区。左奥が新築されていた2街区。坂道を昇って行くと卒園した「あかつき幼稚園」がある。写真には写っていないが、右後方に集会所、ショッピングセンター、そして団地の運動会が行われていた運動場がある。左手は、当時「細口池」とい . . . 本文を読む
長い上り坂を走って行くにつれ、そこには幼少期を過ごした思い出の「平針団地」が、ある意味そのままに、そしてある意味今の時代に溶け込んだ中で存在していた。
昔、近隣から孤立して島のようになっていた平針団地であったが、今ではその近隣の街が発展し、平針団地の中にまで進出していた。道路はそれらを含めて縦横に走り、人々の往来をスムーズにしていた。平針団地もそうした人の流れを決して拒まずに受け入れているように . . . 本文を読む
「平針団地」は、旧街道の平針から自動車運転試験場までを結ぶ長い上り坂の終点付近に広がる大団地である。入居当時は、平針団地はこの坂道の奥の、言うなれば大きな独立した新開拓地の島の様を呈していた。
名古屋の中心部と言うと、「栄」や「名古屋駅」であるが、当時は、平針団地と栄、あるいは名古屋駅に向かうための交通要所として「金山橋」(叔母の家があった)等がバスで結ばれていた。平針団地から栄まで50分、金山 . . . 本文を読む
私が小学校6年生の頃、名古屋の南東部に位置する平針団地から、名古屋の北部に隣接する西春日井郡豊山町内にある高層分譲住宅に転居した。豊山町は、そう、あのマリナーズの「イチロー」の出身地である(私は、イチローの中学の先輩ということになる)。
その後、高校2年の時に名古屋市名東区極楽に転居した。私は独立して現在新潟県にいるが、私の両親は今も夫婦で名東区に住んでいる。
実はその名東区極楽の住まいと、平 . . . 本文を読む
昭和30年代から40年代前半の日本は、いわゆる高度成長期であった。人々の生活も、この高度成長に伴ってより文化的に向上していった。
「団地」もその文化の向上の一つの象徴であった。
「団地」とは、東京、名古屋、大阪で見られた集合住宅の一形態であり、「団地」が一つの自治組織を持ち、大きな町を形成していた。田舎に居住する人たちにとっては、「団地」などというのはある意味では「貧しい人が住む場所」というよ . . . 本文を読む