日本人としてのアレ。

通りすがりで会ったなら、その出会いを大切にしたい

『伝える』

2015-08-19 | その他
母の日に、『お母さん、ありがとう!』みたいな事をTwitterなどで、言うのはオカシイ!!

みたいな風潮あるけど・・・、お母さんに直接言えない恥ずかしい事を、ネットと言う場所に置いていくのはイケナイ事なんだろうか???



僕は、お母さんに直接、カーネーションを贈ったり出来ない。

それは、お母さんが死んだら、後悔すればいい。


後悔を、することも含めて、直接伝えないのだ。


どこか、伝えてしまったら、オシマイの様な気が、しないでもない。




伝えると言う事は、時に非常に無責任で、言葉だけでは伝わらない事が多々ある。


『ありがとう』や『ごめんなさい』は、とても重宝されている、【想い】で、多用される。





「お母さん、産んでくれてありがとう」と、伝える時に、『どうして感謝する様になったか?』本当に自分で理解しているかが問題の一つに当たる。



一人暮らししてみて、朝飯が用意されてナイ環境で、たまに実家に帰れば母親の喰いなれた飯に感謝する。



そんな、当たり前の事に気付くのが人生であったり、『自分自身の成長』だったりする。






自分だけで成長するなら勝手だけれど、僕はパフォーマンスをする人間として、一つだけ、いつも心の中の取り出しやすい所に置いてある気持ちがある。



それは【どうして、ボンクーと言う人間と接して、面白かったと思えたか?】と考えてもらう事、


そんなに難しく考えてもらうのは、このブログに飛んできてしまった人だけでいい・・・(笑)





【面白い】とは、初体験なのである。

相手が、今まで「見て、聞いて、感じて、匂って」なおかつ触った事もあるような物を、大人なら面白いと思えない。

人間は、そういう病気なのである。



生きると言う事に関して、不感症なのだ。




だからこそ、『面白いモノ』を提供する人が存在する。



ただ産まれて、数回セックスして、死んで。

その中で、『もう、出逢わないと思っていた新しい事』を、提供するのが、僕の使命。



僕は、自分の事を真剣にコズモスターだと思う。



宇宙さえも「発見」で捻じれさすのが楽しみ。




この宇宙は、父親と母親に創ってもらったので、大感謝。

両親に恥ずかしくないように、折れない心で生き抜く。






僕は、ドンドン面白くなっていって、新しい【あぁ、生きているんだなぁ!!】と言う、当たり前の発見を、提供したい。





面白く生きる、それは、ちょっとだけ怖いけど、ナイフとパンだけあれば、自由になれる。

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