@28ban(伴 州堂)
『読書』梅棹忠夫氏は、1960年に著書【日本探検】の第三章として「北海道独立論」を書いて居る。梅棹忠夫氏は、北海道の面積はオーストリアより小さいぐらいと書いて居る。世界地図で観ると北海道ぐらいの面積の国は幾つか在り、スイスもそうだ。アジアだとスリランカやブータンや台湾もだ。
@28ban
『読書』梅棹忠夫氏は、1960年に著書【日本探検】の第三章として「北海道独立論」を書いて居る。当時の札幌市の日航サービス・センター広間にアイヌ模様が描かれ、ポスターやパンフレットにも。そして、熊も。1960年代の北海道札幌で、アイヌや熊が北海道のシンボルの様に扱われて居たと。
@28ban
『読書』梅棹忠夫氏は、1960年に著書【日本探検】の第三章として「北海道独立論」を書いて居る。ただし梅棹忠夫氏は、1940年代の北海道では、「アイヌはなお民族同化政策の対象としての微妙な存在であり、クマは、人畜におおきな被害をあたえるところの、退治すべき相手であった。」と。
@28ban
『読書』梅棹忠夫氏は、1960年に著書【日本探検】の第三章として「北海道独立論」を書いて居る。そして梅棹忠夫氏は、1960年代の北海道では、曾てアイヌもクマも何らかの意味においてシリアスな存在だったが、観光北海道のシンボル、内地(本州)に対しての北海道を特徴づける存在になったと。
@28ban
『読書』梅棹忠夫氏は、1960年に著書【日本探検】の第三章として「北海道独立論」を書いて居る。梅棹忠夫氏は、1960年代の北海道でアイヌとクマが、観光北海道のシンボル、内地(本州)に対しての北海道を特徴づける存在になったが、内地化同化では無く辺境化異化の方向の顕れではないかと。
※観光北海道のシンボルとしてアイヌやクマが北海道のシンボル化となっても、当時アイヌ伝統文化やヒグマに其処迄の理解は示して居たかは別だろう。時代としては、労働組合活動・デモ・学生運動・左翼活動・人権運動が活発な時代だったが……。
アイヌ伝統文化や北海道の自然動物植物の研究・評価の始まりだったかもしれないが。