〈御温習意・『音楽』〉
音楽はやはり映画音楽&特撮&アニメソングからだな…。
西部劇・戦争映画・SF映画の影響が大きい。
映画音楽を聴く事により、交響曲・楽器一本・歌一本・疾走感・緊張感・恐怖感・開放感など、喜怒哀楽に応じた音楽が身に付いた。
交響曲は、スペクタクル映画・SF&特撮映画か。
『ベンハー』『十戒』『アラビアのロレンス』『スターウオーズ』『スーパーマン』とか。
ジョン=ウィリアムズと言う作曲家は、例の『スターログ』を創刊号から持ってた友人から教えて貰ったな…。
疾走感は、やはり『駅馬車』『OK牧場の決闘』『地獄の黙示録』『アメリカングラフィティ』『海のトリトン』『キューティーハニー』『サイボーグ009』『宇宙戦艦ヤマト』『マジンガーZ』だった。
恐怖感と言えば『オーメン』『エクソシスト』『白色彗星のテーマ』『ダースベイダーのテーマ』『オペラ座の怪人』『ジョーズ』か……。
小学生の頃は特撮&アニメソングと映画音楽が強かった…。(アイドルも聴いてはいたが。)
中学生に成るといきなり四大勢力が…。
当時周囲では、MTV系かロカビリーかメタルかパンクかだった。(同級生に「何かカセットテープに録音してくれと頼むとメタルかロカビリーを録音された時代だった…。)
特に友達の家に行くと部屋で掛かって居たのは『ブラックキャッツ』『ストレイキャッツ』か『アナーキー』『モッズ』か『ラウドネス』『アースシェイカー』『44マグナム』であった…。(俺の周囲では『スターリン』は少なかった。俺個人はプレスリーやデルシャノンも聞いて居た。)
MTV系だと『デュランデュラン』『プリンス』『カジャグーグー』『リマール』『マドンナ』『マイケル=ジャクソン』『メンアットワーク』『ビリー=ジョエル』『エルトン=ジョン』『カルチャークラブ』『シンディー=ローパー』『U2』『スティックス』『ビリー=アイドル』などなど。
忘れてはならないのが小中学校の時のプロレスブームだ。
ハンセン・ブッチャー・ブロディが、あのキャラであの入場曲で会場に、時に怒涛の如く参上したのは忘れられない。(ハンセンの試合は、中島体育館で生で観た事がある。また其後出て来たロード=ウォリアーズやビッグ=バン=ベイダーも記憶に残る。そして、ハンセンVSベイダー戦は感動だった…。)
パンクは、『アナーキー』『スターリン』からか。
ハードコアパンクは北海道江別市大麻駅前のイトーヨーカドーで『エクスプロイテッド「オンステージ」』を買ったのが始めてだ。
雑誌の『宝島』『フールズメイト』『DOLL』を読み札幌に『UKエジソン』『ディスクアップ』と言うインディーズレコード屋が在るのを知ったのは大きい。
そして十六歳の冬に『アンチセクト』のレコードを同級生から買い、後はエジソンとディスクアップで次から次へと購入した。
『エクスプロイテッド』『アンチセクト』『アメビックス「ノーサンクチュアリ」』『クラス「イエスサーアイウィル』『クロックDVA』『デスインジューン』を16~17歳で聴いてた影響は大きい…。(ノイズ系やポジパンなども…。)
日本のバンドも当然聴いて居た。
また、当時スラッシュが一部で聞かれ始めてた頃で、知人宅に行くと関東関西・海外のスラッシュが常にかかって居た……。
知人の兄は、バイト代をスラッシュのレコードに投入し、札幌のインディーズ系のレコード屋に、取り置きコーナーを造って貰ってた。
ベノム・バソリー・セルティクフロストも知人の家で聞いた。
ライブビデオも知人宅で観た。
『コンバットツアー』『ベノム「ウィッチングアワー」』は忘れられん。
ライブハウスは、『ベッシーホール』『駅裏八号倉庫』『ペニーレーン』に行った。(大谷会館も。)
十九歳で東京に行ってからは、下北沢屋根裏・鹿鳴館・国分寺モルガーナ・エクスプロージョン。
アンチノック・二万ボルト・ロフト・ワッツ・ライブステーション・ナルシス。
ルック・クレシェンド・ギガンティック・ワープ・UFO・ウォール・エリア。
アピア・シェルター・ドクター・ACB。
リキッドルーム・ミルク・デセオ。
代々木のホコテン・法政大学・中野公会堂・教育会館・豊島公会堂のライブイベントにも顔を出して居た。
レコードやCDを買うよりライブに行ってた。
家で聴くより、最前列で観て聴くより、ステージから三列目列目常連だった。(此頃ライブの為に身体をよく鍛えてた。拳立て腹筋背筋百回は普通にやっていた。ベンチプレスは120㌔だったか…。)
そんな二十代であった。
音楽はやはり映画音楽&特撮&アニメソングからだな…。
西部劇・戦争映画・SF映画の影響が大きい。
映画音楽を聴く事により、交響曲・楽器一本・歌一本・疾走感・緊張感・恐怖感・開放感など、喜怒哀楽に応じた音楽が身に付いた。
交響曲は、スペクタクル映画・SF&特撮映画か。
『ベンハー』『十戒』『アラビアのロレンス』『スターウオーズ』『スーパーマン』とか。
ジョン=ウィリアムズと言う作曲家は、例の『スターログ』を創刊号から持ってた友人から教えて貰ったな…。
疾走感は、やはり『駅馬車』『OK牧場の決闘』『地獄の黙示録』『アメリカングラフィティ』『海のトリトン』『キューティーハニー』『サイボーグ009』『宇宙戦艦ヤマト』『マジンガーZ』だった。
恐怖感と言えば『オーメン』『エクソシスト』『白色彗星のテーマ』『ダースベイダーのテーマ』『オペラ座の怪人』『ジョーズ』か……。
小学生の頃は特撮&アニメソングと映画音楽が強かった…。(アイドルも聴いてはいたが。)
中学生に成るといきなり四大勢力が…。
当時周囲では、MTV系かロカビリーかメタルかパンクかだった。(同級生に「何かカセットテープに録音してくれと頼むとメタルかロカビリーを録音された時代だった…。)
特に友達の家に行くと部屋で掛かって居たのは『ブラックキャッツ』『ストレイキャッツ』か『アナーキー』『モッズ』か『ラウドネス』『アースシェイカー』『44マグナム』であった…。(俺の周囲では『スターリン』は少なかった。俺個人はプレスリーやデルシャノンも聞いて居た。)
MTV系だと『デュランデュラン』『プリンス』『カジャグーグー』『リマール』『マドンナ』『マイケル=ジャクソン』『メンアットワーク』『ビリー=ジョエル』『エルトン=ジョン』『カルチャークラブ』『シンディー=ローパー』『U2』『スティックス』『ビリー=アイドル』などなど。
忘れてはならないのが小中学校の時のプロレスブームだ。
ハンセン・ブッチャー・ブロディが、あのキャラであの入場曲で会場に、時に怒涛の如く参上したのは忘れられない。(ハンセンの試合は、中島体育館で生で観た事がある。また其後出て来たロード=ウォリアーズやビッグ=バン=ベイダーも記憶に残る。そして、ハンセンVSベイダー戦は感動だった…。)
パンクは、『アナーキー』『スターリン』からか。
ハードコアパンクは北海道江別市大麻駅前のイトーヨーカドーで『エクスプロイテッド「オンステージ」』を買ったのが始めてだ。
雑誌の『宝島』『フールズメイト』『DOLL』を読み札幌に『UKエジソン』『ディスクアップ』と言うインディーズレコード屋が在るのを知ったのは大きい。
そして十六歳の冬に『アンチセクト』のレコードを同級生から買い、後はエジソンとディスクアップで次から次へと購入した。
『エクスプロイテッド』『アンチセクト』『アメビックス「ノーサンクチュアリ」』『クラス「イエスサーアイウィル』『クロックDVA』『デスインジューン』を16~17歳で聴いてた影響は大きい…。(ノイズ系やポジパンなども…。)
日本のバンドも当然聴いて居た。
また、当時スラッシュが一部で聞かれ始めてた頃で、知人宅に行くと関東関西・海外のスラッシュが常にかかって居た……。
知人の兄は、バイト代をスラッシュのレコードに投入し、札幌のインディーズ系のレコード屋に、取り置きコーナーを造って貰ってた。
ベノム・バソリー・セルティクフロストも知人の家で聞いた。
ライブビデオも知人宅で観た。
『コンバットツアー』『ベノム「ウィッチングアワー」』は忘れられん。
ライブハウスは、『ベッシーホール』『駅裏八号倉庫』『ペニーレーン』に行った。(大谷会館も。)
十九歳で東京に行ってからは、下北沢屋根裏・鹿鳴館・国分寺モルガーナ・エクスプロージョン。
アンチノック・二万ボルト・ロフト・ワッツ・ライブステーション・ナルシス。
ルック・クレシェンド・ギガンティック・ワープ・UFO・ウォール・エリア。
アピア・シェルター・ドクター・ACB。
リキッドルーム・ミルク・デセオ。
代々木のホコテン・法政大学・中野公会堂・教育会館・豊島公会堂のライブイベントにも顔を出して居た。
レコードやCDを買うよりライブに行ってた。
家で聴くより、最前列で観て聴くより、ステージから三列目列目常連だった。(此頃ライブの為に身体をよく鍛えてた。拳立て腹筋背筋百回は普通にやっていた。ベンチプレスは120㌔だったか…。)
そんな二十代であった。