自分に向き合うということを本当に続けていくと、必ずこれまで避けて通っていた課題に直面します。それは前進した結果、訪れるものなので、苦しいこともあるかもしれませんが、決して後退したわけではありません。魂の願いに応えて進んだからと言って、思うようにスムーズにいくことばかりではないのです。試行錯誤することをどうぞ恐れないでいてください。
魂の願いに応答するとか、自身の真実に誠実であるということを実践して行くというと、「きっと苦しいことなんてすべてなくなって、順風満帆、戸惑うことなんてないのだろう」と思う方もあるようです。けれど、それは大きな間違いです。
そのような歩みは深い恩寵とともに在るのは確かですが、先の見えない暗闇をただ一人行くような孤独と不安、戸惑いのなかでもがきながら進むこともあります。
必ずしもいつもそうであるわけではないと思いますが、本当に自分の意思でその道を行くのか、誰かや何かのせいにしないで、その結果を引き受けていく覚悟はあるのか?と私たちを試すために、魂はそうした道のりをあえて行かせることがあるのです。
誰かに言われたから、誰かと一緒だから歩むのでは、どこかでそれを言い訳にして逃げることができてしまいますし、自身の内なる深奥にしっかりとしたつながりを形成することができません。
孤独になって初めて、自身の人生のすべての責任を自分で引き受けること、そして逆説的ではありますが、自分は本当に一人ではなく、常に恩寵とともに今この瞬間もあるのだということを知ることができます。
内なる神と、一対一の関係性を深めることができるのも、こうした孤独においてです。
けれど、私たちの多くは孤独を恐れます。それを耐えがたい苦痛に感じ、最も避けるべき危険として認識しているのです。
そうした恐怖は、私たちの幼い頃に起因している部分もあります。赤ちゃんとして、庇護されなければ生きていけない時期に養育者に見離されるのは、死に直結しています。だから、どんなに理不尽な状況であっても、生きるために自身の感情を押し殺して服従したりするのです。
孤独になったら死んでしまうという拭い難い恐怖は、こうした時代に形成されたプログラムでもあるのです。
またそれ以外にも、実際に過去世で孤独のうちに死んでいった人生の思いを持ち越しているケースもよくあって、これは掘り下げをしていくと簡単に出てきます。
たとえば、自由奔放に生きた結果、周囲の人たちに多大な迷惑をかけて仲間外れにされ、一人孤独のうちに死んでいったというストーリーも非常によくあり、こうしたものを持っていると、孤独で死なないように、常に周囲の人に受け入れられる自分でいることを至上命題として生きるようになります。
このような「孤独=死」という方程式を解除するには、孤独という気持ちのカケラ君たちを見捨てないでしっかりと抱きしめ、受け止めることです。
自身の辛さを置き去りにすることで、耐え難い苦しみを与えているのは他ならぬ自分です。自分が一番辛い思いをしているときに、その自分から離れてしまうのではなく、側にいて抱きしめてあげられたら、その気持ちは深く癒されます。
これができるようになると、耐え難く恐ろしい程の苦しみであったはずの孤独は、霊性の旅を深める友となって、私たちを神聖な存在の深みへと誘ってくれるようになります。
皮肉なもので、私たちは苦しい状況や危機的状況の中にいて初めて、真実なるもの、指針となるべき本物の教えを切実な思いで求めます。そんなときは、嘘や誤魔化し、そこそこの平穏でお茶を濁すようなものでは決して納得がいきません。
私たち人間というのもは、人生がとても順調で何の問題も感じていない状態では、なかなかそれ以上のものを求めるようにはならないもののようです。
そうであればこそ、今苦しいのであればそれは恩寵です。どうぞ必死で真実なるもの、本物を求めてください。
諦めて、死んだように生きている人も少なくありません。けれど、人生は私たちがそんな状態で居続けることに、決して満足はしません。事あるごとに、「生きよ。起きて自身の真実を求めなさい」と私たちを揺さぶります。
セッションなどを通して様々な方に出会いますが、人生に絶望し、ふてくされ、世の中に対して深い憎悪の気持ちを抱いていたり、またそこまでいかなくても、自分を殺してそこそこの平穏を必死で保とうとしているその方の奥底で、表現されることを待っている大きな可能性が在ることを思うと、そんなところで諦めている場合ではない!と揺さぶらずにはいられなくなるのです。
実際のところ私自身、その方の人生に深く影響するようなことをお伝えすることに、少し怖くなるときもあります。自身のビジョンに対して、まだ徹底しきれない迷いがあるのでしょう。
それでも、お伝えすべきメッセージがある時は、私なりに最大限の覚悟を持ってお伝えするようにはしているのですが、ミッションに徹することができたときは、やはりその方の心にすっと届くものになることが多いです。
とは言え、必ずしもそうなるわけでもないので、一回一回が修行ですね。
この辺りを、さらに研ぎ澄ませて行けるように、今年の目標として見ます。
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