以前、ハートの声と欲の声について
書いたことがありましたが、
書いたことがありましたが、
それでもよくわからない、
というお声もいただきました。
頭で考えて理解できることではないので、
ヒントを元に、ご自身で試行錯誤しながら
その感覚を体感していただく
しかないのですが、
このテーマについて、
もう少し思うところを
書いてみようと思います。
普段ハートの声に意識を向けたこともないし、
そもそもその概念が無いという方も
結構いらっしゃるようで、
チャクラリーディングをすると、
そういう方は、ハートの導きの方向と、
その方の顕在意識の向いている方向が
ズレているように見えます。
その状態でも、人生に矛盾や葛藤を
全く感じていない方も稀にあるのですが、
多くはどこか、
自分の人生を生きていない感覚や、
フィットしないものを感じている
ケースがほとんどです。
ハートに意識が向けられない人を
良く良く掘り下げてみると、
そうすること自体にものすごく
抵抗があるんですね。
魂のどこかに、神への不信であるとか、
自分自身への不信、導きを聞いてしまうと
それに支配されてしまうのではないか等
といった恐れを感じていたりして、
ハートの声を聞きたくないのです。
その場合は、
その不信や恐れ、抵抗自体を
クリアにする段階が必要です。
それがクリアになると、
ようやくハートの声に触れられる
状態になっていくのですが、
そこからさらに、その導きを
自身の人生において、欲の声よりも
常に優先させると心を決められないと
いけません。
欲の声の方が派手で大きいので、
精妙な導きは、容易にかき消され、
力の強い欲に引きずられてしまう
からです。
しばしば、
強烈な欲の声を、確信を持って
これが本当に自分がやりたいことなんです、
と答えられる方があるのですが、
欲に引っ張られている時は、
その人の一部とか、極表面的なところ
にしかエネルギーが巡っておらず、
固い印象が私にはあるんですね。
導きに従っているときは、
もっとエネルギーが深いレベルから
その人全体を巡っていて、
存在全体が深く響いている
感覚があります。
だから、
欲に引っ張られている人は、
表面的に一部がつるっと前に出ていて、
奥は動いていないため、
分離して見えるのです。
欲に引っ張られているといっても、
その状態が楽しく情熱的に
感じられる人もいますね。
それを抑圧すると、苦しいし、
落ち着かない。だからこれは絶対に
私には必要で、やるべきなんだ!
って思うわけです。
その感覚に嘘はないのでしょうし、
それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、それでもそれは、
ハートの導きとは違うケースが
あるのです。
ハートの導きと欲が欲する方向が
同じこともあるでしょうが、
しばしば導きは、人間目線の願望や
展望とは違った方向を指し示すことが
あります。
人生に深い悲しみをもたらす選択を
指し示していることもあるし、
相当な苦難を甘受することを
求めてくるときもあります。
けれどハートが指し示す先は、
その時は辛くとも、最終的には
目先の安楽を選んだときよりも
はるかに高い領域に常に導いてくれます。
そのことを絶対的に信頼し、
自らを託すのでなければ、
ハートの声を聞き、導きを生きることは
できないのです。
もちろん、
ハートの声にも様々なレベルがあるので、
常にそこまで厳しいことばかり
というわけではありません。
今日のランチにパスタを食べるか、
和食御前にするか、ということから、
美容院に行くのを明日にするか、
来週にするかということまで、
ハートはちゃんと応えてくれます。
そういうごく日常のことから
ハートに聞いて、それが本当に
良い流れに繋がっていく実感が無いと、
いざ大きな決断をするときに、
導きに従う選択はできないでしょう。
都合の良い時だけ導きを求める在り方では、
本当に人生における導きの奥深さ、
意味に触れることはないのだと思います。
私自身、まだまだ自分の都合で
導きが聞こえなくなって焦ったり
不安になったりということがありますが、
もっと深いレベルでしっかりと
導きに根を張れるよう、
精進していきたいと思います。
というお声もいただきました。
頭で考えて理解できることではないので、
ヒントを元に、ご自身で試行錯誤しながら
その感覚を体感していただく
しかないのですが、
このテーマについて、
もう少し思うところを
書いてみようと思います。
普段ハートの声に意識を向けたこともないし、
そもそもその概念が無いという方も
結構いらっしゃるようで、
チャクラリーディングをすると、
そういう方は、ハートの導きの方向と、
その方の顕在意識の向いている方向が
ズレているように見えます。
その状態でも、人生に矛盾や葛藤を
全く感じていない方も稀にあるのですが、
多くはどこか、
自分の人生を生きていない感覚や、
フィットしないものを感じている
ケースがほとんどです。
ハートに意識が向けられない人を
良く良く掘り下げてみると、
そうすること自体にものすごく
抵抗があるんですね。
魂のどこかに、神への不信であるとか、
自分自身への不信、導きを聞いてしまうと
それに支配されてしまうのではないか等
といった恐れを感じていたりして、
ハートの声を聞きたくないのです。
その場合は、
その不信や恐れ、抵抗自体を
クリアにする段階が必要です。
それがクリアになると、
ようやくハートの声に触れられる
状態になっていくのですが、
そこからさらに、その導きを
自身の人生において、欲の声よりも
常に優先させると心を決められないと
いけません。
欲の声の方が派手で大きいので、
精妙な導きは、容易にかき消され、
力の強い欲に引きずられてしまう
からです。
しばしば、
強烈な欲の声を、確信を持って
これが本当に自分がやりたいことなんです、
と答えられる方があるのですが、
欲に引っ張られている時は、
その人の一部とか、極表面的なところ
にしかエネルギーが巡っておらず、
固い印象が私にはあるんですね。
導きに従っているときは、
もっとエネルギーが深いレベルから
その人全体を巡っていて、
存在全体が深く響いている
感覚があります。
だから、
欲に引っ張られている人は、
表面的に一部がつるっと前に出ていて、
奥は動いていないため、
分離して見えるのです。
欲に引っ張られているといっても、
その状態が楽しく情熱的に
感じられる人もいますね。
それを抑圧すると、苦しいし、
落ち着かない。だからこれは絶対に
私には必要で、やるべきなんだ!
って思うわけです。
その感覚に嘘はないのでしょうし、
それ自体を否定するつもりはありません。
ただ、それでもそれは、
ハートの導きとは違うケースが
あるのです。
ハートの導きと欲が欲する方向が
同じこともあるでしょうが、
しばしば導きは、人間目線の願望や
展望とは違った方向を指し示すことが
あります。
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指し示していることもあるし、
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求めてくるときもあります。
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その時は辛くとも、最終的には
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できないのです。
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というわけではありません。
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精進していきたいと思います。
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2023年
8月2日(水) 19:00~22:00
8月31日(木) 19:00~22:00
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