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南ドイツの昼下がり

日仏家族のドイツでの暮らし

ブルー

2008-12-02 | 妊娠・出産
健診へ行って来た。今日は3回目のエコーだ。私もべべもすこぶる元気で、問題なしなのだが、えーと、かなりでかいらしい。平均より1ヶ月位成長が早いって。だから私の全ての症状が1ヶ月早かったのか~?(最終生理日を自分でも疑ったほど)すでに髪の毛もかなり生えてて(エコーでも映るんだねぇ)先生がびっくりしていた。このままのペースだと確実に4キロ越えだそうだ。ひえぇ~!!!今日はやっとのう腫の手術の予定も話し合うことができた。選択肢としては自然分娩→2・3か月後にのう腫摘出手術もしくは帝王切開で一気に済ませるというのも可能だって。前者を考えていたけど、4キロの子の出産ってはっきり言って自信ないわ~。4キロの場合会陰切開は避けられないだろうーなー。ってか私は何よりもこれを避けたいのだ。ってことは前者も後者も2回切られるってことには変わりないよなー。この先べべの成長が緩やかになってって可能性ももちろんあるので今すぐ決める必要はないけど、帝王切開の場合は手術日も決めなきゃだし、そんなに余裕もないわけで。とりあえずはぼんやりとしか知識がなかったので帝王切開に関してネットで勉強。その間も誰がいつ手伝いに来るとか出産方法とか周りが好き勝手に色々なことを言ってくるのでその度泣いたし、ブルーになるしで10日ほどかなり不安定だった。

色々話し合って、(日仏)家族の誰がいつ来るって予定も大分固まってきて、結局普通分娩(和痛か自然かはまだ決めてない)→3か月後にのう腫摘出手術って方向になった。もちろん緊急帝王切開になるかもしれないし、予定は未定だけどこれで精神的にはかなり落ち着いた。後はこれ以上お互い太らないように後2ヶ月弱、頑張って運動しよう。


5~7ヶ月

2008-11-07 | 妊娠・出産
妊娠中期の覚書

だるさや眠さはいつの間にか抜けて体調はすっきり。キッチンがきて自炊生活にしたらあっという間に便秘も解消v。が、妊娠前から少し痛んでいた腰がどんどん酷くなってしまい、一時はおばあさんのように。座った時足を組まないようにしたり、かがんで立つ時の姿勢などに気をつけていたら改善し、いつの間にか治ってしまった。痒みは引くどころか酷くなっている。手足から体の中心部に集中するようになり、背中・わき腹・太もも・お尻が夜になると痒くなる。見た目は酷いが家に居るときは服を裏返して着るようにしたら少しマシになった。(縫いあわせやタグが擦れて痒くなるので)でも出産まで痒みは続きそうだ。痕が残らなければいいけど。4ヶ月半ばですでに胎動らしきものが感じられ、最初はあれ?これかな?って感じで確信がなかったが、日に日に強く回数も増え分かる様に。ここにきてやっと自分が妊娠したという実感が沸いてきたような。7ヶ月目にはいると外からでも動いてるのが分かるようになり、夫も驚いていた。お臍の形が日に日に変わっていくのが面白い。
思い返せば5ヶ月後半~6ヶ月は一番元気だった気がする。まだお腹もそんなに大きくないし、実は100M ダッシュできるかもって思うくらい元気だった。しかし7ヶ月も後半に入ると大分体も重く感じ、毎日起きる度に自分の重心がずれている気がするし、気をつけてないとバランス崩しそうになる。あと丸3ヶ月もあるのになー。この辺でマジで体重を抑えておかないと後期がしんどいと、食べたもの全てを書きとめることにした。毎日体重、何を何時にどれくらい食べたか、お通じの有無、散歩や運動の有無。一応ここ1ヵ月半ほど体重キープできている。効果がでてるのかな?

0~4ヶ月

2008-08-12 | 妊娠・出産
妊娠前期の覚書

つわりは比較的軽いほうだったと思う。最初はとにかく眠い・頻尿・便秘程度だったけど、そのうち胃が空になると気持ち悪くて動けない→常に食べてる食べつわりが始まり、体重がどんどん増えていった。やばいなぁとは思いつつ食べないと起き上がれないほど気持ち悪くなるんだもの。あと快便人間には便秘が思いのほか辛い。匂いは通常の3倍ほど敏感にはなったけど、ウッときても吐くことは一度もなかった。夫のタバコの匂いがとにかく耐え切れず、ある日ぶち切れたらすっぱり禁煙してくれたので助かった。朝起きてみないとその日の体調がわからないのは困った。調子のいい日もあれば、まったく動けない日もあって、予定が立てられない。幸い仕事は退職した後だし、引越しが終わった後はゆっくり体を休められたので楽だったけど、仕事しながらの人は大変だよなぁ。尊敬。それからただでさえ日本とフランスで言うことが違ったりするし、とにかく情報が溢れ過ぎているから下手に惑わされないほうがいいだろうと、マタニティ雑誌などは一切読まなかった。あれもダメこれもダメじゃあ余計にストレスが溜まってしまうしね。アリシアから譲り受けたアメリカ人のバイブルらしい、WHAT TO EXPECT WHEN YOU ARE EXPECTING一冊だけを参考にする。夫も読めるのでいいのだが体重・身長はポンドやフィート表記なのですっと頭に入らないのが難。3ヶ月半から全身に痒みが出始める。掻き毟るほどでもないけど、気がつくとあっちをぽりぽりこっちをぽりぽり掻いてしまう。痕が残るのでなるべく我慢してるけど、いつ引いてくれるかな。
4ヶ月にはいる頃からお腹が出始め、太ったこともあり、これまでの服では追いつかずマタニティを何着か購入。ワンピースはまだいけたけど、お腹が冷えてしまうのが嫌なのと、普段パンツ派なので落ち着かないってこともあり、黒・ベージュ・ジーンズの3本を買い、これで出産まで着まわすことにする。(一応まだ+ベルト。ユニクロの長い編み編みベルトが調整できて大活躍)またショーツやブラも手持ちのものではきつくて出先で気分が悪くなることも多々あり、私の中の何かを捨てて、でかパンマタニティに切り替える。でも体は楽だー!
お腹が確実に出てきてはいるけれど、未だに自分の中で命が育っているという事実が信じられない時がある。夫が思った以上に喜んでくれ、妊婦の大変さを理解してくれるのが嬉しい。専業主婦で暇してる私に誰より素晴らしい仕事をしているんだと言ってくれたり、常にお腹を触ったりチューしたりしてくるし。この人はいいパパになるだろうなぁと確信。

青天の霹靂

2008-06-08 | 妊娠・出産
考えないよう努めてきたのだが、明日はとうとう入院日だ。その前に結局5月後半に来るはずの生理がまだなので、一応万が一のため妊娠判定をすることにした。ははは、99%有り得ないけどと、かる~~~い気持ちで行ったら、まさかの2本線!!!!(2本=妊娠)状況がすぐには飲み込めず、遅めのランチの支度をしていた夫を呼ぶ。ちなみに私の第一声は「SHIT!」だったし。嬉しいというよりとにかく有り得ないと思っていただけに混乱極まりない。何年も出来なくって、(偶然だったけど)卵巣のう腫という原因をやっと見つけたところだったのに、なんでこのタイミング?!と。とにかく今は明後日の手術をどうするかを決めなきゃいけない。手術やのう腫のせいで諦めなきゃいけないかもと思い、ネットで調べたら日本では妊娠してても手術をするケースが多いらしい。とにかく素人が話し合ってもしょうがない。夫は明日の入院を待てというが、入院自体しないかもしれないから、早い方がいいと、日曜日にダメもとで病院に電話をしてみる。
幸い当直だったけどお産を2件抱えていて、先生に繋がったのは19時近い。説明したらすぐにエコーをするから来てくれと言われる。妊娠してたら手術はしないかもしれないと。お腹が空いていたけれど、とにかく病院へ。(ああ近所で本当によかった)担当医と新米医師で超音波。新米が全然胎嚢を見つけられず、「子宮外妊娠」とか嫌な言葉も聞こえてくるのでここでまた不安になった。埒が明かず私の担当医と替わったらすぐにモニターに「豆」が見つかる。こ、これ?まだ6週と早すぎて心臓などは見えないけど17ミリの命がそこに写っていた。ちょっと感動。もちろんのう腫もきちんと見えたんだけどね。そして先生が念のため今から別の建物の救急へ行って血液検査をし、そこでもポジティブだったら明後日の手術は延期しましょうと。どうしても希望するならするけれど、排卵・生理がなくなるのでのう腫がこれ以上大きくなる可能性は少ないから、リスクを負ってまで特に今手術をする必要はない。もちろんこの先トラブル(捻転や破裂)があるかもしれないけど、私のケースはその可能性も少ない(でか過ぎて回る場所もない・破裂するタイプではない)とのこと。引越しの話もして、この先は新しい国で様子を診ていくのがいいとの結論に。(担当医によっては手術の可能性もあり)
そして先生の手紙を持って救急で血液妊娠検査(?)。結果が出るまで1時間待てといわれ、お腹空いて死にそうだった。9時半にやっと呼ばれ、詳しい値は出てないけど、ポジティブなのは確かですと、妊娠が確定した。おめでとうと言われ、病院を後にする。遅かったし日曜日なので近所のビストロで夕飯。5日ぶりのお肉を食べ、ワインで乾杯(一口だけね)。
不妊症と信じ込んでいただけに自然妊娠した事実も、手術2日前に妊娠発覚のタイミングも、未だに信じられない。ドッキリ?この先も無事に育ってくれるか、のう腫摘出の手術のタイミングなどなど色々な心配事があるけれど、今はいや今だからこそ素直に喜んでおこう。ありがとう、結婚7年目に私達のところへ来てくれて。


今日も診察・救急料は請求されず。夫は心配しなくても後からちゃんと請求書が来るからというけど、未だに1サンチームも払ってない。