「幸治君へ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/d8/e5b98f06f142a7139d75ab99eddaabec.jpg)
今朝の最低気温は午前6時の21.5℃。 最高気温はお昼正午の26.5℃。
今日は終日曇り空。 お天気はイマイチですが、暑くも寒くも無く、過ごしやすい一日でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/18/45d5b9280b0da5481295fd01ff5f009d.jpg)
幸治君、ありがとうね。 幸治君が私のブログを読んでくれているのはお母さんから聞いて
知っていました。 でも君たち兄弟が私たちの事をここまで思っていてくれたとは…(感謝。
今日リハビリから帰ると、幸治君からお見舞いの群馬県名物の “天狗印の枝豆” が届いていました。
添えられていた私を気遣う優しい手紙にも感激したよ。
そうかぁ幸治君ももう45才かぁ、大竹の社宅に居た頃、幸治君や英治君が
幸ちゃんや真君と(私の子供たち)と仲良く遊んでくれていたのを懐かしく思い出すよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ea/d0073a2ddd1c15c969528d6fb321525c.jpg)
幸治君、英治君は大竹時代の先輩、Mさんのお子さんです。
Mさんにまつわる過去の思い出日記です。
2013-01-22 今日は母のデイケアの日。 妻は昼前から元社宅のお友達と昼食会の予定です。
朝は散歩して、昼から私一人で1週間分の食材の買い出しに行く予定でしたが、雨が降って いるので
先にスーパーへ買い出しに行って来ました。 帰宅すると妻が…
「お父さん、たった今、Mさんが今朝亡くなったって幸治君(息子さん)から電話が有ったよ」
Mさんは私の人生で、良きにつけ悪しきにつけ、一番影響を受けた4歳年上の職場の先輩です。
大竹時代、社宅が同じ階段の上下の部屋だったことから親密になり、以後、家族ぐるみの お付き合いでした。
囲碁を教えてもらい、サツキ(盆栽)を教えてもらい、25歳まで 1滴のお酒も飲めなかった私を
こんな呑兵衛に仕立ててもらった…。
私が船を持っていた 事も有り、良く魚釣りや貝堀りにも行きました。
まるで兄と弟、兄弟の様な付き合いでした。
Mさんはいち早くマイホームを建て、社宅を出ていかれると、私もMさん宅の筋向いに 土地を確保しました。
そこへ降って湧いた様な大竹工場の閉鎖。
Mさんはまだ2~3年 住んだばかりのマイホームを置き、私は土地を置き、一緒に大阪に転勤して来ました。
しかも同じ職場。 更にはその後の社内の移動先も同じ職場でした。
Mさんが定年退職して大竹のマイホームに帰る時、「お前、定年したら、絶対大竹に帰って 来いよ。
また一緒に釣りに行くど。 ワシが船を買うけぇ、お前はエンジンを買え」 って言っていたMさん。
私は子供たちがこちらで結婚し、孫が出来、大竹へは帰れなく なりました。
確保していた土地も売り払い…。 約束は果たせませんでした。 昨年11月、義母を見舞う為、
岩国に行った帰りに大竹に寄り、Mさんに会ったのが最後に なりました。
病気の事などおくびにも出さず、にこやかに近況を話しておられました。 Mさん、安らかに…。
散歩していてもMさんとの思い出が走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
ただただ俯いて歩いていただけの散歩でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/60/7fcd6776015389f7d5374f69e3658195.jpg)
Mさんが亡くなった後も、奥さんとは交流が有り、春のアサリが美味し季節には “大野の小貝” を
秋には美味しい “ブドウ” を 冬にはMさんが好きだった “干し柿” 送って下さいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/08/82f035e72d6f97241054cb9a8c2afbf3.jpg)
2015年03月17日 Mさんの思い出…
宮島口の近くに住んで居られるMさんからカキ(牡蛎)が2kg送られて来ました。
Mさんのご主人は私より4つ年上で、大竹に工場が有った時の職場の先輩です。
そして社宅も上下に住んでいました。 Mさんの趣味はサツキの盆栽と魚釣り。
植物好きの私はすぐにMさんと親しくなり、サツキの手ほどきを受ける事に…。
Mさんは傍らに焼酎を置き、チビチビやりながらサツキに針金を掛けて行くのです。
こんな事も… 有名なサツキ盆栽の師匠に弟子入りし、近くでサツキの盆栽店を開いている主人を
「この人(Mさん)の針金掛けは美しい」 と唸らせるほどの腕前でした。
私はMさんと親しくなる前は1滴のお酒も飲めなかったのです。
それがMさんにサツキの手ほどきを受けながら… お酒の手ほどきも… (汗。
当時私は小さなモーターボートを持っていたので、良く一緒に釣りも行ったものです。
Mさんはその近くに家を新築し、社宅を出ました。 私もMさんのすぐ裏手に土地を
確保して、何年か後に家を建てるつもりでいたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f0/6637aa7e9bccdce4976df4e3daab0b06.jpg)
そこに降って湧いた様な大竹工場の閉鎖話。
Mさんは悩んだ末、新築した家を置いて、家族で大阪へ転勤して来たのです。
私も一緒に大阪に転勤し、配属された職場が同じ職場でした(希望した訳では無いのに。
大阪で2度職場を変わりましたが、いずれも同じ職場に配属されました。
まさに腐れ縁です。 当然私より4年早く定年を迎え、置いていたもう新築とは
言えない家に帰られました。
大阪を去る時、 「お前も定年したら必ず帰って来いよ、また一緒に釣りをするぞ。
ワシが船を買うけぇ、お前はエンジンを買え」 と言って…。
が、帰られてすぐに身体を壊されて身体が不自由になられました。
それでも小皿に入れた大豆を箸で隣りのお皿に移したり、マッチ棒を手でつまんで並べ替えたり、
懸命にリハビリに励んでおられたのですが… 数年前に…。
今はその家に奥さん一人で住んでおられます。 人生って分からないものですね。
私も定年後は大竹に帰るつもりでいましたが、子供たちがこちらで結婚し、
孫が出来ると… 帰れなくなりました。
すでにMさんちの近くに確保していた土地も手放し、ここが終の住み家となりました。
Mさんの奥さんから立派なカキが届き、夕食にそのカキフライを食べながら、
Mさん夫婦との思い出を妻と語り合った事でした。
幸治君、感謝を込めてバラの花(写真ですが)を贈ります。 ありがとうね。
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今朝の最低気温は午前6時の21.5℃。 最高気温はお昼正午の26.5℃。
今日は終日曇り空。 お天気はイマイチですが、暑くも寒くも無く、過ごしやすい一日でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/18/45d5b9280b0da5481295fd01ff5f009d.jpg)
幸治君、ありがとうね。 幸治君が私のブログを読んでくれているのはお母さんから聞いて
知っていました。 でも君たち兄弟が私たちの事をここまで思っていてくれたとは…(感謝。
今日リハビリから帰ると、幸治君からお見舞いの群馬県名物の “天狗印の枝豆” が届いていました。
添えられていた私を気遣う優しい手紙にも感激したよ。
そうかぁ幸治君ももう45才かぁ、大竹の社宅に居た頃、幸治君や英治君が
幸ちゃんや真君と(私の子供たち)と仲良く遊んでくれていたのを懐かしく思い出すよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/ea/d0073a2ddd1c15c969528d6fb321525c.jpg)
幸治君、英治君は大竹時代の先輩、Mさんのお子さんです。
Mさんにまつわる過去の思い出日記です。
2013-01-22 今日は母のデイケアの日。 妻は昼前から元社宅のお友達と昼食会の予定です。
朝は散歩して、昼から私一人で1週間分の食材の買い出しに行く予定でしたが、雨が降って いるので
先にスーパーへ買い出しに行って来ました。 帰宅すると妻が…
「お父さん、たった今、Mさんが今朝亡くなったって幸治君(息子さん)から電話が有ったよ」
Mさんは私の人生で、良きにつけ悪しきにつけ、一番影響を受けた4歳年上の職場の先輩です。
大竹時代、社宅が同じ階段の上下の部屋だったことから親密になり、以後、家族ぐるみの お付き合いでした。
囲碁を教えてもらい、サツキ(盆栽)を教えてもらい、25歳まで 1滴のお酒も飲めなかった私を
こんな呑兵衛に仕立ててもらった…。
私が船を持っていた 事も有り、良く魚釣りや貝堀りにも行きました。
まるで兄と弟、兄弟の様な付き合いでした。
Mさんはいち早くマイホームを建て、社宅を出ていかれると、私もMさん宅の筋向いに 土地を確保しました。
そこへ降って湧いた様な大竹工場の閉鎖。
Mさんはまだ2~3年 住んだばかりのマイホームを置き、私は土地を置き、一緒に大阪に転勤して来ました。
しかも同じ職場。 更にはその後の社内の移動先も同じ職場でした。
Mさんが定年退職して大竹のマイホームに帰る時、「お前、定年したら、絶対大竹に帰って 来いよ。
また一緒に釣りに行くど。 ワシが船を買うけぇ、お前はエンジンを買え」 って言っていたMさん。
私は子供たちがこちらで結婚し、孫が出来、大竹へは帰れなく なりました。
確保していた土地も売り払い…。 約束は果たせませんでした。 昨年11月、義母を見舞う為、
岩国に行った帰りに大竹に寄り、Mさんに会ったのが最後に なりました。
病気の事などおくびにも出さず、にこやかに近況を話しておられました。 Mさん、安らかに…。
散歩していてもMさんとの思い出が走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え…。
ただただ俯いて歩いていただけの散歩でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/60/7fcd6776015389f7d5374f69e3658195.jpg)
Mさんが亡くなった後も、奥さんとは交流が有り、春のアサリが美味し季節には “大野の小貝” を
秋には美味しい “ブドウ” を 冬にはMさんが好きだった “干し柿” 送って下さいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/08/82f035e72d6f97241054cb9a8c2afbf3.jpg)
2015年03月17日 Mさんの思い出…
宮島口の近くに住んで居られるMさんからカキ(牡蛎)が2kg送られて来ました。
Mさんのご主人は私より4つ年上で、大竹に工場が有った時の職場の先輩です。
そして社宅も上下に住んでいました。 Mさんの趣味はサツキの盆栽と魚釣り。
植物好きの私はすぐにMさんと親しくなり、サツキの手ほどきを受ける事に…。
Mさんは傍らに焼酎を置き、チビチビやりながらサツキに針金を掛けて行くのです。
こんな事も… 有名なサツキ盆栽の師匠に弟子入りし、近くでサツキの盆栽店を開いている主人を
「この人(Mさん)の針金掛けは美しい」 と唸らせるほどの腕前でした。
私はMさんと親しくなる前は1滴のお酒も飲めなかったのです。
それがMさんにサツキの手ほどきを受けながら… お酒の手ほどきも… (汗。
当時私は小さなモーターボートを持っていたので、良く一緒に釣りも行ったものです。
Mさんはその近くに家を新築し、社宅を出ました。 私もMさんのすぐ裏手に土地を
確保して、何年か後に家を建てるつもりでいたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/f0/6637aa7e9bccdce4976df4e3daab0b06.jpg)
そこに降って湧いた様な大竹工場の閉鎖話。
Mさんは悩んだ末、新築した家を置いて、家族で大阪へ転勤して来たのです。
私も一緒に大阪に転勤し、配属された職場が同じ職場でした(希望した訳では無いのに。
大阪で2度職場を変わりましたが、いずれも同じ職場に配属されました。
まさに腐れ縁です。 当然私より4年早く定年を迎え、置いていたもう新築とは
言えない家に帰られました。
大阪を去る時、 「お前も定年したら必ず帰って来いよ、また一緒に釣りをするぞ。
ワシが船を買うけぇ、お前はエンジンを買え」 と言って…。
が、帰られてすぐに身体を壊されて身体が不自由になられました。
それでも小皿に入れた大豆を箸で隣りのお皿に移したり、マッチ棒を手でつまんで並べ替えたり、
懸命にリハビリに励んでおられたのですが… 数年前に…。
今はその家に奥さん一人で住んでおられます。 人生って分からないものですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/93/00e4669cd996ae3563d86b5908e8aae9.jpg)
私も定年後は大竹に帰るつもりでいましたが、子供たちがこちらで結婚し、
孫が出来ると… 帰れなくなりました。
すでにMさんちの近くに確保していた土地も手放し、ここが終の住み家となりました。
Mさんの奥さんから立派なカキが届き、夕食にそのカキフライを食べながら、
Mさん夫婦との思い出を妻と語り合った事でした。
幸治君、感謝を込めてバラの花(写真ですが)を贈ります。 ありがとうね。