さんかくしかく

毎日いろいろな形になってしまうぼくのあれこれ。

砂糖生姜

2013年11月28日 | 三角記事
今日は寒い
朝はそんなでもなかった
朝早かったけどな
ジュースのんだりしていたもの
いまはコーヒー
もちろんホットだよ
ホット オレンジジュース なんてのもあるらしいけれども
ぼくはまだそこまでいってない

コーヒーってなんでどんだけ飲んでもおいしいのか
寒いけどな
このまえセンタービルで、しょうがに砂糖まぶしたやつ買ったのよ
食べたのよ

あれおいしいのな
ぼくはじめてだったよ

看板

2013年11月28日 | 三角記事
日本はわりと看板目立ちますよね
京都なんかは、ローソンさんの看板は赤茶色にして、街に馴染むように配慮しちゃっているけれども

大阪はあれね
いろんな色形、情報の看板が、建ったりぶら下がったりしているから
わりとごみごみしているよ

看板全部取っちゃったら
のっぺらぼうの街
よくわからない中身の
あやしいビル

わりとごみごみしているのは、良さであろうか
悪さではない気がします
ぼく自身の趣味で判断してはいけないかな
高慢と偏見と独断だ
いやいいだろう
まがりなりにもぼくの目で見ている世界だ

嫌いだ! とか言ってやろうか
痛快だろうなあ

これから

2013年11月28日 | 三角記事
いまのところ
ぼくはぼくの中におさまっている
内向きになっている
いままではよくわからんかった
アンモニア灯
電球
絨毯敷きの一角

テレビ昨日みたよ
生まれてすぐに、病院の手違いで別の家族にいっちゃった人のニュース
とりかえしのつかなさに、うんざりするけど
それを引き起こした人は
悩んでなんかいないだろうな
悩んだら、取り返しのつかなさにうんざりして
だめになっちゃう気がする

ぼくがやさしいって?
やさしさとはそういうものなのだろうか。
自分を不幸にしながら、他人にやさしくして、いいわけがないでしょう

砂糖菓子の歌

2013年11月28日 | 三角記事
飴色っていうのは、べっこう飴の色のこと
煮詰めすぎた苦いべっこう飴の味
なつかしく思い出すことと
はじめてそれに気づくこととがあって

靴を買おう
机を捨てよう
新しい絵を描こう

何度も繰り返し考えていることは、まだ実行されていないことで
うちにいながら、旅に身をおいているなんて
ちょっとかっこよすぎるくらいの言いまわしは、ぼくには似合っていない
ぜんぜん似合わない

空の青をつくりたい
何枚もかさねたい
今までうまくいかなかった、どうすればよいのかよくわからなかったことが、やっとできるのだと
まだ夜は明けていないのだけれど

電球/ここのこと

2013年11月27日 | 三角記事
電気こうこうとついている部屋は好きじゃないなぁ

近年省エネ化とかで、ライトの数は確実に減っているわけで
ついていない電気も多い
ついていない電気があると、ちょっとうれしい

阪急電車なんかは、最初から電気ついてない列車がくるよね
トンネルでしばし暗黒の世界となる

ぼくの部屋の電気、30ワットだもんね
これ最初はえらい明るい「六畳用」とかいう、円盤型の照明をつけていたわけで
はじめて恋人の部屋を訪れたときに、彼女は30ワットの電球一個の部屋にいて
それがしみじみとよいものなのだったよ

てなわけでぼくはでっかい円盤を取り外したわけだった

パラパラッと思い出すことと、考えることと
かくことをやめてはいけないな

ものの形

2013年11月27日 | 三角記事
若草物語をみたんだった
とても大切な家族を失うという大きく深い悲しみから
昔のことを思い出して
たんたんと物語を紡ぐことによって
彼女は悲しさを外へ逃がした
ぶあつい紙の束でもってして
外に出たそれは、ああいう形あるものとして残された

それはとても
共感できる作業だった
観ていてしみじみと・・・・感じるものがあった
胸を締め付けるような
切なさが、こみ上げてきた

できあがった紙の束の美しさといったら
もうそれは例えようもなく
大切なものの姿を見たのだと思った。

時は、

2013年11月27日 | 三角記事
失敗をやらかして
あー
消えてしまいたいっていうときに
それは消せないし
ぼくは残さないといけないもの
作りかけの平面を考えているっていうことが
それなりに逆さのカギになっていて
ひっかかって止まる

やりかけってことは
かっこ良くもあるし、情けなくもある

サクラダファミリアしかり
あれ相当長いこと情けない
そして魅力をもっている

初歩的な失敗をして
初歩的であればあるほど、はずかしいし
うれしい
じつにさっぱりとしていて
やっぱり変なんだろうか
ぼくは、やっぱり

ホーボー

2013年11月27日 | 三角記事
あちこち歩き回る
するとやっぱりほうぼうで迷惑
いろんなことあるわ

ひとひとりで生きていくには、意外と広さがいるわけで
けっきょく
一人では生きていない

てことを実感する

昨日買った紙やすりの
耐水ペーパー
あれを正しく使ったとおもう
気づかなかったのは、ぼくがそうしなかったからで

てっぺんですべき

2013年11月26日 | 三角記事
休みの日は、どうすれば正しいのだろうか
全身の力が抜けていて
緊張感がない
足先までひりひりした、体の実感
緊張感がなくなると、そういう自分のからだのことを
感じることができている

毎日が休みだったら、世界は混乱するだろうか
ぼくが毎日休んだら
まわりでみんな働いていて
どうなんだろうね

目覚ましが起こして
ガスがあたたかくして
電車が運んで
ぼくは立ったり座ったりするのだ
お茶をのみながらね

ところがジョージ

2013年11月25日 | 三角記事
先行きって、あるのが普通なんか
だとしたら世界は
普通ではない
ということになろう

そう思うけどどうなんかな
思うことは自由だけれど、実際行動するのはダメっていうのもある
なんでそれやったらだめなんか

べつに人を不幸にしたり
殺したりするわけじゃない

てっとりばやく幸せになりたいのかもしれず
じわじわと暮らし続けたいのかもしれないんだし
便利になったって
本当に思っているんかなあ