さんかくしかく

毎日いろいろな形になってしまうぼくのあれこれ。

歩くはやさ

2010年10月31日 | 三角記事
このまえ、mixiに書いた日記の文章なのだけれども、ひさびさに褒めてくれたので、うれしくなった。
うれしくなったから、ここにもコピペで載せてしまうのだ。


  歩くはやさ 2010年10月13日00:49

 家から駅までは自転車で10分だ。
 で、その自転車がパンクしてしまったのが、先週のこと。

 だから今日まで歩いて駅へ通っていたわけだ。
 歩くと30分。

 朝はなんとなくすがすがしい気持ちで出てゆけるのだけど、帰ってくるときは、やっぱりもういいかげん疲れているし、夜中は怖いしでおっくうなのだった。

 しかし、自分は四年もここを通ってきているのに、まるでなにも気付いていなかったのだな、とびっくりしてしまった。

 もののスピードがぜんぜんちがうということは、こんなにも、なにもかもちがうものなのだろう。
 煙突からけむりがでていたり、こちらをじっとみている猫がいたり、よその家のにおいが、そこだけでしたり。

 ただもう今日は、ここに書くことなんてなにもないのだけれども、うーん。
 ただ移動するのであれば、車や電車。探検してみようというのだったら、自転車でとか、歩いてとか。気になったら立ち止まって、すみずみまで知りたいと思ったところに、家をもつべきだなあ。

 ともかく、今日の帰りは自転車で飛ばしたけれども、なにやらよくわかんないうちに、家についてしまった。

うすぐらい

2010年10月31日 | 三角記事
昨日はビールたくさんのんだ
それで歌ったし、聴いたし、わらった
泣きなさい 笑いなさい
という歌とか、上海ハニーなんとかかんとかーとか、テイクミーホーム カントリーロードとか

そんなこんなで雑多なデコレーション
朝帰りで景色はこんなにきれいだったのになあ
明日は晴れるといいでしょう

台風家族

2010年10月30日 | 三角記事
だんだん足が速くなり、結果的に近所を駆けぬけていったやつ
夜のうちにこんばんは、さよなら

子どもらはやや落胆
そうでなくても休みの日にやってきたのだから、ほぼ絶望
ぼくが小学生のころは、台風が来る前日はわくわくどきどきの下校タイムだった
宝を探して嵐の中を歩く、なにか実際すごくおろかな冒険者を演じていたのだった
すごく真剣にね!

風が鳴るとそわそわし、家が揺れるときょろきょろし、いつもとちがうテレビをまじまじとみ

今は、あまりそういうかんじではないのだろうかしら
雨に会わなかったことを幸運だと思ったから
そういう思い出がうずを巻いている
はたして

またまたわずか

2010年10月29日 | 三角記事
終わることをしらない
それなりにいろんなできごとがあるか、いまの絵は
ぼくにとってはたのしい
だっていままでは全部自分でやっているかんじだったからね
最初で最後のバカ仕事だ

だんだんほこりがたまってきたり、髪の毛がおちたり、ためし書きされたり、でもまあそれを目的にしているのだ
ぼくはどこまでやれるだろうか
なんとも他人まかせ
自分がどこにあるのか、わかる気がするからやめられない
あせってもしかたないけど、変えられるものなら変えてみせたい
のんびりでしかないのだが

いやだとは言わない。

禁断です

2010年10月28日 | 三角記事
たいていぼくが出ると降り出すよね
そんなことないかね
あるかね
台風だって近づきつつあるらしいし
ひげいつもそり忘れるし
これはだいたい思い出して更新しようかなあという気になるし

でも雨にぬれている町はややすてきである
ずぶぬれにはなりたくないが
内から見ると、外のぬれている様子がロマーンですね


水だと思って買って飲んだらみかん味だった
おお……! やや激しいカルチャーショックだな
うまい
色で判断してはいけません

そこで眠っているのはどこかの会社の部長
眠れ眠れやや長く

秋ですが

2010年10月27日 | 三角記事
表現と社会はしばしばその衝突をみせる

きのう一時間かけて書いたきのうの更新では、結局長文になり、まだ自分はこんなにもしゃべりたがっているのだなあー、とあきれてしまった

いきなりやってきた風は、お決まりの木枯らし一号らしい
あっ、タオルを忘れてきてしまった
汗をふくことがなくなったら、なんだかよく忘れてしまうけど、手を洗うことがよくあるので、タオルがないとこまる

それで、窓を開けるのも昨日で最後なんだね
なにしろ突然のさむさだ
なんだせわしない移り変わりの、ながめせしまにだ
貴族はこう和歌によんだけど、今の人たちは、ながめ、ないか。

まとめついで

2010年10月26日 | 三角記事
絵を描くときのテーマや、それについて考えることが増えてきているので、ぼちぼちついでに忘れないように書いておこう

まず
いままでパネルを支持体につかってきたが、なにやら値上がりがはなはだしいし、もとよりお金があるわけではないので、毎朝届く新聞紙を支持体にしようと思った

のりでつなげて、だいたいニメートルぐらいの画面にして描いている

描いているものは、とくにこだわりがあるわけではないさまざまな形のもの

それで
作業を進めてゆくうちに、「こだわらない」ということにこだわるふうになった
なにしろ支持体はいつでもシワシワ、筆を置けばすぐに破れ、乾燥すればひびわれ
とてもじゃないが、ばからしくて丁寧にはあつかえない
元をただせばただの新聞紙なのだ

であるからして
「こだわらない」「無造作」「適当」
である
描きかたは、支持体を床に敷いて、支持体を踏んで、必要があれば破りつける
(しかし亀裂は自然にできる場合がほとんどである)

そう考えてみると、ぼくのやっていることは、美術品という概念をやや超えたところに、それをもってゆく作業か

すぐにびりびりシワシワで、水にも火にも年月にも弱い美術作品ではあるが、うすうすぼくは、現代美術の作品を保存するということに疑問をもちはじめている

言うまでもないが、当初からこれは妥協の絵である。
もしパネルがすごく大きくて、かしこいお値段であり、時間や絵の具が無尽蔵であるならば、絶対に新聞紙を使わなかっただろう。
そうせざるをえなくなった状況というのがまずあり、その作業中に出てきた疑問が
・美術作品とは何か
・美術作品を何世紀も保存すべきなのか
・中世の芸術様式をまったく否定した現代美術に、現代美術がもっとも忌み嫌うはずの「伝統」ができてしまっている
・「こだわらない」「無造作」「適当」とはつまり、それにこだわり、それゆえに神経を使い、真剣になるということだ

とりあえずタイトルは「転がる石【デッカワイイストーン】」だな(笑

あーなんかつかれた

すげかえの薬

2010年10月25日 | 三角記事
以前に電車の広告でみた絵がわすれられないのね

それはたしか、すっごくばからしい絵
最近の歴代首相がチューチュートレインしている絵
くだらないなーーー と思いつつ、やはりわかりやすくて笑ってしまうような広告なのだった

気になったからしらべてみたら、WEDGEという月刊雑誌の、先月号とのこと。
なんだか、四条烏丸の本屋で買えるのかしら… とか考えている


それはそうと、雲がぶあつくなってきて、そろそろ雨が強くなりそう
むこうのほうは明るい雲の色なのにね
こちらでは、電灯のほうが目だっているよ

四条烏丸西入ル 鉾町生まれのお嬢さん
えらい ちゃんとした格好して
どこ行かはんにゃろうか

と、ふとつぶやきになったのは、さっき四条烏丸とここに書いたからだ。

とっさのさっさ

2010年10月24日 | 三角記事
時計にしがみついているような生活
いいかげんやめにしたいのだけどもね
なにしろ、得しないのだ

それでもまた戻るだろう
時計はやっぱりいらなかったのだなあ
時間は必要だが
一分一秒がどれだけのものか、たとえば死にかけているときに
同時に、いやいやこなしているときに

流れかたは同じではないのかもしれないから

ほかのこと、気になることを気にしていたら、もう終わってしまう
うわのそらのうわのそら
ずいぶんとひとりよがりの宣言だ

イッツOK

2010年10月23日 | 三角記事
たどたどしい会話をして、みつめあって、別れあって
そののちはなんだか足りない

くるくる回ってしまうのはいつもそう
両手でささえて立っているだけなのだ
両手を離した瞬間から、人間の孤独が始まった
というのはいささか恥ずかしいか

知らなければいけないことはたくさん
知らなければよかったことも今までになくさん
むしろなげやり

このままぼくが、仕事現場に行かなかったらどういう世界が作られるのだろうか
試すことなんかできないといえばできない
不可能はある