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「子守唄が音楽家の第一歩」 神戸絢子 (1911.8)

2017年01月27日 | 音楽学校、音楽教育家

  

 東京音楽学校教授神戸絢子女史と其筆蹟〔上の右の写真〕 

  子守唄が音楽家の第一歩

      東京音楽学校教授 神戸絢子

 私は音楽に対して、別にこれぞといふ意見は厶 ござ いませんが日本の家屋にはピアノは不適当です、何よりも響がないのですから、余程違ひます、ピアノが三味線や琴のやうに一般に歓迎されるには、未だ余程の時日がありますでせうと思ひます、ですが私が欧洲 あちら へ参つた時と、帰朝 かへつ た時とは、余程進歩して来たのは確 たしか です今ではピアノと言ふものは奈何 どう いふ楽器 もの である位の事を知らない人はありますまい、其だけでも余程の差 ちがひ やありませんか。
 私が欧洲へ参りましたのは四十年の六月で御座いました。大抵は巴里 ぱりい に居りましたが、伯林 べるりん へも行きました、其 それ は唯ピアノを聞きに参ゐりましたので御座います。女で仏蘭西 ふらんす へ参ゐりましたのは、或は私だけかもしれませんぬ。彼方 あちら で日本人の方にお目にかゝつたのは大使館の方位で、画家の御方も余程行つて被在 ゐらつしや つたさうですがお目にかかりませんでした、往方 あちら の音楽は申すまでもなく盛大で、毎日音楽会がない日はありますまい、ですから聴きに行くに迷ふ位です、其 それ は先方 あちら では名を売るまでは無価 たゞ で入場券を呉れますからです、元より沢山の音楽師がありますのでなかゝ名をうるまでは大抵ではないやうで、巧手 じやうず な方でありながら、場末へ行つて演奏されると言ふ有様です、之と言ふも必竟 ひつきやう 多勢 おほぜい の為でしやう。
 彼方ではピアノ師に為様 しやう と思ふと、十二三歳の頃から稽古をさせまして、一切外 ほか の事はさせません、一日に六時間も稽古させますのです、でなくては奈何して手が練 ね れて来るものですか、若い年頃から一生懸命になつて稽古しました所が、手が堅くなつてゐますから、思ふやうに働きません故、進歩しました所が程度が知れてゐます、異常の天才のある方でない限りは、群を抜くと言ふ程の名手は今の所出ないかと存じます。
 仏蘭西に限らず欧洲では、十二三歳の頃早いと七八歳の頃から専一 せんしん にピアノ計 ばか りを稽古させますから、十代であつて已に大人も及ばない位に巧手な方が沢山あります、日本でもピアノ師として立派な人の出るのは以後 これから だらうと思ひます、今の方は大抵稽古を始めやうとなさる頃は年頃で、手が何 どう しても今申します通りに堅くなつてゐて働きませんから、今稽古して被在 ゐらつしや る方は大いなる将来はないかと思はれます、ですから私は今一意専心に稽古をなすつてゐらつしやる、またしやうとお出での七八歳の方が十年位経つと立派なピアノ弾きになる事が出来ますから、本当のピアノ弾きは以後 これから と申しますのです。
 私が彼方へ参りまして入つたのは、大変によい学校で、教方のうまいので有名な先生でしたから、何よりも幸福 しあはせ で御座いました、参ゐつた当座は生徒さんが皆巧手な方計りでしたから力を落しましたが、先生が鼓舞激励されましたので、自分と力を入れて励みました。
 ピアノの趣味については其 それ は何度も聞かなくては判りますまいと思ひます、耳に蒼蠅 うるさ い程聞慣れなくては、ピアノに限らず趣味と言ふものは湧いて来ないでせう、私なぞは彼方での名手を聞きましたが、余りよくは判りませんでした、と言ふのは未だ耳にもよく慣れなかつた故 せい と思ひます、その趣味が判ると言ふのが、今の所では不思議な位です、三味線や琴のやうに腹の中に居る時から聞いたのではありませんので、今まで日本にはなかつたものですから、其を今直 すぐ に解しやうとしたつて出来ものぢやありますまい。
 彼方では生れる時からピアノを聞いゐますので、一般に拡 ひろが つてゐるのは申すまでもなく、大抵の家にはピアノが一台位は供へてあります、行つて見ますれば、日本の家屋に床の間がない家はないと言つた様にです。
 私は日本橋の生れでして、四歳の頃から子守歌を聞いて唄つたりしまして、両親 ふたおや もこの子は音楽家にしたらばよいだらうと思つたさうで厶います、十歳頃から三崎町の仏和女学院へ這 はい りまして、ピアノを稽古しました、小さい時から、ピアノと言ふものは好きでした、その頃は別に慾がありませんでしたから、稽古と言ふ程の稽古はせずに、ピアノを弾かない時には編物など致して暮らしました、今から思ふとそんなことをして時間を費やしたのが非常に残念で仕方がありません、その学校で仏蘭西語を習ひました、卒業してから音楽学校へ這入りまして、研究科を卒 お へて助教授になりました、その頃ヂーベル先生から教へて頂きました、欧洲へ参りましたのは其後 それから で学校へは今でも毎日出てゐます。
 一般の家庭にピアノが這入ると言ふ事はある、当分の間は出来ますまい、外国のものではあり、未だピアノの趣味を解するだけに、耳が一般に発達してゐませんから、今の所では上流の家庭より外には、用ひられると言ふ事はないだらうと思ひます。
 私はピアノ弾きにならうと思はれる方があるか、または御自分のお子さんをピアノ弾きにさせやうと思ひになる方があるならば、七八歳の頃から、良い先生の許 もと で専心に勉強させられる事を祈ります。ピアノにはピアノの趣味があり、日本の楽器には又特有の趣味はあるものですから、比較すると言ふ事は根本の間違ひだらうと思ひます、自分が一番ピアノで苦しみましたから、ピアノが何よりも難しい気がします、一曲を終へて終 しま はない間 うち は、途中で可厭 いや になることがあります、ですが一曲を了 お へて終ふと、又面白いものなのです、加之 それ にピアノに限りませんが、中でもピアノは絶えず自習をしなくてはなりませんので、本当に稽古なさらうと言ふ方は別としましても、大抵の方は自習をなさる方はありますまいかと思はれます、ですけど今の方は好 よ く判つて被在るものですから、ピアノを本当に稽古なさらうとする方は熱心のやうです。
 私なぞ一日 じつ でも自習しないと、手が悪くなるものですから、毎日何時間となく稽古致してゐますから、頭が余程変になつて居るやうな気がします、一寸した物音も頭に響く事があります位です、何うしても躯 からだ の壮健 じやうぶ でない方は分けて損で厶います。
 ピアノ弾きとして恥づかしくない方が日本に何人あると言ふ事は申されもしません、まして誰々と言ふ事は、私から迚 とて も申上げられませんが、数は少ないやうに思はれます、三味線のやうに一般に行渡る事は前にも申した通りに、今の所では難しい事ですが追々は必ず発達進歩するには相違ないと思ひます。
 若し私が注意を申上げる事が出来るならば、手の練習を怠らぬやうに致して頂き度いのです、今稽古して被在る方は、皆手の練習にすぎないのです、音が多いだけに複雑ですから、余程敏活に働きませんと、間違つた音を出したりします、音計 おんばか りは欺むかうとした所が欺むけないものですから、明かにそのまゝを出して了 しま ひます、余程手の練習を為 し て頂かないとなりません、全たく今の方は練習にすぎない所へ持つ来て、最 も う手が堅くなつてゐますから、七八歳の頃から練習して敏活に働く人の手と比較にはなりませんから、発達する度が決まつて、其以上に進歩する事はないだらうと思ひます。
 日本の家屋とピアノとは、言ふ迄もななく不調和なものです、又ピアノに取りましても、此麼 こんな に不利益な事はなからうと思ひます、何よりも大切な響が出ないのですから仕方がありません、琴や三味線なら、形も小さし又日本の楽器ですから、日本の家屋に極く調和しますが、一方は持運びに不便で形があの通りに大 おほき いものですから、狭い日本風の座敷に置く可きものでは決してありません、私は自分が習つてゐる故か存じませんが、ピアノが一番音量が多いかと思つてゐます、その楽器々々に特長がありますから、好い悪いと言ふのではなく、単に此処では音 おん の数の事を申すので厶います。(をはり)

 上の文章と写真は、明治四十四年八月一日発行の『新婦人』第一年第五号 八月の巻 掲載のものである。 



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