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「中華民國々民の中日親善觀」 馬伯援 (1919.6)

2021年02月17日 | 清国・民国留日学生 2 著作、出版物、劇

中華民國々民の中日親善觀
       中華靑年會幹事 馬伯援

    ◎日本に對する不滿の原因

 政治的關係より觀て 日本の政府が支那に對してとった政策には色々不滿の點もあるが、其の内で最も甚だしいのは、例の大隈内閣時代の二十一ヶ條問題である。若しあれを提出した人が、他の軍閥であったならば何でもなかったし、又何の問題も起らなかったに違ない。なぜかなれば、軍人といふもの自己の國家の爲めには弱國の土地を侵略するか、強奪するかゞ、あたりまへの職業であるからである。然し日頃口に同文同種を説き、日支親善を叫び、内外共に信用を擅 ほしいまゝ にして居た大隈侯が、斯くの如き口是心非、言行不一致なことをしたといふことは、我々支那人をして、本當に日本を信用することの出來なくならしめた一のことであるし、又日本の紳士の人格をも信用することの出來なくならしめた一のことである。大隈侯に次いで我々の信賴を裏切ったのは、犬養氏である。犬養氏も亦我々の主張に近く、又善良な人格の人ではあるけれども、寺内内閣の時之を助けて支那の軍閥ー軍閥ではない彼等は大泥棒であるーに味方し、張作霖、張敬堯、曹汝霖の如き、惡魔的人間に其暴威を振はしめたといふことは、侵略的主意から出たと云はれても、辯解の辭がないと思ふ。善良な人間を助けることならばよい、人民に利益を與へることならばよい、然し家を燒き、器具を奪ひ、婦女を辱かしめて、殘逆無道の限りをつくした張作霖一派を援助したといふことは人道上から見て果して如何であるか。軍閥に銃器を賣りつけたのは、日本政府である。よし其の賣りつけた理由と、動機は何であったにしても、其の銃器を手にして立ち、暴逆の限りをつくして、無辜の民を悲境に泣かしめたのは彼れ軍閥の土匪一派である。何人と雖も、泥棒は嫌 きらひ である。又何人と雖も自家の娘を愛さずしては措かない。支那軍閥をしてかくの如きの罪悪を犯さしむるに、間接とは云へ尚最大の力があった日本は、また土匪一派と罪を分つべきではなからうか。
 支那人が日本及日本人を信ずることが出來ずして、排日を叫んで立った理由の一は此處にある。山東問題の如きは之に比べると極く小範圍の問題にすぎない。
 以上の如き政治的理由が日支兩國をして離間するの止むなきに至らしめたのも亦、自然の運命であった。然し人道的主義主張が世界を風靡して居る今日であれば、將來に於てはかくの如きの、非人道的なる政府は、追々姿を失ひ、賣國奴と侵略者の醜類が影をひそめて、眞の意味に於ける日支兩國の政治的關係が結ばれることであらうと信ずる。
 國民的關係より觀て 政治的不滿と共に我々支那人の日本人に對して堪えられぬ苦痛は、所謂日本浪人の亂暴狼藉である。馬賊を助けて家財器具を奪ひ去るも彼等である。阿片の密賣をするも彼等である。また聞くも怖ろしいあの嗎啡を賣りつけて、支那國民を精神的にも、肉體的にも破滅させてしまう樣な、残酷なことを敢へてするも彼等である。日本の租借地と云へば、之悉く阿片の密賣地で、日本の政府は税金をとって之を許してある。尚其他に風儀を亂る淫賣婦、賭博、果ては恐喝のいかに多きか。然し問題は之のみではない。日本の軍艦が一度支那の港に入るや、海軍々人は何をするか。物を買っては値切る、金は拂はない、おしまいには撲る、之をしても尚我々に、日本を信ぜよといふのであるか。支那は勿論日本に比して文化の程度が低い。然し一般の智識が今や高くなつゝある。騙すことは一度はよい、二度は駄目である。欺騙の手段は愚者に對するにはよい、智者に對しては駄目である。支那は今は力はないから、何も彼も致方 いたしかた もない、然し内心は絶對に服從しては居ない。
 今や我々は公明正大の手段をとるか、或は泥棒をするか、其の岐路に立って居る。如何に口に日支親善を唱へ、同文同種を叫んでも、其の實際政治に於て、非人道的態度に出て、其の商業取引に於て日本の浪人の如き殘逆無道のことをする樣では、到底將來は悲觀の外なない。靑島問題にした處で、日本は支那に靑島を還すつもりには相違ない、然しそれは何んであるか、恐らく血も肉もすゝりとった形骸に過ぎないであらう。靑島をとるもよい、山東をとるもよい、然しそれは一部資本家の懐を肥すだけのことで、恐らくは一般の利益とはなるまい。支那四百餘州は無限の寶庫である。原料はいくらでもある、その原料を日本が輸入し、加工製作して輸出したならば、どんなに利益であるか知れない。それには日支間の感情の融和といふことゝ、自由貿易自由競争を奬勵して、あらゆる不正不義の呪ふ可き惡辣手段から救ふといふことが第一の問題である。今や世界は國際的に眼覺めつゝある。よし實行までとは行かなくとも、人道が口にせられつゝあるの時である、日本だけが、國際的關係から離れて、單獨に行動し、存在するといふことは到底あり得なくなって來て居るのである。

    ◎支那留學生問題

 支那留學生が、國民として日本から受けた屈辱と、日本に對する不滿は前述の通りであるが、尚學生自身が現在日本にあって、直接身に感じて居る不滿足も、決して少くはない。今その重なるものをあげると、第一にそれは支那人を、頭から輕蔑するといふことである。勿論それは日本人の無意識な行爲であるかも知れないが、我々から見て傲慢と思はれる點が随分ある。例へば先日の田中陸相の支那陸軍大學留學生招待會の時の如き、陸相が「靑島は日本にとってしまっても當り前である、お前たちが不滿足に思ふのはいけない」と、いふ樣なことを、我々に敎へる樣な態度で云った。之では誰も滿足するものがない、悉く皆反感を抱いて散じた。此の會なぞは、表面は非常に感情の融和が出來た樣に、思はれたかも知れないが、結果は全くの反對に終った。
 日本の警察官の態度も、餘りよくないと思ふ。勿論日本の巡査は、多くは無學の人で、日本人に對してすら官僚的威嚴を示さうとする種類の人であって、それを充分知悉して居る我々には、何等の痛痒もないけれども、年若い支那の學生が初めてあゝした不親切な取扱いをうけると、矢張り反感を抱かずには居られない。
 下宿屋の待遇もいけない。女中は不親切で、主人は冷酷である。貸家を探さうたって、支那人と見れば高値をふく。街に出て買物をし樣とすれば不法な暴利をむさぼられる。道を歩いては小供にまでチャンゝと犬ころの樣に馬鹿にされる。學校に行っては先生に講壇から罵倒輕蔑されるまでで只苦しめられる爲めに來た樣なものである。實物の規箴は敎育上の一番よい方法である。在留の支那學生が日本の對鮮學生の壓迫を目睹親見して非常に傷心して居る。又日本の憲兵の朝鮮に於ける行動も、平素朝鮮學生からきいて居る。之等はつまり日本政府に對しての不滿足の點である。問題は勿論、今は差細なことであるかも知れない。然し支那人は決して其の輕蔑せられたことを忘れない國民である。將來に於ける影響は決して單純なものではないことゝ思ふ。要するにそは一般人の道徳問題である。又智識問題である。決して忽 ゆるがせ にすべからざる事であると信ずる。

    ◎何故英米を慕ふや

 英米が何故に慕はしいかと云へば、それは何となく氣持ちがよいからである。勿論米國などでは、移民問題はあるが、それはかまはない。彼等國民がいかに親切に、我々を取扱って呉れるか、それは只々感謝の外はない。殊に一番氣持ちのよいのは、下宿屋の待遇である。それに學生は仲よく交って助けて呉れるし、先生は手を引いて導いて呉れる。日本の學校では博士にでもなると、仲々時間通り敎室に出て來ない。一寸用事でもあるとすぐに休講する、まるで少しの親切心もない。然し米國の學校では、決してそんなことはしない。毎時間きっと來る。また夜なぞは學生を自宅に呼んで、色々歡待して呉れる。之等のことは、到底日本では見られないことである。かうして受けた有り難いと思ふ感情が、英米を慕ふといふことになって來るのである。

    ◎將來如何にすべきや

 支那には其の祖國を賣って、自家一身の利益を得樣とする、破廉恥漢があると同時に、日本にも己一身の利慾の為めに、侵略的行動を敢へてする非人道的人間がある。然しそれは或る一部の限られたる人間に過ぎなくて、本當に自己を愛し、他を愛し、兩國の前途を憂いて居る眞實の人のあることを私は知って居る。茲に於てか私は思ふ。之等新しきに眼覺めつゝある、若い人々が一緒になって、研究に從事し、永き將來に於ける諒解と、解決を根本的にする以外、兩者の親善を計る方法はないと。
 他の惡しきを知り、之を黙って居るのは不親切であり、また罪惡である。宜しくその惡しき點を赤裸々に先方に云ふべきである。それは一番正直なことである、又相方の誤解を去ることであると思ふ。以上私は自己の信ずる處を簡單ながら正直に述べたつもりである。

 上の文は、大正八年六月十五日發行の雑誌 『實業之日本』 支那問題号 第二十二卷 第十三號 實業之日本社 に掲載されたものである。



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