蔵書目録

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「塔ヶ岳」 (『日本山岳案内 1 』より) (1940.5)

2019年12月01日 | 趣味 1 登山・ハイキング

、 

 日本山岳案内 1 丹沢山塊・道志山塊  鉄道省山岳部編
    執筆 松本重男   博文館
  〔下は、その極一部〕

 目次
 編纂の辞
 執筆者の言葉
 凡例
 一、本書に於る用語上の注意としては
    道路
     路 自動車が通行出来る以上の道路
     道 村道に類すべきもの
     逕 山間を行く道であって、踏跡もこれに入る。
    山稜
     主稜 山塊の中心をなす尾根
     山稜 主稜と同程度に走る派生尾根
     本尾根 主稜及び山稜より或る独立峯に走る尾根
     枝尾根 前記以外の小さな尾根
  
一、本書挟入概念図は、参謀本部陸地測量部発行の五万分地形図の補足的意味をもつものであって、参考としてのみ対照せられたい。
       丹沢山塊
 概論
 大山

 丹沢表主稜縦走 (地図上野原・秦野)
  概説
  鳥屋村より丹沢方面へ
  渋沢駅より丹沢方面へ  

 塔ヶ岳 (地図秦野・上野原)

  概説

 塔ヶ岳は、丹沢山塊主稜の東端にあって、現在云はれてゐる表尾根縦走の起点であって、標高一四九一、二米を算し、三等三角点標が置かれてある。頂上一帯はやや広く、小さな石祠や石仏を祀ってあり、北方小金沢より大金沢にかけての源流一帯は、樹林に防またげられて展望はないが、東南西と三方はからりと開けて、雄大な風景を展開する。
 先づ前方には秦野の野を距てて、相模灘が一面に見渡せ、その右には箱根連山、伊豆山群、富士山、愛鷹山を望む事が出来、眼下には玄倉川の谷の深き樹相と、東方中津川を距てて大山を見る対蹠的な風景が良い。
 この塔ヶ岳頂上から、所謂丹沢主稜は北方に走り、丹沢山、蛭ヶ岳と続いてゐる。この主稜に続くものは蛭ヶ岳を中心点として、西方に派生する尾根と、東方及び東南方に派生する尾根を見る。
 先づ塔ヶ岳より主稜を北にたどれば、ヒッタカ(一、四六〇米)を経て、龍ヶ馬場(一、五〇二・八米)に至り、北方丹沢山(◬一、五六七・一米)に接してゐる。この主稜が所謂丹沢の表尾根と云はれるものであって、就中龍ヶ馬場は南北に幅広い頂上をもってゐる。
 塔ヶ岳から西方に走る尾根上には、先づ大丸(一、三七〇米)、小丸(一、三五〇米)を経て、鍋割山(◬一、二七二・五米)に接し、鍋割峠へと続いてゐる。
 塔ヶ岳より東方に派生する尾根には、先づ木ノ又大日(一、三九四・七米)、新大日(一、三四一・九米)に至り、この地点で尾根は左右に二分して、左北走するものは女郎小屋沢ノ頭(一、二四〇米)を経て八瀬尾根として、中津川の布川と本谷との出合に至り、右東走するものは、カラビコノ頭(一、二一〇米)を経て、行者ヶ岳(一、一八八・一米)に至り、次に烏尾山(一、一三七・三米)より、三ノ塔(◬一、二〇五・二米・菩提山とも云はれる)に至って、尾根を二分し左には蓬平(九六〇・九米)に至り、右するものは一ノ塔(一、一四四・一米)一を経て、トビウツリ(七六四・二米)・岳ノ台(八九九・五米)に至ってヤビツ峠に接する。

 

  渋沢駅より大倉経由

  新宿駅(小田原急行電車)一(約一時間三十五分)一渋沢駅一(三〇分)一堀西一(三〇分)一大倉一(約一時間)一一本松(八〇〇米地点)一(二五分)一◬九〇五米地点)一(約一時間二〇分)一ハナタテ(一、三七七・五米)一(二〇分)一塔ヶ岳頂上
  費用 一、二五銭(新宿駅一渋沢駅)

 渋沢駅で下車したなら、駅前を東西に走る道路に出てその道を右にたどると、再び左右に走る道につき当り、右へ曲る。小田原急行電車の踏切を渡ると、四辺は田園の風調をもってゐて、四季を通じて春なら花、夏なら緑なす樹林、秋なら枝もたわわな柿を見る事が出来る。行手には塔ヶ岳、大山などが大きく山容を浮ばせてゐる。
 大きな県道を横切り、四方から入り組む村道を抜けて、道を真直に進むと左手に学校を見て、送電塔の下を潜り、間もなく堀西のに入る。道の両側に細長く建つ民家を抜けるとの外れで四叉路に出る。左は松田町に至る道で、前方は三廻部方面に至る道である。右へと曲がる。この四叉路に至る前に堀西手前で右へ大倉への道がある。この道でも、その道でも何れでも良い。
 右へ曲ると畑の間を行く様になり、間もなく森戸に入る。森戸の中央で、又も右へ行く道があるから、その道をたどると幾らか登り気味な道が続き窪地を経て、間もなく大倉に着く。大倉は水無川最奥のであって、の東方には見るも無残に荒廃した河原を見る事が出来る。
 大倉のからは、尚も山側に行くと左へ入る道がある。指導標通りこの道を進めば右下に神社を見て、茅戸の広やかな尾根にとりつくのである。この辺りから見る、右手の水無川は深く刳 えぐ れて、白い無残な河原を露出してゐるのを見る。中腹をドンドン登ると間もなく逕 みち は尾根に沿ふて、東側を登る様になり、尚も進むと小さい突起の右側を捲いて、塔ヶ岳より派生する尾根に飛び出る事が出来る。ここからは尾根筋をジグザグに登るのであって、明瞭な逕は迷ふ様な心配はない。間もなく一本松なる名称をもつ松の所にたどり着く。
 一本松は十四五年前までは,枝振りも良く元気に生育してゐたが、最近は枯死してしまって残骸をいたづらにさらしてゐるに過ぎない。この辺りから登って来た方を振り返り見ると、大倉や、水無川や相模平野が手にとる様に見える。
 一本松からは、尾根を今一息登ると、九〇五米三角点標のある地点に着く。この辺りから右前方には、塔ヶ岳より三ノ塔に至る山稜に喰ひ入る、水無川の源流地帯が覆ひ被さる様にたってゐる。九〇五米からは尾根をずっと明瞭な道をたどるのであって、幾つかの突起を越えたり、捲いたりしてゐるうちに最後の長い急登を続ける、と間もなくハナタテに着く。
 ハナタテは前塔ヶ岳とも云ふ人がある地点で、一、三七七・五米の標高を算へる。このハナタテから前方に見る塔ヶ岳は、相等な偉容を見せて聳えてゐる。ハナタテから一旦鞍部に降って、再び左手に廻る様に登ると、ここは左から逕が入って来て、その傍に指導標がたってゐる。左の逕は鍋割山山稜へ通ずる逕であって、右へと徑をたどると登りは徐々に急になり、雑木の生ひ繁った中をしばらくで、右に水無川の源流の深い谷を見て、左に鍋割沢の樹林を見下しながら、一休一登を続ければ、そこは茅戸で一帯を覆はれた塔ヶ岳の頂上である。
 塔ヶ岳の頂上は、茅戸に覆はれた南北に長い地点で、頂上にある三等三角点標の附近には石祠や、石仏などがあり、別に尊仏山と呼ばれてゐる。新編相模風土記に
 「‥‥‥此山ノ中腹ニ土俗黒尊仏ト唱フル大石アリ。高五丈八尺許其形座像ノ仏体ニ似タリ、故ニ此称アリ。此山ヲ」他郷ニテハ尊仏山ト唱フ‥‥‥」
 とある。この大きな石は塔ヶ岳の北方下にあったのだが、関東大震災の時に西北面の大金沢に転落してしまった。今ではその地点に不動尊を祀り、綺麗な水が湧出して、不動清水と呼ばれて、登山者のノドを潤ほしてゐる。頂上から北西へ大金沢の源頭にあって、約一〇分程度で達する。
 塔ヶ岳からの展望は、富士山を始め愛鷹山、箱根、伊豆の諸山、相模灘の洋々たる姿、遠くは大島から三浦半島、房総半島までを見る事が出来、眼下には水無川の深い源頭から秦野盆地を始めとした相模野を見る事が出来る。
 塔ヶ岳よりの帰途は、大倉への逕を降るか、三ノ塔への山稜を降るか、又は鍋割山山稜、又は足に自信のある人は玄倉川源頭を下降して、山北駅に出るも良い。
 
  ヤビツ峠より三ノ塔経由

  

 〔上の写真二枚は、近影〕

 左から一枚目:三ノ塔山頂からの富士山(十二月:拡大)
    二枚目:三ノ塔山頂からの富士山及び大倉尾根(十二月:パノラマ写真)

  新宿駅(小田原急行電車)一(約一時間三十五分)一大秦野駅一(バス二十分)一蓑毛一(約一時間)一ヤビツ峠一(十五分)一岳ノ台(八九九・五米)一(三〇分)一トビウツリ(七六四・二米)一(約一時間)一一ノ塔(一、一四四・一米)一(約三〇分)一三ノ塔(◬一、二〇五・二米)一(二五分)一烏尾山一(一、一三七・三米)一(一時間)一行者ヶ岳(一、一八八・一米)一(約一時間)一新大日(一、三四一・九米)一(約二十分)一木ノ又大日(一、三九四・七米)一(三十分)一塔ヶ岳頂上
  
費用  一、一八銭(新宿駅一大秦野駅)
     バス   二五銭(大秦野駅一蓑毛)
  
 ヤビツ峠にて、林道を横切ってやがて茅戸に覆はれた岳ノ台に至る。ここから東北方に見る大山は、春岳山からの尾根を前方に派生して、グンと良い山姿をもってゐる。岳ノ台からは雑木と茅戸混りの尾根を西方へ踏跡をたどって行くのであって、尾根筋が広いから、うっかりすると迷ふ恐れがある。間もなくトビウツリと称する鞍部に着く。トビウツリは昔の林道であって、ヤビツ峠の、間道をなしてゐる様な地点で、北秦野村菩提から、東秦野村札掛に越える乗越である。
 トビウツリからは幾らか右手へと尾根筋につけられた踏跡を行くのである。茅戸のうっかりすると迷ふ様な所を、適当に見当をつけて行くのであって、左に葛葉川の谷を見下ろして、一路登ると、左手に大きなガレを見て、その上部を横切って、右手へ廻り気味に尾根筋を掻き分ると、円頂をなした一ノ塔に着く事が出来る。
 一ノ塔からは左前方に行くのであって、右手の尾根に入ってはならない。右手の尾根を登って来る逕は、門戸口橋の所から来る逕であって、塔ヶ岳へは左前方へ行く逕である。一ノ塔からは踏跡もはっきりとして来て、一旦鞍部に降って、左手に小さなガレを見て、再び急な尾根を登ると、其処は三等三角点標のある三ノ塔である。
 三ノ塔は南北に長い茅戸の頂上をもってゐる山で、ここから見る北方の丹沢三ツ峯はそそり立つ絶壁を見せてゐる。三ノ塔の三角点から西へ向ふと頂上の北端で、逕は左右に二分する。右の逕は諸戸植林事務所傍から、水沢に沿ふて、中水沢をつめて西微南に尾根を登って来る逕である。左へと逕をとり急な尾根を、ガレの上を横切ったり、横を捲いたりして降ると間もなく鞍部に着く。この鞍部からは再び登りとなり、右にタラヒゴヤ沢支沢ヤゲン沢の源頭を見て、間もなく茅戸で覆はれた円頂をなす烏尾山に着く。 
 烏尾山は、クビヌキノ岳とも云はれてゐて、ここから見る今歩いて来た三ノ塔は、水無川の源流を挟んで、その西面に物凄い崩壊地の跡を見せてたってゐる。烏尾山からは再び北西へと、尾根をたどると三、四の突起を越えて、石像の安置された行者ヶ岳に着く。
 行者ヶ岳からは、一旦降って鞍部に着き、直ぐに登りになる。この鞍部は狭いキレット状をなしてゐて、樹林を透して左前方は、物凄い崩壊地をなしてゐる。登り切った突起を越えると、再び降りになり小さな円頂をなす突起の右側を捲いて行くと、広い防火線に達する。この防火線を行くのは大分苦痛であるが、それもグングン登りつめると、石像が安置される新大日に着く。この石像の高さは一尺程の石像で二基程草叢の中に置かれてある。新大日にては札掛よりタラヒゴヤ沢支沢ケヤキ沢を経る逕と、八瀬尾根を経て来る逕とが、女郎小屋ノ沢ノ頭上部で出合って、それがこの新大日にて右から登って来てゐる。
 新大日から左西方へと一旦鞍部へ降り、再び登りついた所が、木ノ又大日である。木ノ又大日は東西に長い頂上をなして、南方水無川の源流一帯は深い切れ込みを持ってゐて、本谷川の源流大日沢を右に、左にオバケ沢を広い尾根をもって分離し、北方には丹沢三ツ峯の豪壮なる景観に接する事が出来る。
 木ノ又大日からは、ニ、三の突起を過ぎると逕は急に登りとなって、右手前方に丹沢山塊主稜の走るのを見て、最後の一登りで塔ヶ岳頂上の東面にたどりつく事が出来る。今来た方を眺むると、三ノ塔への本尾根は蜿蜓 えんえん として東西へ走ってゐるのが見え、その一帯は樹林にかこまれてゐる。

 布川タラヒゴヤ沢遡行
 本谷川オバケ沢遡行
 玄倉川大金沢遡行

 塔ヶ岳のみの登山では、一日を充分楽しむにしては不足と思はれる。塔ヶ岳のみを主眼としたならば。塔ヶ岳より西方へ鍋割山山稜を伝はった方が良い。このルートからは左下方に秦野盆地から相模灘に至る丘稜、平野を一眸 いちぼう の下に見渡せるからである。
 然し塔ヶ岳に登ったなら、龍ヶ馬場、丹沢山と表主稜を歩くのが一番良く、一日のアルバイトとしての収穫も多い。塔ヶ岳のみであったなら、少し足の強いものなら東京を朝発って夕刻前後に帰る事が出来る。