・久野女史告別大演奏について
東京音楽学校教授にして我が国ピアノ楽界の一大権威である久野久子女史は、今度其の不自由なる身を提げて、遠く欧米の楽界視察に出かけられることになりました。先日文部省から留学を命ずる辞令が出ましたが、それはたゞ形式上の事で、更に、物質上の補助は無く、全く私費を以って一切を支辨されるさうであります。女史は、両親から多くの遺産を譲られた事も亦聞いておりません。又他に富豪等の後援などのあることも知りません。剰 あまつさ へ一家の扶養者である女史が、此の壮挙を企てられたのは、全く、其の「きかぬ気の性質」飽くまでも運命と戦ひ、そこに自己の新しき生命を拓かんとする、奮闘的精神の発露であります。此の壮圖一度発表せらるゝや翕然 きゅうぜん として各地に同情者が起りました。東京をはじめ京都、大阪、神戸、名古屋等で開かれました告別演奏会は、各地とも未曽有の盛況を極め此の点に於ては近年来朝したエルマン、ヂンバリスト、パーロー、等の世界的音楽者の演奏会も遠く及ばなかったさうであります。
女史は四月十二日を以って愈々東都辨楽壇に別れを告げ、郷里近江に暫時静養し、二十一日の岡山を最初とし中国、九州、朝鮮、満州、支那の各大都市に於て演奏し六月上旬上海より直ちに欧州へ渡航されるさうであります。欧米に於ても単に彼の地の音楽界を視察するに止まらず多年研究のベートーヴェンの奏鳴曲を大膽に発表して批評を乞ふとの事であります。
今回演奏されるベートーヴェンの作品は彼の月光奏鳴曲(作品二十七の二)ハムマアクラフイーア奏鳴曲(作品百六)最終奏鳴曲(作品百十一)の三曲であります。其の上に近代楽の巨星と云はるショパン、グリーヒ、リスト等の傑作も奏されます。新任の東京音楽学校ピアノ教授パルダス氏は、此のプログラムを見て、「斯の如く、ベートーヴェンの大作を一度に演奏する独奏会は、独逸にても容易に見られない」と驚嘆したさうです。
女史が此の研究を大成するに当って、如何に苦心されたかは実に想像に余りあります。一切の訪問客を断り、楽室に奥深く隠れて専心研究にひたり、時には指端から血の滲み出るまで鍵盤をうち続けたと申されます。最近は、上州磯部の温泉宿に逃れて、更に研究を続けられました。
実に女子はピアニストとして偉大なるのみならず、人間として又偉大なる人格を備へられ、其の性格、生涯、境遇は益々ベートーヴェンのそれ等に相似てまゐります。女史はベートーヴェンの説明者にして単に本邦に於てのみならず、世界に於いても一流のやうに考へられます。
こゝに私共は女史の此の度の壮挙を盛んにするために告別演奏会を開催することに致しました
大正十二年四月二十五日
山口高等商業学校音楽部
山口高等商業学校第一回音楽会
東京音楽学校教授 久野久子女史演奏
ベートーヱ゛ン研究会(プログラム)
期日 大正十二年四月二十五日 会場 山口高女講堂
時刻 同日午後六時半(開場五時)
主催 山口高等商業学校音楽部
後援 桜楓会山口支部
後援 大阪朝日新聞山口通信部
Programme
LUDWIG VAN BEETHOVEN
1 “The Moonlight Sonata,” Op.27,2.
Adagio sostenuto
Allegretto
Presto agitato
2 “Die Hammerklavier Sonata” Op.106.
Allegro
Scherzo
Adagio sostenuto
Fuga
Interval(20 minutes)
3 a) To Spring Grieg
b) Wedding March ”
c) Etude Chopin
d) Fantaisie Impromptu” ”
e) Rigoletto Parphrase Liszt
4 The Last Sonata, Op. 111.
Maestoso
Allegro con brio
Arietta
〔E N D〕
曲目
第一部
ルードヰツヒ ワ゛ン ベートーヱ゛ン
一 月光奏鳴曲 作品 二十七ノ二
ホ音緩徐調
小快速調
激動急速調
二 ハムマアクラフイーア奏鳴曲 作品 百六
快速調
諧謔調
ホ音緩徐調
遁走曲
休憩 (二十分間)
第二部
三 甲 春に寄す グリーグ
乙 結婚行進曲 “
丙 練習曲 ショパン
丁 幻想即興曲 “
戌 リゴレット布衛曲 リスト
四 最終奏鳴曲 作品 百十一
壮厳調
快速調
小歌調
〔以 上〕
プログラム中の作曲家に就いて
一 ルードヰツヒ・ワ゛ン・ベートーヱ゛ン(一七七〇 一 一八二七)は古来世界が出した最大巨人中に数へられる「独逸は亡びてもベートーヱ゛ンは亡びない」とは実に独逸人の天下に傲語 ごうご する言葉である。フレデリック大王、ウヰルヘルム二世の鴻業もビスマルクやモルトケの雄図も今は空しい夢となったがベートーヱ゛ンは燦として天日と共に光を改めず、全世界の音楽会は最大の礼を此巨匠が在天の霊に捧げることを永久に続ける。ベートーヱ゛ンは奏鳴曲に於て古今独歩の大家である。
二 エドアルド・グリーグはスコッチの子孫でベルゲン生れノルウェーの作曲家である。初め母に音楽の教育を受け十五才の時ライプチヒ一八六三年にコペンハーゲン、次にクリスチアナに行き教師となりて独立し八年イプセンの親友となった。其後諸国を巡りて後政府より年金をもらひ作曲に一生を捧ぐ。彼の音楽は主としてピアノ曲、唄曲で英国、スコットランド等に於いて特に人気がある。
三 シヨパン(一八〇九 一 一八四九)ポーランド人の血を享けワルソー近くに生れ少時より音楽の天才を顕はすピアニストとしてウヰンナで有名となる。次にパリに移る。始めマツルーカ(ポーランド円舞及其の曲)として世に出て仏国サルーンの花形となつた。作曲甚だ多し。
四 アベ・フランツ・リスト(一八一一 一 一八八六)ハンガリーに生れ伊太利のバガニーニがヴァイオリニストでやつた程の事をピアノでやつてみやうと考へてピアノに専心し遂に一流のピアニストとなりしのみならず、ピアノ曲を最高完全の境に達せしめた。多くの作曲あり。彼の一生の多くはワイマルで暮したが広く欧州の天地に芸術巡礼を行つた。
・久野教授告別ピアノ大演奏曲目梗概〔省略〕