悠翠徒然

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疲弊する庶民

2016-11-13 07:20:07 | Weblog


やせ細り、ギスギスした感じを出してみました。

もちろん本来望んでいる姿ではありません。

かといって、庶民は富や権力を持つ側になりたいと考えているわけではありません。

庶民は庶民として平静に暮らして行きたいだけなのです。

それなのに、大きな力を持ったマスコミが、『俺たちこそ正義だ!』とか『正解はこれ!』と言わんばかりに庶民を煽ってきます。

煽られた庶民はあたふたするばかりです。

どうすれば平静でいられるのでしょうか。

それは自分を俯瞰の位置において、過去を含めた世界を見下ろす事で実現できると思います。

それには歴史や哲学の知識とそれらに対する独自の見解がなければなりません。

そこに人間の性を見つけることができるでしょう。

一言で言えば『貧すればどんする』のが人間の性です。

貧しきものは富める者から富を奪い取り、富める者は更に富める者から富を奪おうとするのです。

それぞれの国の政策は、それに歯止めをかけるものです。

ですが、その歯止めが効かなくなるほど、世界中で貧富の差が激しくなっていることを、9.11で世界中が衝撃的に思い知らされたのです。



今アメリカは揉めています。

韓国でも揉めています。

日本でもそのエネルギーはマグマ溜りに溜まってきているのではないでしょうか。

築地移転に伴う問題やオリンピックに伴う問題は、その一部にすぎません。

多くの人が納得した解決策になったとしても、それは少しのガス抜きにしかならないとおもいます。

問題の本質はもっと根深いところにあるからです。

70年以上続いてきた戦後レジームは、日本にその歴史上最高の物質的豊かさをもたらしましたが、同時に歴史上最低の精神性の欠除をもたらしたのです。

憲法論議には失われた日本人の精神性が必要です。

それ無くして議論なんかできません。

では日本人としての精神性とはなんでしょうか。

それは何か大きな力によってこの世に生を受け、そして多くの物や仲間のおかげで生かされているという感謝の気持ちから、自然に生まれてくるものではないでしょうか。

森羅万象全てに感謝しながら慎ましく生きることで、日本人としての精神性が復活してくるとおもうのです。

私が慎ましく生きているかと言えば、そこは今後の課題とさせていただきますが(笑)

学校や家庭で教えることはそこが基本でなければならないとおもうのです。

もちろん書道塾でも同様と考えます。

庶民が必要なのは正誤も分からない氾濫する情報ではなく、情報を読み解き分別取捨する方法とその思想です。

情報に右往左往されない庶民になりたいものですね。

庶民が穏やかで平穏に暮らしていくには、知識と教養、そして独自の思想が必要なのです。

自分と異なる意見や思想の存在を認め、話し合いを重ねて、暴力で解決することを避ける姿勢が大切ですね。

『筆は剣よりも強し』

なのであります。




























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